第6話 俺は猿神族の染まりやすい頬はかわいいと思う

 部屋の中は蝋燭が数本灯されているものの、植物由来の油で作られた明かりの光量は微々たるもので、お互いの顔が接近してようやく見えるというものだった。

 戌二は中央に敷かれた布団の上に座り、申助に視線を寄越してきた。目と目があう。彼は湯を浴びたばかりのようで、髪の毛は濡れ、白い襦袢に着替えていた。見慣れた幼馴染みが今は酷く恐ろしく思える。


「こ、このたびは……その……」


 部屋に入るなり、申助は頭を下げた。振り返ると障子の外で耳をつけて中の様子をうかがっているキヌの影がばっちりと見えてしまい、いたたまれなくて再び正面を向く。


「……ん」


 戌二は申助が布団のそばに近寄るとほぼ同時に手を伸ばし抱きしめてきた。


「ぅえ!?」


 思わず変な声が漏れてしまった。想像していたよりも本物は手が早い。

 ガタ、と外でキヌの物音がした。

 戌二はまるで確認するかのように申助のうなじの匂いを嗅いでいる。そのまま襦袢の合わせから手を入れてくるものだから、咄嗟に申助は彼の手を掴んだ。暗い中なので視界と実際の触感の差異にまだ違和感はないだろうが、これ以上は申助の筋肉があるだけだ。


「あ、あの……」


 何を言っていいかわからない。頭が真っ白に染まり、うまくものが考えられなかった。


 キヌの存在が想定外だったのだ。本当なら今頃事情を話して協力をしてもらうように土下座をするはずだった。これまで申助は戌二が女に興味を示したところを見たことがない。だから、きっと彼ならば嫁が申助でもさほど失望はせず、協力してくれるだろうと思い込んでいたのだった。


 しかし、キヌがいるのでは万が一にも戌二が協力をしてくれたとしても彼女の口から長に話が行き、申助が返され、申代が呼び出されてしまう。ひそひそと話をしようにも、犬神族は人間の姿の時でさえ耳は獣のものなので、猿神族の数倍はよく聞こえる。きっとバレてしまうだろう。


「……何か」


 戌二は手を止めて正面から申助を見る。


「その……、えっと」


 何かを言わなければ。思うが言葉が出てこない。結局焦ってバカみたいなことをお願いしてしまった。


「蝋燭を消していただけないでしょうか? 顔を見られるのが恥ずかしいのです」


「……恥ずかしい?」


 きょとんと戌二は首をかしげる。

 申助は思ったよりも自分の声が震えていることに気が付いた。


「……はい。どうか」


「顔ならこの三日間で散々見ただろう」


 しかし戌二は動かない。申助は出来るだけか弱く見えるように続けた。


「赤く染まった顔を見られるのが恥ずかしいのです。猿神族は気持ちよくなってしまうといっそう赤くなってしまいますので」


「……それは、恥ずかしいのか?」


 戌二は腑に落ちないように唇を尖らせる。

 口に出した言葉は本心だった。彼に変だと告げられた日から特にそう感じるようになった。いつも白く涼しい顔をしている戌二を見ていると余計に自分の赤く染まりやすい頬は醜い、と申助は本気で思っていた。


「……はい」


 答えると、戌二は目を伏せる。長いまつ毛が瞳にかかって艶めかしい。彼が女性になったら自分よりも何倍も美しい女になるのだろう。


「わかった。でも、俺は猿神族の染まりやすい頬はかわいいと思う」


 戌二の言葉が意外で、申助は目を見開いた。変な顔だと言ったのは他でもないお前のくせに。相手が女だったらこうやって言えるのか、と眉間にシワを作る。

 戌二は一度手を離すと蝋燭を消す。いよいよ障子越しの月明かりだけになった。


「ありがとうございます……」


 ぎゅ、と申助は襦袢のあわせを手で元に戻す。


「あの、もう一つお願いがございます」


 戻ってきた戌二を見上げると、彼は面倒くさそうな顔を一瞬したが、すぐに鉄仮面に表情を隠した。


「何だ?」


「その……、服は脱がないようにしたいのですが、ダメでしょうか?」


 これは呪符を隠し通すためでもある。

 今も首から提げている呪符を見られたら何故かと聞かれるだろう。だったら、服を脱がずにまぐわってしまえばいい。


「……別にいいけれど、何故?」


「う……、その」


 申助は視線を泳がせる。


「体を見られるのが、恥ずかしくて……」


「どうせ暗いから見えない」


 戌二は憮然と返した。


「それでも! お願いします」


 ぎゅ、と袂を掴んでいる手に力をこめる。戌二は申助の手の甲に浮かんだ血管を眺めていた。

 きっと面倒くさい女だと思われているだろう。戌二はため息をついた。


「わかった。脱がせない」


 安心した申助は眉尻を下げて笑う。


「ありがとうございます。優しいんですね」


「キヌに初めてだろうから優しくしてやれと言われた」


 キヌさんありがとう! 外で障子に耳をつけて監視をしている戌二の乳母に心の中で喝采を送る。しかし彼女がいるから戌二に本当の事を告げられないのだと思い出し、すん、と心を沈めた。


「そ……、そうですね。あの、もしかして戌二さんは今回が、その……」


「俺も初めて」


 返され、言葉に詰まる。

 申助はというと、これまでに何回か年上の女性に誘われてまぐわったことがある。猿神族の貞操観念は低いのだ。男女問わず大体十五、六歳になった頃に年上の異性に食われる。

 とはいえ、女に擬態した状態では初めてなので過去の性の遍歴について訂正はしなかった。


「それは……、意外ですね」


「犬神族は一度結婚すると一生その相手と一緒にいるから。だから、お前が最初で最後」


 さすがに責任が重すぎないだろうか。

 だらだらと全身に脂汗が流れていく。


「あ、あの、でも、犬神族と猿神族では子供が生まれません。戌太郎様にも言いましたが、私を生涯愛さなくてもいいんです。戌二様は別の人を迎えられても大丈夫ですよ……?」


「いらない。お前だけでいい」



「ですが……」


 はぁ、と戌二は本日何度目かのため息をついて申助を押し倒した。


「名前からわかるだろう? 俺は十二番目の子供なんだ。戌太郎は綺麗事を言ったんだろうけれど、俺は跡取りを作る必要はないし、子供が出来なくても問題はない。だから今回お前と結婚する事になったんだ」


「は!? お前次男じゃなかったのかよ!? ……あ」


 思わず声が大きくなり、慌てて申助は口を押さえる。視線をそらしてもごもごと続けた。


「あの、じゃなくて、次男じゃなかったんですか? 戌二という名前からてっきり……」


「次男は戌次郎。太郎の次に偉いから次の字を使う。俺の二は漢数字。だから、十二番目っていう意味になる」


 戌二は大声を気にせず淡々と返す。

 そうだったのか、と申助は口をあんぐりと開けた。


「犬神族は一度に三から六柱の神を産む。だから、俺は兄弟姉妹が多い。跡取りなんて心配も期待も必要もされていない。むしろ、食い扶持が増えるだけだから作るなと言われて育った。親からしたらうまく片付いたくらいにしか思ってない」


 猿神族は一度に子供は一柱か二柱、多くても三柱しか生まれない。だから女の猿神は複数の男の猿神とまぐわって確実に孕もうとするのだ。


「なるほど……。それなら一生同じ相手と添い遂げて子育てした方が子供にとって安全ですね。少なくとも継子虐めはおこらないでしょうし……」


 申助が呟く。戌二は頷いた。


「別の種族の事だからな。知らなくても仕方がない。実際、俺も猿神族の事は申助を通してしか知らない。風習や文化の違いから間違える事もあると思うが、都度指摘してくれるとありがたい」


 真摯に見つめられ、申助は驚いた。こんな戌二は見た事がない。


 おほん。


 外からキヌの咳払いの声がする。早く事を成せという警告だろう。気まずそうに戌二は障子の方を見た。


「じゃあ、もうしていいか?」


 申助は視線を宙に泳がせる。したくないが、戌二にだって義務がある。もうこれ以上は逃げられそうになかった。コクリと頷く。

 戌二の手が申助の体に触れた。


「ひえっ」


 思わず手を叩き落としてしまった。戌二は目を丸くして申助を見る。体に触られたらバレてしまうという恐怖が反射的に戌二を拒絶した。申助は目を伏せる。再び戌二の手が伸びてきた。


「わっ……」


 身を引いて避けてしまった。戌二は見るからに面倒くさそうな顔になると頭をガシガシとかく。

 ビクリ。体が震える。憎き戌二に無様なところは見せたくなかった。歯を食いしばるが、次第に視界が歪んでくる。戌二はそんな嫁の様子をじっと見ると手を取った。

 どうするのだろう、と戌二を見る。彼は申助の小指の先端に噛み付いた。


「痛っ」


 戌二が強く噛みつくものだから、血が出てしまった。彼はそれを布団の上に垂らしていく。


「え……、なっ……」


 戌二の満月のような瞳が申助を捉える。彼はもう片方の手の人差し指を唇に持っていくと、黙るように示した。何も言わず彼の行動を見守ることにした。

 更に血を布団に吸わせると、戌二は申助の小指を舐めて止血した。血が止まった事を確認し、身を引くと掛け布団を取り、横になる。血痕が布団に付着している事で処女と交わったと捏造してくれたのだ。理解すると同時に申助は頬が熱くなる。


「あの、お……私……」


「ん?」


 すっかり寝る姿勢に入った戌二に申助はどう言っていいかわからなかった。

 戌二はじっと申助を見た。けれど申助が口をパクパクと動かして気まずそうに視線をそらしているだけなので、彼は諦めたようで背を向けて枕に頭を預けた。


「もう寝る」


 庇われる形になり気恥ずかしかったが、戌二が気を利かせてくれたおかげで乗り切れた。出来るだけ彼に触れないように自分も横になる。戌二がそっと布団を半分かけてくれ、余計に申助は情けない気持ちになったのだった。



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