第45話

 ディーテがラナンスに連れられた先は、雷舞において邪気に著しく汚染され、翼核(精神の要)を損なったり、生命維持に関わるほど翼をすり減らしたりと、通常の活動に困難をきたしたフリルが隔離・治療を受ける特別な療養舟アスクルだった。


 積乱雲のように渦巻く大雲。気圧されるディーテの腕を取り、ラナンスは躊躇なく飛び込んでいった。


「ラナ、ここって出入り出来ない場所のはずじゃ……?」


「私、隠密が得意なの。知りたがりが高じて」


「変わってるのね……」


 貴方にだけは言われたくないわ、と、ラナンスはむくれる。誰よりも目立って、女神様おかあさまに見てもらいたいという本能が強いフリルにとって、隠密とは、本能と真っ向から反する技能だろうに。


「確か、グラン・エンデはこのあたりの標高に……」


「待って、ラナ。ストップ」


 ディーテは急に飛翔をやめ、ラナンスを引き留めた。そうして、自身の翼でラナンスを包み隠し、自らも雲間に潜伏する。


「ちょっと、ディーテ?」


「どうして……どうして、エンデの舟に、ランジュ様が……? それに、この気配……!」


「え、何? どうしたって言うの、私にも見せてよ……!」


「ラナ、貴方、初陣はまだ?」


「悪かったわね」


「それじゃ、無理もないわ。この寒気、標高によるものじゃない」


「確かに、変な悪寒はするけれど……」


 雲の中は翼に氷柱が出来るほど冷え込んでいる。しかし、超越種フリリューゲルにとって、それはそよ風のようなもの。


 しかし、この翼根が痺れるような、根源的な震えは、尋常ではない。


 いくつかの雷舞を戦ってきたディーテでも、怖気づいてしまうような。今までに経験したことのない程の脅威の気配だ。


「ねえ、この標高には、エンデしかいないのよね」


「う、うん……そのはず」


 嗚呼。ディーテは、下唇をきつく噛み締め、自らの浅慮を悔いた。


 世界に、生きとし生けるもの全てを滅ぼさんと、邪気や絶望を振り撒く邪悪の権化、厄災。


 その上位互換として恐れられる大厄災は、未曽有の破壊と犠牲をもたらし、その殆どがランジュを始めとした伝説級フリルたちの尽力によって祓われている。


 なお、大革新アルティメット以後、大厄災の権限は9度しかない。いずれも、大きな被害を出すことなく、ランジュの手によって、歴史に刻まれることなく葬られている。


 なぜ、どのように、どうやって生まれ落ちるのか、何もかもが謎に包まれている厄災だが、大厄災に限り、顕現の条件が明らかになっているのだ。


「厄災にフリルが取り込まれたとき……そして、フリル自身が、負の感情に、我を忘れるほど支配されたとき、大厄災は顕現する」


「……ッ!! まさか、グランが」


 瞬間、大きな稲妻が迸り、光が乱反射する。そのあまりの眩さに肩を竦ませ、ディーテとラナンスはきつく目を閉じた。


 うっすらと目を開け、何が起こっているのかと伺えば、翼を大きく広げたランジュが、がんじがらめに封印を施されたエンデのほうへ手を翳し、エンデに集る邪気めがけて雷を落としているではないか。


 気付けば、悪寒をもたらすほどの濃密な邪気は消え去り、清涼な空気で満たされていた。


「時間の問題かな……かわいそうだけれど」


 無機質な声で、ランジュはそう独り言ち、予備動作もなく飛び立っていった。


 エンデに集う邪気を振り払ったところで、病巣を取り除かなければ、鼬ごっこは終わらない。


 ディーテは、ゆっくりと身を起こし、悪夢を見ているような顔で、エンデのもとへ飛び立つ。


 間近で見れば見るほど、その姿はむごいものだった。エース目前と言われ、名声を得ていたころの闊達とした美貌は見る影もない。


「エンデ……」


 頽れるように跪き、いつもエンデにされていたように、優しく髪を漉く。


 すると、微かに、ハクハクと唇を動かすので、ディーテはゆっくり耳を近づけた。


「返せ」と。ひたすら……「ディーテを返せ」と、魘されていた。

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