第14話

 陽光に中てられ、虹色の翼が燦然と輝く。


 沢山の人々の命を、暮らしを、幸福を、その翼で守り抜く、希望そのもののすがた。


 人々を救うランジュに憧れた。人々にこよなく愛されるランジュが大好きだった。


 だから、ランジュのことが大好きな、人間のことも愛おしくて。


 いつか、ランジュ様のように……いつからかも忘れた昔から、ディーテはそう、思い続けていたのだ。


「ごめんね、エンデ。約束、だったのに」


 自分たちフリリューゲルを、どうしようもないほどに愛してくれる人々の、かけがえのない笑顔を守るために、共に厄災と立ち向かおう、と。


 思い浮かぶのは、姉雛グランでありながら、己を対等な盟友ともと扱ってくれた、底抜けのお人好し……エンデの笑顔だった。


 鬱蒼と木々の生い茂る森のさなか、ディーテは厄災とともに墜落した。厄災の邪気によって、周囲の木々は枯れ、木の葉も腐り落ちていく。


 自分の翼もきっと、ああなんだろうな……仰向けに地面にめり込み、何とか抜け出さんと、もぞもぞ身を捩りながら、自嘲気味に笑う。虹色の翼を携えて、天高く翔ける、憧れたあの姿とは、程遠い。


 それでも、逃げることだけは、したくないと。ディーテは、ボロボロの身体に鞭を打って、ようやく立ち上がった。


 勝算など、はなから無い。ただし、やりようなら、まだある。


 すべてのフリリューゲルに与えられた、とっておきの切り札。


 自らの力量を大きく上回る厄災に、どうしても立ち向かわねばならぬ時の、最終手段として教えられる、いわば自爆技。


 生まれながらに女神より与えられし、自らの名を宣言することで、一時的に女神に存在を認識してもらい、自らの生命を燃やし尽くすほどの翼力ブーストを授かる儀式が存在する。


「神銘、開化」


 闇に包まれた空から、あるはずのない、陽光の架け橋が、ディーテを照らす。ディーテはそっと瞼を閉じ、祈りをささげた。


「我がは……」


 ディーテの脳内を駆け巡る、数多の記憶。


 地上からスポットライトを浴びることは終ぞなかった、人間の誰も知らない、誰に語られることもない、そんな一生だ。


 ボロボロと、穏やかな笑顔に沢山の涙を流しながら、ディーテはフウとため息を吐いた。


 ああ、悔いしかないな、なんて。


「待ちなさい」


 雷のような。


 どうしようもなく、聞き覚えのある声だった。


 ディーテは背骨が凍り付く心地で、感電したかのように背後を振り返った。ハク、と、喉に籠ったのは、どうして、という、疑問めいた動揺。


 つい先ほど、意気投合し、二度と会うことは無いだろうと別れを惜しんだ、ミステリアスな美男……アベル・ムスキーの姿が、そこに在ったのである。


「逃げて……っ!! おねがい、今すぐ、ここから逃げて!!」


 変容による擬態を解いたディーテが、まさかオディットと名乗った青年と同一の者だなんて知る由も無いだろうと、掠れた声で、髪を振り乱しながらひたすら叫ぶ。


 しかし、アベルはそこから動かない。アベルは、ひどいしかめ面で、真っ直ぐとディーテを見据える。まるで、最初から分かっていたかのような、そんな眼差しだった。


「どうして、きみは」


「え……?」


 どうして、なんて。こっちが聞きたいと、ディーテは心底思った。


 目の前に居るのは厄災だ。人間にとっては、混乱と絶望をもたらす、根源的恐怖の化身だ。


 それなのに、アベルは、そんな厄災の存在に、恐怖どころか、関心すら抱いていないような居ずまいだった。


「貴方は、一体……」


 アベルは、何も言わず、ゆっくりとディーテの方へ歩み寄る。最早、ディーテは制止もできなかった。大きな不可解に全身を支配され、ただ、息を呑むことしかできなかったのだ。


 アベルは、ディーテを背に挺するように、厄災に立ちはだかった。みるみる、その大きな背中が、溢れんばかりの輝きに覆われていく。


 眩しさのあまり、ディーテは視界を手で庇った。ドクドクと鼓動が逸る。まさか、と。


 恐る恐る、前を見る。


 月の涙のような、透き通る純白の輝きが、そこにはあった。紺碧のサファイアのような青い髪に、非の打ち所がないプロポーション。


 間違いなく、伝説の11翼にも匹敵するだろう、強大な翼を持つフリルだった。


 しかし、その肩に在るのは、片割れをなくした片翼のみ。


 その特徴に該当するフリルは、史上、一翼しか存在しない。


 言葉をなくしたディーテが見入るなか、そのフリルは、翼の生えた右のほうの腕を、横に一閃、するどく振るった。


 数枚の羽毛がハラリと舞い上がる。それはまるで、水面に揺蕩う月光のようで。


 瞬間、厄災は微かな断末魔を上げ、上下真っ二つに切り伏せられていた。


 ディーテの苦戦が嘘のように、呆気ない末路だった。

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