第47話 喰う

 僕が止める暇もなく、星野さんはお札をその刃物で躊躇なく切り刻んだ。


「!?」


 ジャキ、ジャキ、と音がする。人間キャパシティを超えると何も動けないらしい。何をしてるのかと叫ぶことも、罰当たりだと止めることすらできない。ただ、目の前で信じられない行為をしている星野さんを見つめることしかできなかった。


 僕に説明するように、星野さんが切りながら言う。


「思ってたの。お札に効果があるなら、同じお札を持つ人間を恨むだろうなって。お前が何かしたのかって疑うよね。


 それで、このお札の効果が無くなったらどうすると思う?」


 ついに真っ二つに切られたお札を両手に持ち、星野さんは僕に笑いかけた。


 ガクガクと全身が震える。ようやく星野さんが言っていた『いい考え』がこれなんだと気がついた。


「相当怒ってるなら私にくっついてくるかも」


「何して……し、死にたいの?」


「私守護霊強いんでしょう? もし私に憑いたなら、あの子病院から離れるかも」


 星野さんはそう話しながら、切られたお札を近くのゴミ箱に捨てた。空き缶を捨てるかのような手つきだった。


 喉も唇もカラカラになる。目の前が真っ暗になったようになる。絶望って、こういうことを言うんだと思い知った。確かに住職は守護霊が強いと言ったが、それは普通の霊相手のことなのに。視えない星野さんに、この少女の異様さは分からないんだ。


 そして次の瞬間、星野さんの背後に何かがしがみついているのに気がつく。いつ来たのか気が付かなかった。小さな手が星野さんの首を絞めるように力強く回されていた。


「あ……あ」


 少女は笑っていた。ケラケラと大声で笑いながら星野さんの背後に張り付き、大きな口を開けている。頭が揺れるたびに髪の毛がバサバサと揺れた。それでも星野さんは何も気づかずにただ立っている。


 星野さんの思惑通り、お札を捨てたことで少女が星野さんに憑いてしまった。それもガッツリと。ともや君を遠ざけた恨みなのか。


「ほ、星野さ」


 どうしようもできない自分が声を漏らした時、少女は、その大きく開いた口で星野さんの首元に噛み付いた。


 いや、噛む、というより、喰べた、という表現が正しい気がした。


 美味しそうに貪るように、白い首に食らいつく。そしてその口元からブシュっと音を出して血が吹き出した。赤黒いそれが滴り落ちていく。ガリガリ、っと音がするのはもしかして骨を食っている音なのだろうか。


 僕は叫んだ。それはお腹から自然と漏れた叫びだった。自分の喉から出たとは信じられないほどの声で、耳が痛いとすら思った。恐怖と混乱でパニックになりながらも、こんな状況の中思い出した水谷さんの名前を呼んだ。


 少女は嬉しそうに無我夢中で星野さんの首を喰べ続けている。それでも痛がる素振りすらなく、不思議そうな顔で僕をみている星野さんがいる。これは本当に、彼女が死んでしまうと思った。どうにかしなくてはと思い、とにかく少女を離そうとその小さな頭を両手で挟んだ。


 ぬるりと気持ち悪い感触が手のひらに伝わる。腐った皮膚のようだった。離れろ、離れろ!


 力の限り引いても少女はびくともしない。ぬめりで手が滑り、勢い余って後ろに倒れ込んだ。それでももう一度立ち上がりその白いパジャマを必死に引っ張る。でも石のように少女は動かない。


 再び後ろに倒れ込んでしまう。床にお尻を打ちつけ痛みに顔を歪めた時、自分の視界に白い布が映った。


 少女が着ているパジャマではなかった。皺のないピンとした綺麗な布で、同時にシャキッと伸びた背筋が見えた。


 ナースキャップをかぶっている水谷さんだった。


「……み、ず、…さ」


 水谷さんは一瞬だけ僕の方を見下ろした。目が合った瞬間、彼女は優しく口角をあげ微笑んだ。もう大丈夫よ、と言っているように思え、僕はただ拝む気持ちで彼女を見上げる。


 すると驚きの行動に出た。星野さんに喰らい付く少女の首に、水谷さんがすごい勢いで喰らい付いたのだ。


「!? な、なにを!」


 少女がぎゃああっと悲鳴を上げた。水谷さんは少女を強い力で両手で抱きしめ、決して離してなるものかという意思を感じた。


 痛みで悲鳴をあげる少女は力が抜けたのか、星野さんから引き剥がされる。じたばたと四肢を暴れさせるが、それでも水谷さんは喰らい付いて離さなかった。彼女の目は血走り、咀嚼するように顎を動かしながらどんどん少女の首を喰べていく。血生臭い、それでいて腐敗したような匂いが鼻についた。


「水谷さん!!」


 僕の呼びかけに、彼女は少しだけ目を細めた。だがその瞬間、二人の姿が少しずつ変化する。黒い影のようなものが出現し包み込んでいくのだ。


 少女は最後の力とばかりに暴れ水谷さんのナースキャップを吹き飛ばし髪を掴むが無駄な抵抗だった。二人とも次第に真っ黒な影に完全に覆われ、足元からゆっくりと溺れていくように沈んだ。最後の最後まで、水谷さんは決して離さない。


『地獄に送る』


 そんな言葉が耳に蘇る。まさか、と思い僕は慌てて水谷さんの方へ手を伸ばした。


「水谷さん!」


 彼女は僕の腕を掴まなかった。ただ少女を離さないように力を込めているだけ。必死に伸ばす腕が虚しい。このままでは水谷さんも少女と一緒に堕ちてしまう。


 だが、水谷さんの顔からはその覚悟を感じ取れた。少女の首を食べながら、彼女は最後に少しだけ笑った気がした。


 少女の叫び声が小さくなっていく。徐々に堕ちていく二人はついに見えなくなった。黒い影がなくなり病院の白い床が見えたとき、ついに僕はその場で意識を手放した。






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