第26話 もう一つの落とし物

 人の声もなにも聞こえない空間に、なんだかやたら心臓が波打った。誰かが後ろから見ている、そんな感じがする。釘で撃ち抜かれた藁人形が僕たちをじっと見守っている姿を想像してしまった。


 ガサガサと草を踏みしめる音だけが流れる。十分涼しいその場所で、僕は額から汗をかいた。


 しばらく二人で地面と睨めっこしていると、あるところで僕は白っぽい何かを見つける。慌てて近寄りしゃがんで手にした。やはり、それは白とピンクの長財布だった。


「あった! 星野さん、あったよ!」


 わっと喜び、土がついたそれを手のひらで払った。星野さんが近寄ってきて笑顔を見せる。


「あ、よかった!」


「一応中身確認してみたら」


「ありがとう」


 こんな場所に落とされた財布が誰かに拾われるなんてあまり考えられないことだが、念のためいってみる。彼女は中を覗き込んでしっかり確認した。


「うん、現金もカードもそのままある」


「はーよかった」

 

 とりあえず胸を撫で下ろす。これで目的は果たした、もう二度とこんな場所には来たくない。全然反省しているそぶりがない星野さんに僕は強い口調で言った。


「もうさ、こんなとこ来るのやめなよ。丑の刻参りは誰かに見られると呪いが無効になるとか、自分に返ってくるとか言うから、相手に見つかったら大変だよ」


「まあ、それは大変ね」


「帰ろう。もう真っ暗だし」


 こんな場所で何も視えなくてよかったと思った。僕は全て終わったとばかりにため息をついて足を踏み出す。


 星野さんも財布を持っていたカバンに仕舞い込んだ。素直に従った行動を見てホッとする。とにかく何もなくてよかった。


 だがその時、最後に彼女はふと振り返ったのだ。


 それは誰かに呼ばれてつい後ろを見た、そんな様子だった。


 微かな風が吹く。木々のざわめきが大きく聞こえた。星野さんの長い黒髪がふわりと風に乗ってなびく。


「………あ」


「どうしたの?」


 彼女は小さく声を上げたあと、ゆっくりと微笑んだ。それは嬉しそうに、幸せそうにも見える笑顔だった。


 僕はその顔を見て声が出なくなった。なぜかはわからない、ただ息が詰まるようになってしまった。


 星野さんはしばらく一点を見つめたあと、小さく呟く。


「そうだ私。昨日、ハンドタオルも一緒に落としたんだった」


 そう発言した彼女の視線の先を見た。


 先ほど見た藁人形の隣の木だった。財布を探すうちに移動してきていたらしい。こちらも大きく太い立派な樹木で、それに白い何かを見つけた。


 少しだけ茶色い土がついた柔らかそうな布。


 その真ん中に一本、釘がしっかりと打ち込まれていた。







「本当に……本当にさ! もう二度と行っちゃダメだよ、あれは警告なんだよ!」


「もう何度も聞いた」


 帰りの車中、僕は震える体を必死に抑えながら星野さんに説教した。こっちとは正反対に、運転する星野さんは特に表情も変えずに僕の話を聞いている。


 車は何事もなく夜道を走り続けている。だいぶ人気のある道へ出てきた。すれ違う対向車のライトがひどく愛しく感じた。


 あのハンドタオル。しっかりと釘が打ち込んであって、まるで取れなかった。しばらく戦ったあと、結局そのまま置いてきてしまった。間違いなく星野さんの愛用しているタオルらしく、昨日落としたものだろうとのことだった。


 つまり。呪っていた人に拾われたんだ。


 丑の刻参りは他者にその呪う場面を見られてはいけない。まだ真新しく綺麗なタオルを見て、誰かが藁人形を見つけたことを悟った。


 もう二度とくるな。そういう意味であの釘は刺されたのだ。


 見つかったのがもし財布だったら。顔写真や住所までも載った免許証が相手に拾われてしまっていたら。さすがの星野さんも無事ではいられなかったかもしれない。


「ほんと……拾われたのがタオルでよかったよ……」


「そうね」


「よく平気でいられるね。僕はさっきから寒気が止まらない」


 ずっと涼しい顔をしている星野さんが信じられないと思う。普通の人間なら叫び出すところだ。この人の神経は死んでるんじゃないだろうか。


 星野さんはふふっと微笑む。前を向いたまま囁いた。


「でも本当凄い体験したな……」


「まず第一に普通の人はあんな樹海理由もなく行ったりしないからね。そもそもなんであんなところに行くの?」


「そりゃ、成仏できない何かがいるかなって期待して。私は全然視えないけど、勝手についてくるかもしれないでしょう。だからまさか、あんな代物を見つけるなんて思ってなかったの。丑の刻参りかあ……どんな人があれに釘を打ってるんだろう」


「やめてよね? ほんとに、またこっそり見に行こうとかするのやめてよ?」


 僕は念を押しまくった。


「今度こそ星野さんも狙われて死ぬかもよ!」


「だって……

 私は滅多なことじゃ死なない、ってお墨付きだから」


 そう囁いた星野さんの横顔を、僕は無言で見つめた。


 彼女は片手でハンドルを握ったまま、腕を伸ばして赤いおやつたちを手に取った。白い指先で何個か取り出してくると、それをゆっくり口に入れて頬張った。


 見慣れたその光景がひどく僕に緊張感を与えた。鷹の爪じゃなくて、何だか他の赤いものを食べているような……そんな錯覚に襲われて。






 僕はそれ以上何も聞かなかった。


 本当は一つ、心の中に疑問が残っていた。


 僕が拾い上げた星野さんの財布はしっかりした長財布で、大きさも重みもそれなりにあるものだ。


 いくら興奮していたと言っても、スマホなんて小さなものを取り出そうとしてあれを落とすのだろうか。しかも、ハンドタオルもだなんて。星野さんが持っているカバンはいつも小さめなものなのに。


 だからもしかして。もしかしてだけど。


 あえて相手に見つかるように私物を落としておいたんじゃないか———だなんて、恐ろしい考えが頭をよぎったけれど、もう確認する気力だなんて存在しなかった。


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