9.最後になる日と覚悟した

 司は消沈したまま当てもなく歩く。

 無防備にしても良いのかと思わなくもなかったが、きっと問題はない。


(俺に何かしたければ、さっきしちまえば良かったんだもんな)


 それなのに無視されたのだから猿や聡一にとって司は興味のない存在だったか、ユクミを捕らえるので精いっぱいだったか、あるいはユクミがいなくなった司は脅威にもならないと判断されたかだろう。

 いずれにせよ考えても意味はないし、どれでも同じだ。司がここで一人残っている事実は何も変わらない。


(ユクミが言ってたっけ。俺は一日に一度、ユクミから力を分けてもらわないと駄目なんだよな)


 だとすれば司の活動時間はあと半日程度ということになる。その程度放置しておけば司という存在が消えるのなら、確かに司は猿たちにとって脅威にはならない。

 無力さに打ちのめされながら歩き、司がたどりついたのは駅だ。なんでこんなところにいるのだろうと思った司は、自身が「もしかしたら灰色の異界に行けばユクミが戻っているのではないか」と期待していることに気づく。


(あそこに行けばユクミがいて、また最初からやり直しできるかも。ってか?)


 なんとも情けなく、なんとも都合がいいことを考えている自分に苦笑する。

 しかし他に何をすればいいのか思いつかず、切符を買った司は到着したばかりの電車に乗り込んだ。

 ガラガラの車内で入り口横の青いシートに座り込み、背もたれに体を預ける。疲れを感じない体になったはずだが、なんだか体が鉛にでもなったような気分だった。

 閉まる扉の音を聞き、動き出す景色を見つめ、そこで司は気が付いた。

 この電車は司が行こうとした方向とは反対へ進んでいる。どうやら上りと下りのホームを間違えて乗ってしまったようだ。


「どんだけ動揺してんだ、俺は」


 呆れまじりに呟き、がっくりと頭を落とす司が床を小さく蹴りながら「次の駅で降りよう」と考えたときだった。辺りがふっと暗くなる。トンネルかと思った瞬間、また景色が見えた。そうして静かに電車が到着したのは次の駅――ではなく、出発したばかりの駅だった。


「……え?」


 腰を浮かせる司の前で扉が閉まり、そのまま先ほどとは反対方向へ景色が流れていく。本来の目的地、つまり、塚や司の祖母の家がある方向だ。


「……俺の勘違い? いや、でも……」


 司が望む方へ電車を移動させてくれた何かがいるのかとも考えたが、ここにいる司の味方はせいぜい友介くらいだ。そして友介にこんな力はきっとない。ならば逆に、何かの罠だと考えるべきか。

 このまま乗っていけば本来の目的地に着くだろうが、司は次の駅で降り、逆方面の電車に乗りかえる。聡一の家の最寄り駅に着いたがそこでは降りずに乗り続けていると、やはり途中であたりが暗くなり、聡一の家の最寄り駅に戻ってきてしまった。


 同じことをもう一度繰り返し、司は聡一の家の最寄り駅で電車を降りた。こういった場合の運賃はどうなるのだろうかと現実的なことを考えながら窓口へ行き、外へ出たい旨を告げると、無表情にうなずいた駅員が切符を回収しただけで終わってしまった。本来なら何かしらのやり取りがあるはずだがそれもない。


 駅舎を出て、司は「ゲームかよ」と心の中で呟く。

 朝にマスクを買ったコンビニの店員も、先ほどのアヤも、今の駅員も、誰もが自分で何かを思考している様子はなかった。インプットされた言動の中から適当と思われるものを選び、役割を演じているだけのように見える。まるで、ゲームを進行させるためのノンプレイヤーキャラクターのようだ。

 そう考えると友介と知穂は確かに他と違う。これはユクミが「二人は陽の気配を感じる」と言ったことと当てはまるような気がした。



***



 駅から十分ほどの道のりは記憶の通りだった。やがてこの異界でも、記憶の通りに一軒の家が見えてくる。

 聡一たちが住む、和モダンな家だ。


 司はぐっと唇を噛んで家を見上げる。

 普段なら車庫には黒いミニバンが停まっているはずだが今は空だ。誰もいないのかもしれない。

 呼び鈴は鳴らさずに門に手を掛けて乗り越え、カーテンの閉まった家をぐるりと巡ってみる。残念ながら人の気配はない。


(留守か。家でも壊したら出てくるか?)


 捨て鉢でそんなことを考えたりもする。

 どうせあと半日で消えるのならせめて聡一に一矢報いてやりたいと思ったが、結局は先ほどと同じく無様な姿をさらすだけで終わるだろう。


(俺にできるのはせいぜい、婆ちゃんや友介たちにこの異界の土産話をしてやるくらいだもんな……)


 司は納賀良家を後にすると誰もいない道を移動し始めた。初めはゆっくり、途中からは走って。

 先の方に線路が見えたところで道を折れ、線路と平行に道を行く。いくら走っても息が切れないのはありがたい。

 そうして陽がゆるやかに傾き始める頃、司は前方がぽっかりと暗くなっているのを見た。きっとあそこが先ほど電車の中から見たトンネルのようなものに違いない。


 しかしトンネルではないということはすぐに分かった。前はおろか、左右もずっと真っ暗なのだ。道はもちろんのこと、横のブロック塀が途中で終わっていて、家の建物が半分が消えている。

 日陰ではない。建物の輪郭すら見えない日陰などありえない。まるでここから先は世界を切り取ってしまったかのようだ。

 暗闇の直前までゆっくりと歩み、そこで司は動きを止める。おそるおそる下を覗き込むが、真っ暗で何も見えない。


「どうなってるんだ?」


 この世界には果てがないのかもしれないと司は思っていた。

 だがそれは思い違いで、もしかするとここが果てなのだろうか。ならばさほど世界は広くないのかもしれない。


 先ほど電車に乗った時のことを思い出す。この先に進んだのなら、司はまたこの場所へ戻ってくるだろうか。

 どうするべきかを悩み、意を決して足を踏み出そうとしたときだった。


 道に忽然と『続き』が現れた。


「うわっ!」


 ブロック塀は向こうの道まで出現しているし、家は瓦屋根の先端まできちんと姿を見せている。その先の道には有名なコンビニエンスストアがあって、マンションが建ち、美容室が見え――そこでまた闇が世界を切り取っていた。まるでこの異界の端が伸びたようだ。


 少し悩み、司はコンビニエンスストアまで歩み寄ってみた。自動扉開いて電子音楽が鳴る。店内に商品は並んでいるものの誰もいない。記憶より低いレジカウンターを越えると事務所と思しき室内があるが、そこも机や椅子、パソコンなどの物だけが存在していて人の姿はなかった。


「……なんだ、これは」


 バックヤードやトイレも含めて無人であることを確認し、司は再び自動扉から外へ出る。もう一度闇の方へ顔を向けてぎくりと体を強張らせた。

 暗闇の向こうから何人かの人が現れたのだ。


 性別も年齢も様々の人たちはそれぞれが近くの建物へ吸い込まれるように入っていく。司の横を通ったコンビニエンスストアの制服姿の人物も、店の中に消えて行った。

 少し考えてから司は再びコンビニエンスストアの自動扉をくぐる。先ほどと同じ電子音楽と共に、今度は無機質な「いらっしゃいませ」という言葉が出迎えた。

 誰もいなかったはずの店内では、制服を着た人物がレジカウンターの向こう側でぼんやりと立っていた。


 司は店員の傍まで歩み寄る。


「どこから来たんだ?」


 バーコードリーダーを手にした店員が焦点の合わない瞳で司を見る。


「いらっしゃいませ」

「さっきまでここにいなかったよな?」

「いらっしゃいませ」

「お前は何者だ?」

「いらっしゃいませ」

「猿の隠邪や聡一を知ってるか?」

「いらっしゃいませ」


 同じ言葉を繰り返す店員の前に手近な商品を取っておいてみる。緩慢な動作でスキャンを行う店員に向かって司は右手の刀印を向けた。


隠邪逐滅おんじゃちくめつ――烈斬れつざん!」


 手ごたえと共に店員が霧散した。バーコードリーダーが台にぶつかる音を聞きながら、司は想像が当たっていたことを実感する。


 ユクミはこの異界の人たちが陰の気ばかりだと言っていた。

 それから推察すれば良かった。ここにいる人たちはおそらくは皆が隠邪なのだ。

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