第18話

 ディーテは、学長直々の辞令を受けた翌朝、さっそく宿舟を引き払い、地上へと舞い降りた。


 翼が毛羽だって仕方ないほどの大きな不安と、しかして隠しきれない、変化への期待を胸に、オディット態へと変容し、指定された座標に降り立ったのである。


 大陸最大の専制君主国家トニトルス王国……王都グリシーナ。


 王宮を中心に、几帳面な碁盤の目の街並みが広がり、堅牢な城壁に囲まれている城塞都市だ。


 マルメロ商会は、グリシーナ最大の繁華街であるレージエ区に本部を構えており、やはりというべきか、座標を入力された翼が、そちらへと誘導される。


「ようこそお越しくださいました、オディット様。代表から話は伺っております。どうぞこちらへ」


 要塞のようにそびえ立つ建物を前に、逸る鼓動を抑えるのに苦心し、立ち尽くしていたディーテに、詰襟の制服を身に纏ったひっつめ髪の女性が声をかけた。


 ディーテはゴクリと生唾を飲み下し、踵を返した女性の後を追う。


「オディット様は代表と会ったことがあるのですよね」


「……? ええ、先のランジュ様の雷舞で」


「羨ましいことです。こうして、専属秘書を仰せつかっている私ですら、直接お目にかかったことのない、顔も知らない、雲の上の御方なものですから」


「何故……」


「世俗のしがらみを疎んでいらっしゃるのかと……気難しく、冷徹で、容赦の無い方だと、先代秘書であった私の祖父から、聞き及んでおります」


 世俗のしがらみを疎んでいる? ならば、わざわざ人間を相手にする商会の経営などしなければいい話だろう。イマイチ自身のアベル像と合致しない、秘書の女性の話しぶりに、ディーテは困惑するばかりだった。


「オディット様から見て、代表はどんな御方でしたか」


「どんな御方……ミステリアス、ですかね。つい引き込まれるような、不思議な眼力があって、見た目の年齢に似合わぬ老成を纏っていらっしゃいました。ただ、ランジュ様への思い入れは人一倍で、ランジュ様のこととなると、途端に無防備になって、余計目が離せなくなる、そんな方だったように思います」


 その正体を知ってなお、アルテアとしての姿すら、謎のヴェールに包まれている。どうして、あんな伝承がまことしやかに信じられているのか。本当は何があったのか。


 本当は、ランジュとどんな関係にあるのか。


「フフ、こんなにも、印象が食い違うことってあるんですね。興味深い……良ければ、今後とも代表のお話をお聞かせくださると、有難く存じます。ああ、自己紹介が遅れました。私はアリシア・レグロ、気軽にリーシャとお呼びください」


 リーシャは、ぴたりと立ち止まって、ディーテの方に向き直り、几帳面がにじみ出るかのような端正なお辞儀をした。


「ええ、リーシャさん。こちらこそ、よろしくお願いし、ま……」


 慌ててそれに倣うディーテ。しかし、顔を上げた先に、リーシャの姿はなく。


 それどころか、それまで歩いていた、マルメロ商会本部の廊下ですらない、古びた書斎のなかに、いつの間にか佇んでいたのである。


「よく来てくれたね。その後、体調に差しさわりはないかな」


 その、背後の窓から差し込む逆光が、まるで後光のようで。


「アベル……いえ、アルテア、様……FUBEより出向いたしました、ディーテと申します。ふつつか者ゆえご迷惑をおかけするかと思いますが、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」


 変容を解き、込み上げるような緊張に翼を震わせながら、ディーテはカーテシーをした。

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