第33話 予選結果



「瀬川さん、まだ結果出ないんですか?」


 西巻がうだるように言う。初めてビールを飲んだらしく、顔がほんのりと赤い。


「まだ最後のチームが終わってから、一時間ぐらいしか経ってないだろ。そんなすぐ結果出ねぇって」


 瀬川の声も少し焦っていて、気持ちが逸っているのだろうと碧は感じる。早く発表してくれという思いは碧も、ここにいる五人ともが同じだ。フライドポテトに手を伸ばしながらも、碧の心はどこか落ち着かない。


 藍佐大学の最寄り駅近くの居酒屋。土曜日ともあって店内は満席で、他人のことなど一切構わない話し声も、碧たちのやきもきする気持ちに拍車をかけていた。


「私たち、大丈夫ですよね? ちゃんと予選突破できますよね?」


 戸田がしきりに瀬川に訊いている。出番が遅かったから、碧たちは他のチームのネタをほとんど見られていない。


 だから戸田が不安に感じるのも無理はない。


「大丈夫だって。少なくとも一つ前のチームよりはウケてただろ。俺たちは漫才・コント・ピンの三つ全てでちゃんと笑いを取ってたし、それに終盤っていうのは記憶に残りやすいだろ。心配しなくても、準決勝に進める上位三チームには絶対に入ってるよ」


「そうですよ、戸田さん。私たちの目標はあくまでも優勝なんですから、こんなところでつまずいてられないですよ。実際私もやってて手ごたえがありましたし、戸田さんだってウケているのは感じてたでしょう? もっとどーんと構えてればいいんですよ」


 今日の出来によっぽど自信を持っているのか、筧の顔には焦りや不安がまったく見られなかった。枝豆に手を伸ばして、ビールをあおる様も実に堂々としている。


 戸田も二人に励まされて、気持ちが落ち着いてきたらしい。筧たちと雑談に花を咲かせている。


 碧も話に乗りながら、それでも恐ろし気な感覚は抜けなかった。何度もSNSでKACHIDOKIの公式アカウントを確認する。


 もちろん、碧にだって予選を突破できているという自信はある。それでも万が一のことを思うと、どうしても不安が顔を出してしまう。


 それは碧が、KACHIDOKIの公式アカウントを最新の情報に更新したときのことだった。不意に新しい投稿が表示される。


 簡単な文面と一枚の画像付きの投稿に、碧は思わず声を漏らしていた。


「結果、出ました」


 碧の言葉を合図に、全員が一斉にスマートフォンを手に取る。「1/21の予選結果をお知らせします」というシンプルな文言の下にある画像を、碧は祈るような気持ちでタップする。


 画像には準決勝に進出する三チームと、敗者復活戦に回る二チームが書かれていた。それはパッと一目見たときから、碧の目に飛びこんでくる。


 三位の欄に、ALOの名前が載っていたのだ。


 誰からともなく「やった」という声が漏れる。それを皮切りに、テーブルには歓喜の輪が広がった。誰もが歓声を上げ、満面の笑みになっている。


 初めて自分たちの漫才が結果に結びついて、碧は天にも昇るような心地がした。今まで大学生会やN-1で苦杯をなめ続けていたから、嬉しさは格別だ。


 でも、それ以上に筧は狂喜していて、全員とハイタッチを交わしている。触れた手の力強さに、碧は筧も心中は穏やかでなかったことを知った。


「やったな! 予選突破! これでひとまず去年の借りは返せた!」


「はい! この一年の頑張りが結果として評価されて、私も嬉しいです! 正直、あれだけウケといて予選落ちしたらどうしようと思ってましたから!」


「確かALOとしては五年ぶりの準決勝進出なんですよね! まだまだ瀬川さんたちと一緒にお笑いができて、俺も感無量です! 本当にこの一年間、どんなに大変でも続けてきた甲斐がありました!」


 三人の声は弾んで浮かれに浮かれていた。碧にもその気持ちは分かりすぎるほど分かる。


 明日からまた準決勝に向けてネタ合わせが始まるとはいえ、今日だけは予選突破の喜びに浸っていたい。初めて得た肯定的な評価の味を嚙みしめたい。


 それでも筧は「ちょっと三人とも、何満足してるんですか」と口を挟んでいた。しかし、表情にはまるで締まりがない。


「私たちの目標はあくまで優勝のはずですよ。予選突破はいわば単なる通過点。次の準決勝はもっとレベルが上がりますから、今日以上の笑いを取れるよう、また明日からがんばらないと」


「ちょっと筧―。ニヤけながら言われても説得力ないんですけどー」


「まあ筧の言ってることも分かるけどさ、今日だけは盛大に喜ぼうぜ。なんてったって、ここにいる全員にとって初めての予選突破なんだから」


 そう言った瀬川は、実に自然な動きでジョッキを持っていた。見る者全てをほだしそうなえびす顔は、碧たちにもジョッキやグラスを持たせる。


 筧も「まあ今日だけは」と追随することを言っていて、瀬川はただでさえ緩んだ表情を、限界まで綻ばせる。


「じゃあ、改めてKACHIDOKI予選突破を祝して乾杯!」


 「かんぱーい!」。間の抜けた声とともに、ジョッキやグラスを突き合わせる音が軽やかに響く。


 碧も自分のグラスを隣に座る筧のジョッキと突き合わせた。ただのウーロン茶が身体に染みこんでいく。


 初めて味わう勝利の味は、自分一人の力でつかんだものではない分、より深い感慨があった。


 ジョッキに残っていた生ビールを飲み干した筧が、笑いかけてくる。顔は赤みを増していた。


「ねぇ、碧。準決勝もがんばろうね。他のどのチームにも負けないくらいの爆笑を取ろう」


 顔はニヤけているが、目の奥は力強い筧の言葉に、碧も声に出して同意した。チーム数も絞られて、準決勝はさらに厳しい戦いになるのは間違いない。


 でも、碧は筧となら、ALOの皆となら乗り越えられる気しかしなかった。


 準決勝を突破すれば、決勝の舞台はあの日筧と約束した、ミルネtheかしもとだ。約束を果たせるまであと一歩のところにきている。


 碧は残っていたウーロン茶を飲み干した。明日からの再びのネタ合わせも、今までにない高いモチベーションで臨めそうだった。





 KACHIDOKIの準決勝、碧たちALOの出場は二月最後の金曜日に決まった。


 大学は春季休業期間に突入していたから、碧と筧はたとえアルバイトがあるとしても、時間を見つけて毎日集まれていた。ALO内でのネタ見せ以外にも、筧の部屋やカラオケボックス等でネタ合わせを重ねる。


 新ネタでいくか、それとも既存のネタでいくか。碧たちが話し合って出した結論は、まったくの新ネタでいくことだった。


 筧はKACHIDOKIの予選が始まる前から、既に新しいネタを書いていて、筧本人によれば今まで一番の自信作らしい。碧もネタ合わせの初期の段階から、類を見ないほどの手ごたえを感じる。


 瀬川や戸田、西巻もネタを磨いていて、ALOはKACHIDOKIの決勝進出、その先にある優勝へと一致団結して進んでいた。


「いや、そんなわけないでしょ。もういいよ」


『どうもありがとうございました』と、碧と筧は壁に向かって頭を下げた。二人の声が反射して部屋中に広がって消える。


KACHIDOKIの準決勝が二週間後に迫ったある日の午後、碧たちは筧の部屋でネタ合わせをしていた。


 いつ訪れても筧の部屋は整然としていて、物が増える気配がない。こざっぱりとした空間に、碧は深く遠慮することはなくなっていた。


「どうする、碧? ちょっと休憩する?」


 ネタ合わせを最後まで通して、一呼吸ついたところで筧は訊いてきた。


 碧としても一時間半以上立ったままでネタ合わせをしているから、少し疲れてきた感覚がある。だから、碧は素直に頷いた。


「なんか飲む?」とも訊かれたので、「別にいい」と答える。喉を潤すのは持参したペットボトルの緑茶で十分だった。筧も机の上に置いてあった清涼飲料水を一口飲む。


 お互いに何を話すか言い淀み、部屋の空気はどこか固かった。


「碧さ、この前養成所に申し込んだ話はしたでしょ」


 碧は再び頷いた。筧が養成所に願書を出した話は、先週の時点で聞いていたからだ。


「それでさ、昨日面接があったんだよね」


 どこの養成所に入るにも、面接が必要なことは碧も既に知っていた。以前は名前を書けば入れると言われていたけれど、今は応募者の増加に伴い、ちゃんと選考していることも。


「そうなんだ。どうだった? どんなこと聞かれた?」


「なんで芸人になりたいのかとか、どんな芸人を目指すのかとか。アルバイトや就活の面接と、そう変わらなかったよ」


「うまく答えられた?」


「まあ、ある程度にはね。ちゃんと自分の思ってることを伝えられたから、その意味じゃ手ごたえはあるよ」


「面接、受かってるといいね」


「うん。もう大学にも退学届は出しちゃったからね。これでもし落ちたら、ただのフリーターになっちゃうわけだし。もう後には退けないよ」


 一つも茶化すことなく真剣に言う筧に、碧はただ「そうだね」と同調するしかなかった。


 筧が大学に退学届を出したことは、碧も事前に聞かされている。三月三一日までは在籍しているが、四月に入ると筧は藍佐大学の学生ではなくなってしまう。


 言われて時間が経っているから、大分落ち着いてはきたものの、碧にはショックなことに変わりない。筧が中退することが決定して、自分の所在が大学になくなるような、宙ぶらりんとした感覚を碧は抱いていた。


「あとこれはさ、碧には言ってないことなんだけど」



(続く)

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