第19話 侵友

    ⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

『検査の結果、被検体Aの精神は寄生前より大きく変化している。

 時折自身の親指を口の中に咥えたり、収容室内を落ち着きなく動き回る様子から、六歳児程度まで精神年齢が低下していると思われる。

 現時点ではヴィーナスに寄生されたことによる被害は無いが惟然として油断はできない。面会する際は細心の注意を払うこと』


 イブちゃん………………、いやイブちゃんの精神に寄生しているヴィーナスに合うためにわたしは再び天門台の収容区画の地下通路を進んでいた。

 その両手には小さな風呂敷。幸いこれの持ち込みはエレン支部長が許してくれた

 今から彼女に会うのが本当に怖いヨ。でもわたしは決めたんだ、だから行く。


「着いた、…………行こう」


 そうして収容区画の最奥『Zー9』へと辿り着き、その重い扉を開いた。


「…………あっ! おねーちゃん!」


 その扉を開いたその先には、まるで夜空に輝く星のような綺麗なイブちゃんの笑顔がわたしを出迎えた。

 そして彼女は元気なワンちゃんのように、パタパタとわたしの下に駆け寄って来た。


「おねーちゃん! あーそぼ!」

「………………落ち着いテ、わたしは逃げないからネ。ほら、あそこに座りましょう」


 わたしは彼女と一緒に部屋にある小さなテーブルに腰を下ろした。

 でもイブちゃんの姿をした彼女はテーブルに座っても元気にわたしのことを「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と両手を上下にぶんぶん振り回していた。


「ねーねー、おねーちゃん! あそぼうよ!」

「あのね、お姉ちゃんってあなたのことがよくわからないの。だからあなたのことを教えて欲しいナ?」


 彼女の目線に合わせながら優しく語りかけた。

 するとわたしの気持ちが伝わったのか、彼女は「わかった」と言ってはしゃぐのをやめてくれた。

 とはいえ足をバタバタしていることからまだまだ興奮した様子は収まっていないようダ。本当に子供みたいだネ。まあ身長は彼女の方が高いけド。


「わたしはハトって言うんダ。あなたの名前はなんて言うの?」

「えっとねー、しゃーな!」

「しゃーな…………、シャーナって名前なノ?」

「うん!!」


 混じり気の無い笑顔。どうやら嘘じゃないみたい。

 シャーナ、その意味は━━━━星。

 まったく、アイツらはどこまでも這い寄って来るんだからうんざりすル。

 でもその感情を顔に出すことは無い。ただただいつものように振る舞うだけダ。


「そうだな…………シャーナちゃんは何か好きなことはあるのかナ?」

「あるよ! うたを歌うのがすき!」

「へえー、どんな歌が好きなノ? お姉ちゃんに聴かせてくれル?」

「うんいいよ!」


 そう言ってシャーナちゃんは目を瞑り、頭を左右にゆらりゆらりを揺らしながら歌い始めた。


「ラララ〜ラ〜ラ♪ ラララ〜ラ〜ラ♪ ラララ〜ラ〜ララ♪ ラララ〜ラ〜ラ♪ ラララ〜ラララ〜♪ ラララ〜ラララ〜♪ ラララ〜ラ〜ラ〜ラ〜ラ〜♪」

「……………………おおー、すごい上手いネ!」


 イブちゃんの声から発せられたまるでベルのような綺麗な音色。その音色から発せられたのは世界中の誰もが知っているメロディ。


 ━━━━そして、あの寂れた劇場で金色の十芒星ヴィーナスが口ずさんでいた『小さな世界』の旋律だった。


「……………………」


 背中を覆う鳥肌で身体が凍ってしまいそうな感覚になる。

 『目の前にいる存在はわたし達の敵なんだ』と、背けたかった忌まわしい一言がまるでこびり付く泥のように脳裏から離れない。

 

 でも、その敵は誰よりも純粋で、悲しいぐらいに優しかった。


「おねえちゃん………………だいじょうぶ? どこかいたいの?」


 シャーナちゃんだ。身体が凍り、震えていたわたしに敵である彼女が声を掛けて来たのだ。

 そこに悪意とか敵意みたいな黒い感情は一切無く、ただ本当に心配で不安そうな声で語りかけている。

 まるで、━━━━━イブちゃんみたいに。


「………………違うヨ、少しお腹が空いただけなんダ」

「あっ! そうだったんだね、しゃーなもおなかすいたなー!」

「それなら………………」


 そう言って持って来た風呂敷をテーブルに置いて中身を広げた。

 それは小さなお弁当箱。いつもイブちゃんのために作っていた渾身の一箱だ。


「一緒にごはん食べようカ。お姉ちゃんお弁当作って来たんダ」

「ほんと! たべたい!」

「それじゃあお弁当を広げるネ」


 そう言ってお弁当を開いて中を見せる。

 卵焼きにきんぴらごぼう、タコさんウインナー、そしてミニハンバーグ。

 全部イブちゃんが好きだった食べ物。悲しみや憎しみに囚われていたイブちゃんが唯一心からの笑顔を見せてくれた大切な存在。


 そんな弁当の中身を見たシャーナちゃんも、口元によだれを滴らせながら目を輝かせていた。


「わあ…………!」

「それじゃあ…………」


 『いただきます』

 二人で声を合わせ、こうして少しだけ遅い昼食が始まった。

 精神が幼い星ちゃんはまだ箸の使い方がわからない、だからわたしが彼女に食べさせる。


「はい、あーん」

「あー」


 そうして卵焼きを食べさせると「ふわふわ!」と言いながら笑顔を浮かべてくれた。続けてタコさんウインナー、きんぴらごぼうも美味しそうに食べてくれた。

 そしてハンバーグ。


「はい、ぱくりと食べようね」

「うん! あーん」


 わたしの言葉に言われるがままにハンバーグを一口で頬張り込んだ。

 染み込んだ肉汁が口の中を巡り、特製のデミグラスソース、そして。


(━━━━━隠し味の刻んだピーマン。イブちゃんにいつもしていたイタズラ)


 それはわたしの最後の最後の抵抗だった。

 もしかしたら、このハンバーグの味が小さく残ったイブちゃんの自我を呼び覚ましてくれるのじゃないか。

 ピーマンを食べた彼女がまるで夢から覚めるように、涙を瞼に浮かべながら「ハトちゃん…………?」と言ってくれるはず、と。……………………だけど。


「おいしい! おねえちゃん、このハンバーグすごいおいしい!」

「………………そう、ありがとうネ」


 わたしの無駄な抵抗は無残に散ってしまうのだった。


 その後、昼食を食べ終えたシャーナちゃんは、お腹がいっぱいになりそのままベッドの中で夢の世界へと旅立ってしまった。


 そしてわたしはホシちゃんの側に座りながら、天井に浮かぶ虚ろを眺めていた。

 結局さっき支部長室で誓った決意が実ることは無かった。ただイブちゃんが生きているかもしれないという希望に一人で盛り上がって、そして勝手に砕け散っただけ。


 ━━━━━そしてその元凶はすやすやと寝息を立てて眠っている。


「………………」


 と出会った時の記憶を呼び起こす。

 イブちゃんの顔をしながら、まったく違う笑顔を浮かべている彼女との一幕を。


『ねーねー、おねーちゃん! あそぼうよ!』

『おねえちゃん! おべんとうおいしいね!』

『おねえちゃん………………だいじょうぶ? どこかいたいの?』


 その度に二つの感情が脳裏を過ぎる。

 憎しみと、━━━━━親愛の感情が。


「っ………………!」


 イブちゃんを殺したコイツが憎い、イブちゃんの身体を乗っ取っているコイツが忌々しい!なのにわたしの心はとても温かく、愛おしい気持ちに包まれていた!

 本来敵であるアイツに! ━━━━イブちゃんを殺したであろうヴィーナスの精神であるシャーナちゃんをあろうことか守りたいと思ってしまっていた!

 

 自分のことが怖くなる! 自分のことが恐ろしくなる!

 憎しみと慈しみ。心の中の背反する二つの感情がぐちゃぐちゃに混ざり合って吐き気を催してしまいそうだ。まるでな夢の世界に囚われしまったみたいに。


「はぁ………………なにやってんだか、わたし」


 ぐちゃぐちゃになった泥を吐き出すように言葉を漏らす。

 その問いに答える人は誰もいない。星ちゃんの寝息だけが広い室内に反響するだけ。

 その時にを、わたしはまだできていなかった。

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