第19話
フ、と、吐息を零して、アルテアは笑った。
「真面目だね。君がそのつもりなら、少しばかり茶番を続けるのも一興かと思ったが……では、改めて」
デスクからおもむろに立ち上がり、ゆっくりとディーテの目の前に歩み寄るアルテア。瀟洒な背広を脱いで、ばさりと翻すと、アベル態を解いたアルテアの姿が現れる。
しかし、その背には、あの日に見た月の涙のような片翼が無い。ディーテは怪訝に思い、ついジッと見つめてしまった。
「既知のことと思うけど、アルテアよ。また会えてうれしく思います。よろしく、ディーテ」
美麗な青のストレートロングをローポニーテールで纏めたその姿は、男装の麗人と言った印象で、男性用の装いも見事にモノにしていた。
アルテアとしての声を聞くのは初めてだった。冷泉のように涼やかで、嫋やかだが、不思議とよく通る、凛とした声色である。
不思議と、全身の強張りが和らぐのを感じ、ディーテはホウと息を吐いた。
「勿体ないお言葉、光栄に存じます、アルテア様。先の戦闘の際は、窮地を救ってくださり、ありがとうございました。アルテア様が、
「ええ、久々の雲上は何もかも新鮮でした。エレクトラの頑張りをこの目で見ることが出来て……貴方は災難だったけれど、私は幸いでしたよ」
「さようでございましたか……何よりに思います」
「それにしても、貴方がフリルだったなんて、驚いたわ。ランジュの輝きを疎みこそすれ、憧れるフリルなんて、まあ珍しいのだもの」
それを、貴方が言うのか……呆気にとられ、ディーテは返す言葉に困った。そんなディーテの不躾な態度を、アルテアは咎めるでもなく、まあ座って、とカウチを指し示し、踵を返した。
何やら、戸棚からティーポットやカップを取り出し始めたアルテアに、ディーテは慌てて駆け寄る。
「アルテア様、そのようにお手を煩わせるなんて……ここは私が!」
「まあ、おかしなことを言うのね。FUBEのカリキュラムにお茶の淹れ方なんてものまで組み込まれていたなんて、知らなかったわ」
「あ……その、申し訳ございません……」
「まあ、貴方ってば本当に真面目なのね……冗談よ、気にしないでちょうだい。また、やり方を教えるわ。マスターできたら、ご相伴にあずかるわね」
「は、速やかに修得いたします」
「向上心が高くてよろしい。まあ、そう肩肘張らず、ゆっくり話しましょう。貴方も、聞きたいことが沢山あるだろうから」
テキパキとよどみない手際で、アルテアはあっという間に支度してしまった。
ディーテは少しでも見て盗もうと努力したが、何が何だかサッパリ。あえなく断念し、すごすごとカウチに腰掛けたのだった。
アルテアの所作をならい、カップに口を付けたディーテは、パチリと目を見張った。
「あ……美味しい。爽やかな香り……これは、シトラスでしょうか」
「ええ、ベルガモットという、レモンとオレンジのあいの子みたいな果実で香りづけした茶葉よ。最近、サピンド商会が売り出して、なかなか評判良いみたいだから、研究にね」
「お茶に香りづけとは、斬新なアイデアですね……それに、普通のお茶を飲むときよりも、肩の力が抜けるというか、気持ちが安らぐ気がいたします」
「あら、フレーバーティーは初めて? ここ十年で定着したものだし、結構新しめではあるけれど……地上に降りても、喫茶店に入ったりとかはしないのかしら」
「そう、ですね……何というか、社交的な場は苦手で……ボロが出ないか不安になるものですから」
「そう? それじゃあ、そこらへんの立ち回りも鍛えてもらわないとね。これからは、人間と接する機会がグンと増えるもの。瞬く間に移ろいゆくものとは言え、人間社会の常識もしっかり頭に入れてもらわないと」
「は、はい。尽力いたします」
ス、と目を細め、アルテアは肩を竦めた。口元はカップで隠されており、果たしてそれが笑顔なのか伺い知ることが出来ず、ディーテはやけに鼓動が逸るのを感じた。
これほどまでに、よく思われたいと思う相手は初めてのことだった。優しげなようでいて、どうにも、距離を感じる。
親しげな振る舞いに、つい安心感を抱きそうになるけれど、どうしても、その態度の随所に、こちらへの隔たりを感じずにはいられない。
それが、どう形容したことか……まるで、指先にとまった蝶が、いつ飛び立っていってしまうのだろうかと、そんなことを考えながら、その美しさに見とれているかのような。
手を伸ばしたいけれど、拒絶されてしまったら……そんなことを思っては、どうにも踏み込むことに怖気づいてしまうのである。
「さて、雑談はこのくらいにして……そろそろ、本題に移りましょうか。まずは、私から、貴方に聞きたいことがあるの。いいかしら」
「何なりと」
フワ、と、つややかな睫毛が揺れる。伏せられていた瞼がにわかに見開かれ、深海のような瞳が露わになる。ディーテはつい息を止めて居ずまいを正した。
音もなく、テーブルの上に置かれたカップ。無意識に、その手の動きを目で追う。動作一つを取っても、惚れ惚れするほどにエレガントだ。
「貴方が、戦う理由は何」
ナイフのように、鋭い問いかけ。ディーテは、ハッと顔を上げた。
厳格な裁定者の眼差しが、そこにはあった。
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