第21話 暗夜

    ⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

 午後十時を過ぎた頃。

 陽の光で明るい外の街とは裏腹に、天門台の病室には優しいオレンジ色の光がポツリとだけ照らされていた。

 夜が無くなったこの世界で暗闇はもはや贅沢品。

 しかし技術という業はあらゆる贅沢を叶え、そして私達に与えてくれる。

 『暗夜灯ブラックナイト』の光は人類に夜という感覚を取り戻してくれた。


 そんな贅沢な夜の光を頼りに、一人の栗毛の女性が一人、読書に勤しんでいる。

 ゆっくりとした断続的な息遣い、ペラリとめくられるページの音。過ぎて行く時を忘れるのに充分なほど、女性はこの憩いの時間をこれでもかと堪能していた。


「はぁ…………。あいにく、天門台の病床も限られている。いつ何処で緊急の患者が来るのかわからないのだ。健康であるのなら速やかに退院し、自分の部屋でそうしてもらいたいのだがね。……………………メイア」


 そんな憩いの時間に水を差す者が一人。

 その人物は普段の厳格で真面目な態度とは程遠い、気さくながらも呆れたような声色を奏でながらベッドの側にある椅子に腰掛ける。

 そんな訪問者に女性は朗らかな笑みを浮かべながら本を閉じた。


「……………支部長さんはつれないわねぇ。ヴィーナスと激しい戦闘をしたおかげで私の身体もボロボロになっちゃったのよぉ。少しぐらい贅沢させてくれてもいいんじゃないかしらぁ」

「何がボロボロだ。陣光衛星じんこうえいせいは木っ端微塵になっていたが、お前は傷一つ無かったじゃないか。さすがは天門台最高戦力と言ったところか?」

「天門台最高戦力ねぇ。今はその渾名が皮肉みたいで憎ったらしいわぁ。………………私のサポートが至らなかったからイブキさんとハトさんにあれだけの重症を負わせてしまったのよぉ」

「…………それを言ってももう後の祭りだ。そんなことよりも聞きたいことがある」


 そう言ってエレンはタブレット端末を操作してあるページを見せた。

 そこには『十芒星・ヴィーナスのレポート』と題名が書かれており、その作成者の欄にはメイアの名前が書いてある。


「このレポートについて質問がある。聞かせてくれるな?」

「もちろんよぉ。それで、何が聞きたいのかしらぁ」

「お前が劇場で見た夜の森の光景。そしてヴィーナスによる精神干渉についてだ」


 エレンからの問いにメイアは困ったような笑みを浮かべる。


「と、言われても、そこに書いてある内容以上のことはよくわからないわぁ」

「……………はぁ、質問を変えよう。まずお前が受けた精神干渉について。レポートでは『ヴィーナスの歌声を聴いていたらいつのまにかヴィーナスという存在が愛おしく思ってしまった』とあるな。これを具体的に説明しろ」

「そうねぇ、簡単に言えばあのホシの事を『おばあちゃんみたいな存在』と感じてしまったのよぉ」


「おばあちゃん…………君の祖母のことか?」

「そうよぉ。知ってると思うけど私ってかなりのおばあちゃんっ子だったでしょぉ。ヴィーナスの歌を耳にした時にね、目の前におばあちゃんが現れたみたいに感じたのよぉ。それでおばあちゃんに駆け寄ろうとした時にイブキさんが防護装置が作動して、正気を取り戻せたのぉ」

「…………なるほど。ヴィーナスの精神干渉とは、対象者が心を許せる存在の幻覚を見せるということか。そして…………対象の思考を操ることができる、と」

「あら、何かわかったのねぇ」


 エレンはメイアからの話をまとめながら、タブレット端末に何かを打ち込んだ。

 その様子をメイアはのほほんとした表情を浮かべながら眺めている。


「それで、夜の森については? レポートでは『ヴィーナスが叫びながら発した光を浴びて気絶。その後目覚めた時にはすでに周囲の景色が森に変わっていた』とあるが」

「………………申し訳ないけどこれに関しては本当にわからないのぉ。ただヴィーナスの叫び声に合わせて、森の木が攻撃して来たわねぇ。あと陣光衛星じんこうえいせいの最大出力のバリアを破壊する攻撃を浴びても森の木には傷一つついていなかったわぁ。レポートにもそう書いてあるでしょお?」


「本当に理解不能だな、だが十芒星という敵の最高戦力がやった行動だ。何かしらの力を持っているというのは確かだろう。他の十芒星にもこの力があるのかどうか………………厄介だな」

「ふふふ、やっぱり支部長は大変ねぇ」


 エレンはタブレット端末に報告の内容を打ち込み、メイアは読書の続きへと戻る。

 そうしてしばらく、二人の間に長い沈黙が生まれた。


 黙々とした時間が過ぎ、時計の長針が八の数字を刺した時、エレンがタブレット端末を操作しながら、ポツリと言葉を零した。


「………………まだ続けるのか?」

「あら、なんのことかしら」

「とぼけるな。まだ前線の戦いを続けるつもりなのか?」


 おそらくそれは何度もメイアへと掛けた問いなのだろう。その声色からは呆れ半分、真面目半分の感情が滲み出ている。

 一方問われたメイアは読んでいた本に栞を挟みながら、半分の嬉さと、半分の悲しみを込めた表情で返す。


「ええもちろん。私は最後まで前でみんなをサポートするつもりよぉ。もちろんエレンのこともねぇ」

「まったく、こちらの気苦労も考えて欲しいのだがね。それに陣光衛星アレのメンテナンスも結果大変なんだ。工廠課の修理工が言っていたぞ『なんであんな古臭いアンティークをわざわざ使ってやがるんだ!』とな」

「うふふ、みんなには本当に感謝してるわぁ」

「だが、今のお前に頼らないといけない我々の現状にも問題がある、か。…………それでも」


 ━━━━━ピピピピ


 その時だ、エレンの携帯端末から甲高い機械音が鳴り響いた。


「私だ、………………なんだと、今は立ち入り禁止時間だぞ?」

「………………?」


 報告を受けたエレンは驚嘆の声と共に椅子から飛び上がった。その様子はまるで藪から蛇が飛び出して来たかのような驚きぶりだ。


 ━━━━━そしてその後に続く言葉に、メイアも驚嘆の声を漏らすことになる。


「ハトが………………芒炎鏡を持って収容区画に侵入しただと?」

「…………え?」

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