第22話

「つ、疲れた……! アルテア様、一日にどれだけ仕事を詰め込んだら気が済むの……!?」


 ディーテはベッドに倒れこみ、枕に顔を埋めてそう叫んだ。


 うう、と呻く。体が千々にちぎれてしまいそうなほどの多忙だった。いかに頑強なフリルと言えど、アルテアの激務に初めからついていける者はなかなか無いだろう。


 思い返せば返すほど、次々襲い来る衝撃の数々。めいいっぱい頭をタコ殴りにされた初日である。


 ディーテは途中から考えることをやめた。


 事の次第をダイジェストでお届けしよう。


 アルテアが拠点とする高級アパートメントの一室を与えられたディーテは、まだ日が昇って間もない時間に支度を済ませ、雑用の算段を立てながらダイニングに足を踏み入れた。


 しかし、そこには、既にディーテのぶんまでコーヒーを淹れ、「はやいわね」と言いながら新聞に目を通しているアルテアの姿があり、ディーテは途方に暮れた。


「昨日の時点で、ご起床の時間を確認するべきでございました……」


「私より早く起きて何かしようって? そんなの、気にしなくてもいいのよ。寝ない日だってあるのに、私の生活リズムにいちいち付き合わせるわけにはいかないわ」


「アルテア様がお休みにならないなら、私もご一緒するまででございます」


「させません。休息だって貴方の使命の一部ですもの」


 ディーテは、アルテアから恭しく受け取ったコーヒーを、舐めるように口に含む。アルテアの身の周りには、人間が好む嗜好品が溢れていた。ディーテにとっても新鮮なものばかりだ。


「ィ゛……」


 颯爽と広がる如何ともしがたい苦みに、思わず顔を顰めるディーテ。アルテアは愉快そうにクスクス笑いながら、同じコーヒーをクイと飲み干した。


 そんな穏やかな一日の始まりに反して、拠点を出てからは、まさに怒濤であった。


 アルテアが地上で取り組んでいたのは、マルメロ商会の事業だけではなかった。


 むしろ、マルメロ商会アベル・ムスキーとしての仕事は、あくまで実益を伴う趣味の範疇であり、他の仕事の片手間であることをディーテは知った。


 そもそもの話になるが、教会が行っていたフリルの後援活動は、アルテアの主導のもと行われているものだったのである。


 アルテアは、長年にわたって教会の中枢に入り込み、教皇相手にも発言力を持つ「預言者」として、雲上で凶星の出現が観測され次第、教会に厄災の堕天と出撃するフリルを伝達していた。


 今や教会の最大利権とも言われるフリル後援だが、その利益分配についても、アルテアが主導権を握っており、日々教会上層部とのやり取りを繰り返しながら、フリル後援の運営をコントロールしているという。


「人の欲とは際限のないもの。与えれば与えるほど、連中はつけあがる。片時も気を抜くことは出来ません。決して、人間相手に隙を見せないように」


 指定された通り、翼の生えた馬に変容し、女神教会の総本山であるリーリウム教国へ向かって空を飛んでいたディーテは、自らの背に腰掛けるアルテアにそう言いつけられた。


 思うところのあったディーテだが、自分などよりずっと長く、多くの人間と関わっているアルテアに異議を唱えることなど出来なかった。


 そして、教会本部に降り立った瞬間、ディーテはアルテアの言葉の本意をすぐさま思い知ることとなる。


 「預言者」アビスとしてのアルテアは、教会の人間からの畏怖と嫌厭、その他もろもろの悪意を一身に受けていた。人間の感情にあおりを受けるフリリューゲルにとって、その針の筵はまさに拷問だ。


 息の詰まるような悪感情の坩堝。アルテアは、長い間、単身でそれを引き受けていたのである。


 教会を出るころにはすっかり中てられ、グロッキーになりながら空を飛ぶディーテの鬣を、アルテアは労しげに撫でた。


「教会にとって、アビスの存在は目障りなの。本当は、フリル利権を独占して、もっと私腹を肥やしたいって思っているからね。女神様おかあさまの代弁者を標榜していても、目先の大金には目がくらむもの。手を伸ばしても届かないものとなれば、余計ね」


 半月ペースで暗殺者を寄越すんだから、と、呆れたように笑うアルテア。


 お布施などによって得られた莫大な利益の7割以上をせしめていると聞いた時は「一体何のために」などと思ったディーテだったが、その疑問はそっくりそのまま人間という生き物へと向けられることになった。


「どうして、教会のえらいひとたちは、身に余るほどの大金を手にしたいと思うのでしょう。使いきれないほどのお金を手に入れたからって、元をただせばそれは自分のものなどでは決して無いし、いつかはすべてその手から離れてしまう、虚しいものですよね」


「考えたって、理解できないものだと割り切った方がいいわ。所有なんて、かりそめの概念に縋りでもしなければ、安心して生きることもできない生き物なのよ。どうせ、瞬く間に死んでしまうのに」


「死んでしまったらすべてが無駄だなんて思いません。でも、どうせなら、女神様おかあさまの御目通りが叶ったとき、報われたと思えるように生きたらいいのに」


「あんなにうじゃうじゃと、際限なく涌いてでる生き物のひとつひとつに、女神様おかあさまがいちいち目をかけるなんて思いたくはないけれど。まあ、だからこそ、好きにさせておけばいいのよ。フリルたちに害を及ぼすほど増長するようなら、容赦なく摘み取るというだけ」


「アルテア様は、本当、フリルに害を及ぼす人間がお嫌いなのですね」


「いいえ……フリルに害を及ぼすから、人間が嫌いなのよ」


 まるで、人間が皆そうであるかのような言い草であった。ディーテは、その筋金入りの嫌悪を前に、閉口するほかなかったのであった。

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