第23話
リーリウム教国を後にしたアルテアは、その後日が暮れるまで、沢山の顔を使い分けながら、被災した堕天跡地へ復興資金の補填の手続きをしに赴いたり、デビュタントを控える新顔フリルの雷舞演出の打ち合わせをしたり、先のランジュによる雷舞の際、最も高額の奉仕を行った者の身辺調査を手配したりと、文字通り各地を飛び回った。
アルテアは、どんなに些細なことでも、フリルへの悪感情の芽が息吹きそうな気配があれば、迷わず現場に赴くのだという。
教会からせしめた利益は、厄災との戦いに巻き込まれた堕天跡地の復興や、フリルの支援者の「幸運」の実現のために、大部分が使われていた。
残りもまた、FUBEの運営費やフリルに支給される活動資金(ベーシックインカム)に充てられ、アルテアの手元に残るものは皆無だった。
どんなに卓越したフリルであっても、明らかにキャパシティー超過のオーバーワーク。ただ足になって、傍で見学していただけのディーテでさえも、かつてない疲労に見舞われたほどだ。
「少しくらい、教会か、他の公共団体に委託することは出来ないのですか?」
あまりの激務に耐えかねたディーテの問いに、アルテアは貼り付けたような笑みを浮かべた。
「この私に、羽の一枚でも人間を信用しろだなんて、酷なことを言うのね」
取り付く島もないとは、このことである。
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「人間のためじゃなく、フリルのために、か……でも、自分と同じか、もっと強い存在のことを守りたいと思えって言われてもなぁ。いまいちピンと来ないや」
同族のことを愛していないわけではない。むしろ、逆だ。
ディーテが人間を愛しているのも、根底には、同族への強い思い入れがあるからこそ。
人間の崇拝が、たゆまぬ愛が、フリリューゲルを美しく輝かせる。人間がついているからこそ、どんな厄災にもくじけない強さを得ることが出来る。
その裏にどんな醜い打算や、欲望があったとしても、捧げてくれる愛だけは、本物だ。
人間を守ることは、そのまま、フリルを守ることにもつながるはず。
「まあ、でも、それは逆も然りだよね。アルテア様は人間がお嫌いで、フリルのために身を粉にして働いていらっしゃるけれど、結局、それは、人間のためになっているんだもの」
厄災の堕天は、今や、エンターテインメントの一つとして、広く認識されている。それは、恐怖や絶望を糧に肥え太る厄災の増長を抑止する、大きなパラダイムシフトだった。
それをもたらしたのは、間違いなく、アルテアだ。その功績によって、どれほどのフリルと、人々の犠牲が免れたか、計り知れない。
「無粋なことを言うなって怒られちゃうかもな」
決して相容れない価値観を持つ相手だ。しかし、ディーテは、それでも、アルテアのことを慕わしく思うのだった。
翌日。
かつてない深い眠りから目覚めると、まだ、夜も開けていない早朝で。
足音を立てないよう、少しだけ宙に浮きながら、ソロソロとダイニングに足を踏み入れる。
ホウと息を吐くディーテ。今日ほどの早い時間なら、アルテアもまだ目覚めていないのだと。
室内を見回す。整理整頓はなされている……と言うより、生活感に欠けている。ものが少なく、散らかるまでもないといったところか。
昨日の過密スケジュールから考えても、部屋を掃除する暇など、アルテアにはなさそうであり。
全体的にヤニでベトベトしているうえ、自然、埃もそれなりに溜まっている。
ディーテは翼から数枚の羽を引き抜いた。そのまま、大きく腕を振りかぶって、室内に散布する。
ディーテの手から離れた途端、羽は清浄の力へと変わり、天井や壁、床の汚れを瞬く間に取り除いていった。
しかし、その力が及ぶのは、ディーテが認識できた範囲のみ。細かい場所の汚れは、ひとつひとつ確認しながら、ディーテの手で綺麗にしていくしかない。
ディーテはもう一枚、羽を引き抜き、それを先程と同じ清浄力に変換、右手に纏わせた。
注意深く、室内を見て回る。ディーテが右手で撫でたところから、新品同然に磨かれていく。
ものの5分ほどで、見違えるほどきれいになった室内をぐるりと見まわし、ディーテは満足げに頷いた。
「あとは……地上で暮らすからには、料理っていうの、やってみたいんだけどな。アルテア様もお召し上がりになるかな。手軽にささっと食べられるものがいいよね、きっと」
基本、フリリューゲルに、生命活動のためのエネルギー補給という概念は無い。
しかし、ディーテは、趣味の範疇で、人間界の食べ物を愛好している。ランジュの雷舞があるときの楽しみの一つが、出店で売られている食べ物を買い食いすることなのだ。
フリルは人間界の流行に敏感でなくてはならず、FUBEの資料室に足を踏み入れれば、人間が書き記した習俗の論文から、ロマンス小説まで、多岐に渡って取り揃えてある。
ディーテは所謂がり勉というやつで、FUBEに存在する本という本はすべて読破した。その中で、人間の生活習慣についても興味を持ったのである。
その最たるものが、食だ。
地上に降り立ち、初めて人間の作った食べ物を口にした時の衝撃を、ディーテは忘れないだろう。
そもそも、食材となる穀物や、野菜、肉などは、フリルの原動力となる太陽光無しには生育しない。
そして、料理というものは、少なからず、作り手のエネルギーが込められるもの。思い入れが強ければ強いほど、料理に込められるエネルギーは大きくなる。
その双方とも、フリルの活力の源となるものに他ならない。地上の食べ物を始めて口に入れた瞬間に、自らの翼力が漲り、増強された時の、得も言われぬ悦楽ときたら。
以来、ディーテは、人間の作る料理の虜なのである。
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