10.秘密

 もしも、と司は考える。

 住人のすべてが隠邪ならば、この異界は『元の世界によく似た隠邪だけの世界』なのかもしれない。

 本来なら隠邪は獣や爬虫類などに似た姿をしている。人の姿を取るなど聞いたことはないが、異界ならそのような不思議も起こりうるだろうか。


(だとすれば、ここにいる隠邪を全部倒せば異界は消える?)


 異界に隠邪がどれほどいるかは分からないし、自分の力がどれほど持つのかも分からない。そもそも司に残る時間だって多くないが、それでもやってみる価値はあるだろうか。

 そう考えた司が他の人物を消すために外へ向かおうとしたとき自動扉が開いた。入って来たのは先ほどと同じ店員だ。小さく呻き、司は右手に印を作る。


「隠邪逐滅――烈斬!」


 店員が消滅する。しばらく待ってみると、やはり同じ店員が現れた。


隠邪逐滅おんじゃちくめつ――清浄しょうじょう!」


 さらに同じ店員が。


「隠邪逐滅――烈斬!」


 そうしてまた店員が来て、消して、来て、消して。

 司が消すたびに同じ姿の店員は延々とやってくる。


(くそっ、しつこいな! だけどなんで一人ずつ、しかも同じ店員が来るんだよ?)


 理由は分からないが、他の場所でも同じことになるのなら異界の隠邪すべてを倒すなんて不可能だ。

 コンビニの中から隠邪が出現しても良さそうだがそれはないので、もしかしたらあの闇からしか出現しないのかもしれない。


 またしても扉が開き、無表情な店員が「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ」と呟きながらゆらゆらと入ってくる。それに向かって右手の刀印を構えたとき、店員の後ろに小さな影が見えた。


(ユクミ!?)


 司は思わず動きを止めた。

 小さな人物は開いたままの自動扉から店内を覗く。そこで司に目を留めて「わあ」と声を上げた。


「つかさくんだ!」


 いたのは知穂だった。


 自分の胸の中に去来した感情が落胆だったことに司はまず驚く。次に、知穂に対してどのような態度を取るべきかを悩んだことも。

 この世界において聡一は創造主ともいえる存在のはずであり、その聡一に近い場所にいるのが知穂だ。知穂を人質にすれば聡一も司の言うことを聞くかもしれない。


 店員はのっそりとした動きでレジカウンターの向こうに入った。聡一も美織もここにはいない。知穂と司を遮るものは何もなく、しかも知穂は司に向かって駆け寄ってきている。これは好機ではないだろうか。

 司は右手でそっと刀印を作る。


 本来の世界で知穂がいなくなった後、聡一はひどく取り乱して冷静ではいられなくなった。もしかするとこの異界でも同じことが起きないだろうか。知穂が消えた聡一には、隙が出来たりしないだろうか。

 そう考える傍らで、司は自分の考えがうまくいかないことを既に悟っている。

 あの聡一のことだ。自分がどうなるかの想定しているはず。なのに司のことも知穂のことも自由にしているのだから、司は知穂に危害を加えられないか、もしくは知穂もこの店員のように何度でも現れるのかもしれない。


(まあ、試してみるか。どうせ俺は遅かれ早かれいなくなる)


 司は顔の前で印を構える。

 これで聡一に一矢報いることができたらいい。


 しかし司は最終的に右手を下ろし、印を解いた。屈託のない笑顔を見せたままの知穂に術を使うことがどうしてもできなかった。

 こんな異界にいて、隠邪にたちに囲まれ、ユクミまで連れていかれたというのに、まだ知穂に術を向けられない自分の甘さがなんだか情けない。


「つーかーさーくーん!」


 一方の知穂は司の葛藤もどこ吹く風で、いつものように抱きついてきた。司の腰の辺りで黒い瞳がキラキラと輝く。


「つかさくんも、お買いもの?」

「ああ、まあ……。知穂ちゃんは一人でここまで来たのか?」

「ううん。ママといっしょだよ。あたしが『一人でお買いものしたい』って言ったから、ママは車でまってるの」


 見ると駐車場には見覚えのあるミニバンが停まっていた。司も何度も乗ったことがある車だ。先ほど納賀良家の駐車場が空だったのは、やはり美織と知穂がでかけていたためらしい。


「そっか。じゃあ、聡……いや、パパは?」

「パパはおしごと。きのうも、その前も、ずっとおしごとだよ」


 言い切った知穂の顔が曇る。


「パパはね。毎日、あたしのためにおしごとしてるんだって。だからあたしはいつも、ママとおるすばんなの。……だけどあたし、パパにおしごとなんてしてほしくない。本当は、パパとママといっしょにいたい。そうしたらあたし、他にはなんにも、いらないのに……」


 そう言って知穂は黙った。


 この異界には時間の概念があり、一応は『過去』もあるようだが、それはあくまで設定として植え付けられた記憶であり、連続した時間軸による『昨日』ではないことは司も体感したし、友介の言葉からも察せられた。

 だけど知穂の言葉はなんだか友介から聞いたものは違うように思える。司と同じように“続きの今日”を生きている感じがするのだ。


(気のせいか?)


 踏み込んで尋ねてみたいが、この違和感をどう表現していいのか分からない。

 迷いの中で沈黙を破ったのは「ピ」という電子音だった。続いて店員が無機質な声で値段を告げると、知穂が顔を上げ、レジカウンターを見てにこりと微笑む。


「つかさくん。いっしょに食べるんだね」


 何のことか、と思いながら司もレジカウンターの方を見る。

 そこに置かれているのは三本入りの団子だった。どうやら司が先ほど適当に手に取った商品はレジ前に置かれたこの団子だったらしい。

 店員は正面に顔を向けたまま、焦点の合わない瞳で値段と「お支払いはどうなさいますか」 との言葉を虚空に向かって投げる。


 別に団子が欲しかったわけではない。店員の反応を見るために適当に置いただけの品なので買わずにこのまま出たって構わないのだ。だけど知穂が小首をかしげて、


「どうしたの? 買わないの?」


 と不思議そうに問いかけてくるので、司は仕方なく青い巾着を取り出す。支払いが終わって団子を手にすると、「良かった」という明るい声がした。


「あのね。前に見たご本にかいてあったよ。“しょくたくをかこむ”と仲良くなれるんだって! つかさくんも、もっと仲良くなれるといいね!」


 司に向かって嬉しそうに笑う知穂は、司と“誰”との話をしているのだろう。


「あたしもー、おだんごにしよ! えっと、ふくろは、いらないです!」


 言いながらカウンターに手を伸ばした知穂の姿を見て司は気づき、辺りを見回して納得した。

 このレジカウンターも、棚も、本来の世界より低い位置にある。


(……なるほどな……)


 支払いを終えた知穂は団子を大事そうに持つと、司に顔を向け、


「つかさくん! またね!」


 と言って自動扉へ向かう。

 知穂はどうやらご機嫌のようだ。小さな背からは小さな歌声が聞こえてくる。


「こぎつね きつね 

 はんぱな キツネ

 なかまに 入れてと なく キツネ……」


 司は目を見開いた。これは司がふと口ずさんだ時、ユクミが「いやなうた。もう、うたわないで」と言った歌ではなかったか。


(そうだ。知穂ちゃんが歌ってたから、俺はこの歌を知ったんだ)


「知穂ちゃん! そのキツネの歌はどこで覚えたんだ!」

「んー?」


 自動扉の手前で立ち止まった知穂が振り向く。


「この歌はね、ママがおしえてくれたんだよ」

「美織さんが……」


 それは意外な返事だった。


「知穂ちゃんはその歌について、何か他に知ってることはある?」


 問われた知穂は小さく首を傾げる。左右二つに結んだ長い髪がさらりと揺れた。あれも美織が結んだのだろうか。


「あるよ」

「本当に? それを教えてほしいんだけど」

「ダーメ」

「頼むよ、知穂ちゃん」

「ダメったらダメー」


 知穂の表情は強固だった。気まぐれや意地悪で「ダメ」と言っているようには見えない。


「どうして駄目なんだ?」

「ナイショにするって、ママとやくそくしたんだもん。だからパパにも、つかさくんにも、ナイショなの」


 知穂は人差し指を唇に当てて笑い、再び司に背を向けた。そうして歩き出そうとし、ふと思い出したように立ち止まって上を見上げ、


「サクラ。きれいだね」


 そう残して自動扉を開け、今度こそ歩み去った。車から美織が出てくる。あそこにいる美織は何か知っているだろうかと考え、司は首を横に振った。

 知穂は「パパにも」内緒、と言ったのだ。

 以前、ユクミは「知穂と友介に陽の気を感じる」と話していたが、美織の名前は出さなかった。ならばきっとそういうことだ。美織の会話や行動パターンが多いのは、聡一の最も近くにいた人物だからという理由でしかない。


 司は美織が知穂をジュニアシートに乗せる様子をぼんやりと見つめ、車のエンジンがかかる頃に店を出た。店員が隠邪なことは分かっていたが、今は術を使う気になれなかった。


 走り去る車の窓から知穂が手を振ってくるのに緩く手を振り返し、司は道へ出る。

 世界の果てと思しき場所はコンビニエンスストアに入るときより遠ざかっていた。そちらを右側に見ながら司は歩き出す。


 ビルの一階にある美容室では美容師らしき男女がぼうっと立っていた。お洒落なカフェでは店員が一枚の皿を延々と拭き続けている。不動産業者や保険受付窓口に明かりがともっておらず、中に人もいないのは、“今日”が土曜日だからか、それとも、小さな女の子が訪ねてくることはないからか。


 司は少し前にこの世界をゲームのようだと思った。ならばこの世界の主人公は女の子だ。


(そうだ。女の子なんだ。……五歳の)


 ビルの隙間から誰もいない公園が見える。植えられている木の中には桜もあるようだ。

 一月の今は桜の花なんて、コンビニの店内はもちろんのこと、あの公園にだって見当たらない。

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