第30話

「ディーテ。たった今、本部から通達があったわ。スファーレン公国上空に三等星級の凶星が出現。いよいよ、リクロマのデビュタントに踏み切るそうよ」


 嫌に静かな朝だった。不自然なほどに鳥の鳴き声がせず、どこか、認識と現実が薄皮一枚隔てられているような、そんな心地のする、抜けるような青空。


 まるで、何かに閉じ込められているような、閉塞感の拭えない空気感。どこか首の座りが悪いような気分で、ディーテは毎朝の日課をこなしていた。


 そんな灰色の視界を切り裂くように、ダイニングの扉を開いたアルテアの鋭い一声。


 ディーテはゴクリと生唾を飲み下した。


 新聞など、各メディアで、デビュタントフリルの話題が取り上げられるようになり、早数日。


 世間の関心も最高潮と言うタイミングだ。リクロマという愛称が付けられるほど親しまれ、既にグッズの売れ行きも上々、そんな最中、お誂え向きと言ったように現れた凶星である。


 本来、デビュタントフリルにあてがわれる等級は、ディーテが初陣で戦った4等星あたりが妥当とされるが、世間からの反響と、コランダムカラーのセンター、そしてトリオユニットということを鑑みて、異例の三等星級での出撃となったらしい。


「アビスとして教国に預言を授けに向かうわ。ディーテ、今すぐ支度して、送ってもらってもいいかしら。送り届けたら、今日のあなたの役目はおしまい。そのまま公国まで向かうといいわ。リーシャに伝えれば、マルメロ商会のツテでVIP席が取れるはずだから」


「え、でも、護衛は……それに、アルテア様はご覧にならなくてもよろしいのですか?」


 その実、アルテアは、片翼ゆえ、空を飛んで移動することが出来ない。


 その上、地上で長く時を過ごしたからか、慢性的な日光不足に陥っており、いたずらに翼力を消費するのは体調的に望ましくないのだという。


 故にこそ、ディーテがアルテアの足となって、各地を飛び回っているのだが。


 つまり、ディーテが先に公国へ向かってしまうと、アルテアは当日中に公国へたどり着くことが出来なくなるのだ。


「教会も、厄災の堕天ともなれば、雷舞の手配で忙しくなるから、私の暗殺に人手を割いてられなくなるし、心配しなくて大丈夫。ミュスカ、同期のアイリスなんでしょう? 私の仕事が終わるのを待ってたせいで遅れちゃいけないわ。ちゃんと見届けていらっしゃい」


「は、承知いたしました。お気遣いありがとうございます」


 アルテアは微笑んで、ディーテに手を差し出した。ディーテはコクリと頷き、宝石を扱うようにその手を取る。


 次の瞬間、アパートメントの上空にて、翼の生えた白馬に変容したディーテは、アルテアをその背に乗せ、飛び立ったのだった。


 +++


 リーリウム教国に到達するやいなや、止める暇すら与えず、それじゃ、と言い残して、上空四千メートルから飛び降りていったアルテア。


 わざわざ一度地上に降り立つよりも、こちらの方がロスタイムをなくせるという、有無を言わさぬ暴力的配慮に、ディーテはいつも振り回されてばかりだ。


 ヒイと参った様に嘶きつつ、ディーテはすんなり諦めて、そのままスファーレン公国へと向かった。


「おお、大盛況だ……! すごいな……良かったな……」


 教国からおよそ2時間の飛行で到達した公国は、既に活気に満ち溢れ、教会周辺には人だかりができていた。


 ランジュのそれには到底及ばないものの、デビュタントフリルとしては十分すぎるほどの人気だ。


 今回のリクロマのデビュタントに、裏方としていくばくか関わった身として、何より、同期から初めて一人前が巣立つということに、得も言われぬ感慨を覚え、ディーテは少し口角を上げてフウと息を吐いた。


「VIP席なあ、興味はあるけど……」


 ディーテは片眉を上げて、人だかりを一瞥する。あの混沌を掻き分けて、教会に話を通さないといけないと思うと、どうにも億劫だった。


 まあ、いいか。ディーテは肩を竦めて、立ち見での観戦とすることを決めた。教会と逆方向へ踵を返し、歩き出す。目指すは、大通りに立ち並ぶ屋台。腹ごしらえである。


 何となく、沢山腹にものを入れておきたい気分だったのだ。


 両手いっぱいに、ケバブラップやローストチキン、ホットケーキサンドなどを買い込み、広場の階段に腰掛けたディーテ。何となく空を見上げながら、パクパクと頬張っていく。


 人でも目視できるほどまでに接近してきた凶星が、抜けるような青空の最中、黒々と光っている。闇が浸潤するまで、そう時間は無い。


「ねえ、ねえ、教会行ってきたんでしょ? 何をお願いするの?」


「もう、うるさいな、秘密だって言ってるだろ」


「友達から最近聞いたけど、アンタ、好きな人できたんだね。さてはぁ……?」


「ばっ、誰だよ、そんなデタラメ吹き込んだの! そんなんじゃないって! ニヤニヤすんな!」


「もう、スミに置けませんなぁ~えぇ、誰だろ……そう言えば、アンタの好きなタイプとか気にしたこと無かったな~」


「……死んでも教えるもんかよ! お前にだけは絶対教えねぇ……」


「ええ~! つれないなぁ、アタシとアンタの仲じゃないですかぁ~! 教えてくれたら、10年来の幼馴染のためだし、いっちょひと肌脱いでやるのも吝かじゃありませんけど?」


「余計なお世話!」


 ディーテは、しみじみと、同期の知り合いが人間からこんな願いをかけられる存在になったのだな、と、暫く心の奥底に沈んでいた焦燥感が掻き立てられるのを感じた。

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