第27話

 ディーテは絶句した。ひとつ、息を呑んだきり、呼吸をすることすらも忘れた。


 それほどまでに、アルテアから告げられた言葉は、衝撃的……否、絶望的だったのだ。


「始める前に、ひとつ。ディーテ、貴方には、変容でランジュに近づこうとするのをやめてもらうわ」


 午前の用事を終え、アルテアに指定された場所……見覚えのありすぎる森に降り立った二翼。人知れず、己の目の前で、ひとつの厄災が、アルテアのひと薙ぎによって祓われた、あの森だ。


 邪気の気配は浄化されきっているが、かつてそこに根付いていた木々は、厄災に汚染され、腐り落ちてしまった。ゆえに、深い森の只中に、ぽっかりと不毛の空間ができているような状態だった。


 地上に降り立ち、アビス態の変容を解いたアルテアは、所在なさげに辺りを見回すディーテの正面で仁王立ちし、その深海の瞳で真っ直ぐとディーテを射抜いた。


 そうして、飛び出したのが、くだんの言葉だったのである。


 ランジュに似せることを諦めろ……そう、宣告されたに他ならない、冷徹な一声。


 ハク、と、声の出ない口をぎこちなく動かしたのち、ディーテは俯く。


「……やはり、私の素材では、ランジュ様に近づくことすら許されないのでしょうか。勿論、及ぶべくもないことは重々承知です。それでも、私は……」


「いいえ。違う。貴方は、あまりに、ランジュへの思い入れが強すぎる。変容の技量については、何も問題無いのよ。問題がありすぎるくらいに、ね」


「問題が、ありすぎるくらいに……?」


 フウ、と、静かなため息をひとつ零し、アルテアは腕を組んだ。


「貴方にとっては、どこまでやっても満足いかないのでしょうけど……正直、もう、はた目からは、鏡写しも良いところなのよ、貴方の変容は。じっくりと見なければ、紫の髪になったランジュそのものだった。余程審美眼を鍛えた人間じゃないと、色の違いでしか判別ができないくらいよ。だからこそ、問題なの」


 ディーテは咄嗟に顔を上げた。にわかには信じがたいことだった。


 しかし、アルテアの言うことを鵜呑みにしたうえで、考える。


 ランジュという存在は、ただ一翼あればこそ、完璧だ。鏡写しのもう一翼など、存在価値があるだろうか。


「フリリューゲルって言う生き物はね、どうしようもなく、我の強い生き物よ。周りを見ていればわかるでしょう。私だけを見てって、誰もが、そんな衝動的本能を抱えてる。だから、どんなに優れたフリルでも、自分が無くなるまで、姿を変えることができない。でも、貴方は……ええ、敢えて、言葉を選ばずに言うわ。タガが外れてるの」


 きっと、アルテアが、ディーテのことを「おかしい」と言った理由の最たるものが、これなのだろう。


 フリルがフリルたる所以、清々しいまでの独善エゴが、ディーテには決定的に欠けているのだ。


「その……アルテア様。私、分からないのです。誰よりも私を見てって、その気持ちが、どうしても、理解できなくて。みんな、口をそろえて、女神様おかあさまに見てもらうためにって、なんの疑いも持たず、それを戦う理由にしている。私には、それができないのです。やはり、私は……フリルとして、致命的な欠陥を抱えているのでしょうか」


 人間を守るために、なんて……利他的に振舞ってみるけれど。ディーテは、自分が戦う理由を、内面に見出せないだけなのでは、と、今まで言語化せずに抱えていた心中を、初めて吐露した。これは、エンデにも打ち明けたことのない悩みだった。


 エンデにこそ、一番、打ち明けられないことだった。


「ねえ、ディーテ。考えてみて。貴方がランジュの鏡写しの姿で、雷舞に出たとするわ。人々は、きっと、あなたの姿に歓喜し、お金を投じるでしょう。でもね、それは、貴方に向けられたものじゃない。ランジュに向けた崇拝よ。果たして、それが、貴方の力を強くするものなのか……そういった意味では、貴方のそれは、欠陥と言って間違いないものだと思うわ」


 ああ、それでは、本末転倒だ。どうしたって、人々から崇拝を受けて、強大な力を得ないことには、厄災に立ち向かうことが出来ないのに。


 ディーテがランジュの姿を借りて人々の熱狂を買ったところで、それは、ディーテをすり抜けていってしまう。結果、厄災を倒すことが出来ず、人間を守ることもできない。


「私、ランジュ様に見た目を寄せるなら、とことん突き詰めていかないといけなかったんです。そもそも、私とランジュ様では、顔つきの系統が違いすぎました。私のパーツじゃ、ランジュ様のバランスに寄せたところで、おかしな印象になります。だからって、パーツを似せても、今度は偽物感満載の変な顔になりました。本当、全部、試して……どれも、納得いかなかった」


 ディーテは、実際に変容を使ってみせながら、つらつらと説明した。ランジュをこよなく愛していたからこそ、そうなったというのもあるが……そうせざるを得なかったというのが、本当のところなのだと。


「いままで、私以外に、自分の変容を見せたことはなかったの?」


「はい。とても、自分以外に見せられる出来ではなかったものですから……」


「それじゃあ、変容がちゃんと使えること、知っているのは、私くらい?」


「おそらく」


「そう……どこまでも、好都合ね。ディーテ、考えがあるの。貴方と知り合ったときから、ずっと練ってた、とっておきの構想よ」


 女神の現身としてのフリル……そのステレオタイプを、真っ向からぶち壊すの。にっこりと微笑み、アルテアはそう言い放った。

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