第9話
ディーテは前回の雷舞の際にランジュが披露したスタイルを思い出し、うっとりとため息をつく。
あれこそ、花型の至高と言っても過言ではない、無比のスタイリングだった。
あの後に販売された
余談だが、ディーテはこのグッズ購入費でフリルに毎月支給される
「それがですね、前回ランジュ様がお披露目なさったスタイリングを分析する過程で、僕は月型のさらなる可能性について思い至ったのです。一見相いれないものに思えるガーリーとエレガンスですが、前回のランジュ様は、スタイリングのいたるところに、月型特有のエレガンスな成分をちりばめていらっしゃいました。例えるならば、大輪の薔薇でしょうか。華やかな薔薇の美しさは、茨の近寄りがたさによって、より引き立っている……ならば、逆も然りでは、と!」
美男は、フムと相槌を打ち、懐からおもむろに
伝説の巨匠によって描かれたそれは、発売後数分で完売。一カ月もすれば取引価格にプレミアがついたドのつく希少品で、粗悪な複製にすら、一般市民の平均月収の半分の値が付くとか。
何でもないようにそれを取り出してみせた彼は一体何者か……ディーテはゴクリと生唾を飲みこんだ。
「興味深い……ディテールに潜ませたわずかな成分すらも拾い上げ、分析してみせるとは……こんな場所で、ここまで熱心なクインスに出会えるなんて思ってもみなかったよ」
「こんな場所、とおっしゃいますが……貴方もお分かりでこちらにいらしたものとお見受けいたします」
そう、完全ランダムであると一般には認識されている、気まぐれなランジュの雷舞パフォーマンスポジション。
例えば、大技を出すときの座標や、チャームを纏うときの舞儀を行う座標であるが、それが良く見える観戦席は、ランジュなりの規則性があるのだ。
今日のランジュの勇姿が最もよく見える観戦席はここだと、地上に降り立つや否や、ディーテは一目散に最前席を陣取ったのである。
「……! ハハ、そうか、そこまでお見通しか! 君ほど話の分かるクインスは初めてだ! ここまで歓喜を覚えたのはいつぶりか、なんともはや、生きていればいいこともあるものだな」
随分老成したような物言いだな、とディーテは思った。生きていればいいこともある、なんて。さながら、生きることにもうウンザリしているかのような言い草だ。
人生も酣といったような妙齢の美男には似つかわしくない筈の言葉が、妙に説得力を持って耳になじむものだから、ディーテは余計興味をそそられるのであった。
「いやはや、この場限りにするには勿体ない出会いだ、自己紹介をさせてほしい。私はアベル。アベル・ムスキーだ。是非、気さくにアベルと呼んでくれ」
「アベル・ムスキー……? まさか、マルメロ商会の……!」
男性……アベルは、口元に人差し指を当て、大声を出しかけたディーテを制止する。
ディーテは息を呑んだ。
マルメロ商会といえば、教会のフリル後援を資金面で支える一大パトロンにして、先述の
その代表であるアベル・ムスキー……通称シドニアのアビーは、なかなか表舞台に姿を現さず、謎に包まれた人物として、多数の憶測を呼んでいる存在である。
そして、創業当初より、代表者の名が変わっていないことでもよく知られている。
まさか、目の前の妙齢の美男が、あの都市伝説的存在であるアベル・ムスキー? にわかには信じがたいことだ。
しかし、ディーテは、先程の希少翼画を事もなげに懐から取り出した彼を見ている。それが、彼の素性に対する妙な説得力を持たせているのだった。
「失礼いたしました……僕は、えと……オディット、です。訳あってこれ以上の素性は明かせませんが、どうかご容赦ください、アベルさん」
「気にしないでくれ、オディット。それはお互いさまというものだ」
お忍びで市井に紛れ込んだ貴族の青年と言ったように認識されたのだろう。深くは詮索されたくない身の上、こちらも詮索はするまいと笑って、アベルはディーテの肩を軽く叩いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます