第18話 報告

    ⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

 慌ただしい足取りで収容区画を後にしたわたし達は、長い長いエレベーターを登り天門台ニホン支部の最上階へと移動した。

 そして自動ドアを潜り抜け、エレン支部長の執務室へ。普段ならガラス張りの窓から見える外の広大な景色に思わず心を奪われそうになるが、今のわたし達にそんな余裕は無かった。


「そこに掛けてくれ。急なことでお茶は出せないが我慢してくれ」

「わかりましタ」


 エレン支部長はわたしに応接用ソファへ座るように促しながら、自身のデスクからいくつかのファイルを取り出していた。

 A4の紙に書き記された情報。たぶんさっきのイブちゃんに関係するものだ。

 そしてエレン支部長は三枚の書類を片手に、わたしの座っている反対側のソファへと腰を下ろした。かなりの勢いがあったからか、ドンというソファの悲鳴が聞こえて来る。


「まさか彼女が目覚めるとはな…………。事前の検査では目覚める可能性は低いとされていたがこれは予想外だ」

「あの、さっきのイブちゃんは何だったのですカ? まるで子供みたいになってましタ………………」

「………………、結論から言えば、彼女はイブキであり、イブキではない。その存在は別の者へとなっている」

「別の者…………? 誰なんですか、それって?」

「君の疑問の答えはここに書いてある。読んでみてくれ」


 そう言ってエレン支部長は三枚の書類をテーブルの上に置いた。

 その内の二枚はとある報告書で、一枚は何か小さな光を写した写真だった。


 その内の一枚、研究課主導で行った検査の報告書を読み始める。



『天門台戦闘部隊所属隊員イブキ(以降被検体Aと呼称)の状態の報告並びに検査要請。

 作成者:医療課主任 マキ・アサナミ


1.被検体Aの状態について・検査目的

 被検体Aが医療課に搬送された時点では脈拍、心臓の停止し間違い無く脳死状態であり医療課主任より脳死の診断を受けていた。

 しかし診断を受けてから約三分後、被検体Aの心臓が稼働を再開、脳の活動が再開し蘇生した。(補足:蘇生した時点でホシによる火傷痕は消失。壊死していた右腕も回復し問題無く動作した)

 

 以上の現象は本来の人間の機能では不可能であり、被検体Aの肉体が何らかの理由で変異した可能性を考え、研究課に精密検査を願う』



 その異様としか言えない内容に息を飲んだ。

 確かにわたしが最後に見たイブちゃんは顔は火傷により酷く焦げ付き、肌はまるで氷のように冷たく、間違い無く死体のそれであり、わたしの心をこれでもかと揺さぶった。

 しかしさっき見たイブちゃんの姿はまさしく健康そのもの。まるでヴィーナスとの激しい戦闘なんて最初から無かったかのようだった。


「そしてこの書類が研究課からの報告書だ。イブキの検査結果が………………、の検査結果が書いてある」


 エレン支部長のという言葉に含まれる強い敵意。それほどまでの敵意を向けた相手をわたしは知っている。

 しかしその真意はまだわからない。まさかとは思いながらもわたしは研究課からの報告書を手に取るのだった。



『被検体Aの検査結果に対して脳波検査、精神検査、星物反応検査の検査結果。

 作成者:研究課主任補佐 ハロルド・フォルティン・メイ


1.脳波検査

 脳波の異常は無し。δデルタ波の状態を維持。


2.精神検査

 潜在意識の奥底に大きな異常を発見。より深く検査した結果、本来なら一つしかない自我が二つ確認された。

 解離性同一症の症状と類似、しかし自我形成において細かな部分で症状が異なる。


3.星物検査

 被検体Aの体内から強力な星物スター反応リアクションを確認。反応を調べた結果『十芒星・ヴィーナス』と同様のものであると結論付ける。

 この星物スター反応リアクションは被検体Aの身体構成にも強い影響を与えており、先の蘇生と壊死部分の回復はこの星物ホシによるものと推察する』



「…………ナ…………ニ、コレ?」


 イブちゃんの中に十芒星ヴィーナスがいる。そのとんでもない内容に震えた手が止まらない。


 ありえなイ。こんなの嘘ダ、悪い夢なんダ。

 この事実を否定しようと何度も頭を左右へ振っても、悪夢が目覚める事はない。ただどうしようもない喪失感だけがわたしの心の中に募り続けていた。

 

「いや、違う、違うよ。こんなの絶対に違う…………! イブちゃんが!!」

「気持ちはわかるが落ち着け! まずはその報告書をテーブルに置くんだ」

「………………はい」


 エレン支部長に宥められたわたしは言われるがままに報告書をテーブルの上に置きソファへ背中を預ける。この羽のような柔らかい感触が今は少しだけ憎たらしく思った。


「大丈夫…………ではないか。親友の中に憎むべき敵の反応があるのだからな。だがまずは気をしっかり持て」

「…………うん、もう大丈夫。少し取り乱したけど支部長のおかげで冷静になれた」

「よし、では続きを読んでみてくれ。………………そして、向き合ってくれ」


 そうしてわたしは再び報告書を手に取り続きを読み始めた。



『4.考察

 過去の映像資料やヴィーナス討伐作戦の報告書によると、十芒星・ヴィーナスは強力な精神攻撃を得意されており、人間の精神に寄生を行える可能性があると推察できる。

 被検体Aはヴィーナス討伐作戦において十芒星・ヴィーナスへ多く接触しており、その被弾が多いことも確認した。


 以上の情報を踏まえ被検体Aの異常の原因を、被検体Aに十芒星・ヴィーナスが精神寄生を行ったものであると推測。

 そして精神が寄生されたことにより、十芒星・ヴィーナスの影響が被検体Aの身体にまで及び、急激な蘇生と回復が行われたのでないかと考察する。


 *ヴィーナスの資料が少ないからこの推察を断定することはできない。あくまで判断材料の一つ程度として扱ってくれ』

 


「精神寄生…………」

「ホシという存在について、人類が知っていることはあまりにも少ない。イブキの状態に関してわからないことが多い。精神寄生というのも報告書の作成者が何とかわかりやすい表現で伝えようとした結果なのだろう」


 確かにホシが人類を襲撃し始めてから五年という月日が経ってもヤツらのことなんてわからないことだらけだ。

 そんな二進も三進も行かない状況でこんな大変なことをやらされているんだ、この報告書を書いた人の苦労が目に浮かぶヨ。


 そんなことよりイブちゃんだ。今のわたしは顔も知らない人のことを気にする余裕は無いんダ。


「すぅ…………はぁ…………、よし」


 覚悟を込めた深呼吸をして、わたしは最後の項目へ目を通し始めた。



『5.結論

 現在被検体Aの意識が回復する気配は無く、現時点で我々に害を及ぼす可能性は低い。しかし万が一意識が回復した際にどのような被害が発生するのかも未知数である。

 しかし被検体Aは貴重な研究資料であり、今後の防衛活動に多大な貢献が期待されている。


 以上の診断結果と未来に起こり得る可能性を参考に、天門台ニホン支部長エレン・アンドーに被検体Aを処分するかどうかの判断を仰ぎたい。

 

 補足:研究課主任補佐の権限により、本報告書を最重要機密資料とする』



「………………」

 

 最後まで読んだわたしは話す言葉を失いまるで愉快な舞台劇よように項垂れるようにして報告書を手放した。

 わたしの頭の中では報告書の最後に書いてあった『処分』という文言、そしてその判断を任された人の名前が駆け巡っていた。


 その人物、━━━━エレン支部長の顔をじいっと見つめる。


「処分って…………イブちゃんを殺すってこと?」

「…………そういう事だ。まったく、研究課も厄介なことを押し付けてくれたものだ」


 エレン支部長は自嘲するような乾いた笑みを浮かべた。


「そんな、せっかく助かったのに…………」


 俯き、そして悲しみに浸る。

 しかしこの時のわたしはわかっていなかった。わたし以上に辛い思いをしている人物が居たことに。


 ━━━━ドンッ


「エレン支部長…………?」

「悪いね。彼女の報告があってからろくに休めていなかったんだ。少しだけ楽にさせてくれ」


 ソファに背中を預けながら天井を仰ぎ見たエレン支部長。その瞳には焦燥と当惑の感情がこれでもかと満ちていた。

 そうなんだ。エレン支部長はイブちゃんを殺すかどうかの判断を押し付けられたのだ。


 ヴィーナスに精神寄生された結果起こり得る未来の損害と利益、この歪な天秤を元に一人の少女を殺すかどうか決める。その苦労は計り知れないはずだ。


「………………この問題を判断するに当たって主要四課の主任にどうするべきかの意見を求めた。『ホシの力を取り込んだ者が存在した場合どうするべきか』とね。前線から近い戦闘課と工廠課の主任は『そんな存在は危険極まりない。即刻排除するべきだ』と答えた。人が死ぬ光景を間近で見た者の正直な意見だな。逆に裏方の研究課と戦術課の主任は『その力は人類の新たな力になる。処分するには惜しい』と言った。………………天門台内で完全に意見が割れた」


 乾いた笑みと共に頭を抱えるエレン支部長。おそらくここに来るまでに各課の主任から様々な情熱的な意見を頂いたのだろう。


 たぶん、わたしも同じ立場になったらこんな風になると思ウ。

 人の命の手綱を握るなんて心だけで責任という重りを背負うことと同じダ。そんなのあまりにも重すぎる。身体も心モ。

 選択肢は二つだけなのにそれを選ぶためのしがらみが多すぎる。こんなの病んでしまったも仕方がないはずダ。


「………………なんでわたしにそんな大事な話をしたんですカ?」

「君はイブキと親しかったからな。そんな君の意見を参考にしようと思って彼女の下まで連れて行ったのだが……………、まさか意識が回復しないと思われた彼女が覚醒してしまうとはね」

「そ、それハ…………」

「わかってる、これは仕方がないことだ、君やイブキには何の責任も無い。悪いのはこうして君に重大な選択を押し付けようとした私だ」


 そう言いながらエレン支部長はテーブルに置かれた資料の最後の一枚、━━━━淡い光が写された写真をわたしに見せた。

 そこには大きな黄色い光に囲まれた小さなオレンジ色の光の画像が写っている。


「これって…………?」

「精神検査の結果で『潜在意識に自我が二つある』と診断されていただろう。その潜在意識を画像にしたものだ。そしてこの画像が私の判断を迷わせている一番の理由だ」


 そう言われながらじいっと光の写真を見つめる。

 黄色、━━━━━いや金色に囲まれたオレンジ色の光。

 この小さくも力強い光をわたしは知っていた。


『天太芒炎鏡よ………………唸れ!』

「あ………………」


 それは彼女の持つ最強の力が発する光。そして死の淵からわたしを救ってくれた希望の光の色でもあった。

 そしてその光がまだここに在る。━━━━それは。


「まだ………………イブちゃんがそこにいるの?」

「そうだ、さすがは天太芒炎鏡の適合者とも言うべきか。精神の大部分は寄生されてしまったが、ほんの一部、精神の奥底に潜む『コア』とも言える部分が精神寄生から免れた。仮にこの精神に力が増せば、ヴィーナスの精神寄生を跳ね除けられるかもしれない」

「……………………」

「さて、これで説明は以上だ」


 そう言うとエレン支部長はソファからゆっくり立ち上がり、力強い足取りで支部長室のドアまで歩いて行く。


「幸か不幸か彼女が眼を覚ました事で処分するかどうかの決定にしばらくの猶予ができた。その間だけ君の収容区画への立ち入りを許可しておく」

「理由を聞いてもいいですか?」

「………………向き合う準備をしておけ。どんな結果になったとしてもな。もちろんという選択を取るのも自由だ」

「わかりました。ありがとうございまス」


 そうしてエレン支部長はドアを潜り部屋を出た。

 残ったわたしはテーブルにある写真をじいっと見つめる。


「………………イブちゃん」


 エレン支部長はこう言った。『向き合う準備をしておけ』と。

 つまり、ということだ。

 でも…………。


「まだ…………生きている」


 イブちゃんが戻って来れる。そんな縋り付く希望の糸がわたしの前に垂らされてしまった。


 ━━━━━そんなの、掴むしかないヨ。


 まだ薄氷を歩くようなおぼつかない心模様。

 でもわたしの選ぶ選択は一つしかなかった。


「イブちゃん、わたしが…………」


 小さな決意を胸に支部長室を後にしたわたしは、ある目的のために自室へと向けて歩き始めるのだった。

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