第25話 憎しみ



 結局逃げ出せないまま、僕は星野さんに樹海に連れられた。外はすでに暗くなってしまっている。こんな時刻にこんな場所にいるなんて、僕は前世で一体どんな罪を犯したっていうんだろうか。


 やや気温の低めの空気。木々の葉が風に揺れて奏でる音はリズムカルに聞こえた。勿論周りに人なんておらず、僕たち二人の姿しかない。


 適当なところに車を停めた星野さんは嬉しそうに降りて懐中電灯を取り出した。彼女の車がなくては帰れない僕はもう腹を括ってスマホのライトをつける。心細い灯りだった。


 恨みをたっぷり込めた視線で隣を睨んだ。


「またこんなところに一人で来てたんだ……何してたの、首吊りに使ったロープでもコレクションしてるってわけ」


「やだ、私そんな悪趣味じゃないよ」


 彼女の中の基準がまるでわからない。今まで欲しがっていた曰く付きのグッズは僕からみたら全て悪趣味もいいところだ。


「こんなところ一人で肝試しにきてるだけで十分悪趣味だよ」


「そう?」


「早く財布探そう。言っておくけど僕はこの樹海で幽霊を探す気はちっともないんだからね」


「残念」


「ほんとに! どの辺いくの!?」


「財布の落とし場所には心当たりがあるの。こっちよ」


 星野さんは懐中電灯を持ったまま草が生い茂る中へ躊躇いなく足を踏み入れた。僕は顔を歪めながら後に続く。一歩進むたび小さな虫が飛び交うのに不快感を覚えた。


 まさか迷子にもなりそうなこの広い樹海を歩き回されるわけでは、とゾッとしていると、意外にも前を歩く星野さんはすぐに足を止めた。振り返って僕に言った。


「ここよ、この辺。この辺で私鞄を漁ったの」


「え、ここ?」


「写真を撮りたくて。それ以降鞄は開けてないから間違いないと思う」


「写真って一体なにを」


 そう聞き返そうとした僕は、星野さんが立つ背後にあるものを見つけた。


 樹齢どれくらいだろうか、幹が太くしっかりした大きな木。そこにある異質なもの。


 藁人形と五寸釘だった。


 僕は唖然としてそれを見つめる。そこの一帯だけ別世界のような、黒いモヤがかかっているような感覚に包まれた。


 それはあまりにも有名すぎる話。藁で作った人形に、呪いたい相手の髪の毛や写真を入れて釘で打つ。相手は何かしらの影響を受ける、丑の刻参り。


 場所は神社の御神木に行うだとか、格好は白装束だとか、人に見られると効果がなくなるだとか———色々言われていることだが、とりあえず人形に針や釘で攻撃することは基本だ。


 それを見た途端、全身にざわっと悪寒が走った。この時代にいまだこんなことをしてまで相手を陥れようとする人がいるんだと、人間の狂気を見てしまった気がした。


 藁人形はまだ新しい。釘も錆なんかついておらず、むしろピカピカに磨き上げられたかのような美しさ。これがまだ使われて間もないあることは明白だった。


 夜、こんな場所で、誰かが無心に人形に釘を打ち込む姿を想像する。何がそんなに憎いのか、怒りというパワーは時に凄まじい力を持つ。


 星野さんは懐中電灯の明かりをその人の形をした藁に当てながら微笑む。


「ちょっと散歩のつもりで来たんだけど、こんなの見つけちゃって。まだこういうことする人、いるのね」


「いる、いるのねじゃないよ……! どこから突っ込んでいいかわからないよ」


「私も実物を見たのは初めてだった。だから興奮しちゃって、とりあえず写真におさめたくてスマホを取り出したから。その時に財布落としたのに気づかなかったのかも。かなり興奮してたし」


「はあ……ほんとこの人は……でも、星野さんなら現物持って帰ってコレクションとかすると思ったのに、そこは踏みとどまったんだね」


 怖いもの知らずの星野さんならやりそうなのに。さすがの彼女も人を呪ってる現物なんてやばいと思ったんだろうか。思いとどまってくれてよかった、これを持ち帰ってしまった日には本当に身が危ないと思う。


 僕の質問にふふっと笑う。そして優しい顔で藁人形を見つめながら言った。


「そりゃそうよ。まだ完成していない呪いを途中で持ち帰るなんて野暮だわ。この藁人形が一体どれくらいまで打たれるか見なくちゃ。何本釘が刺さるのか、まだ綺麗な藁が朽ちるまで続くのか。


 誰も打ち付けなくなった時、それがこの人形の完成体なんだから」


 ここ最近少し忘れていた星野美琴のヤバさを、久しぶりに目の当たりにした気がする。


 暗闇の中でも浮かんでくるほど白いその肌はあまりに綺麗だ。綺麗で、おぞましい。


 一緒に働いてる時は人をフォローしたり、優しく対応したりして温かな人間性が見える。その裏で誰にも真似できないこのオカルトへの心酔は、一体どこから生まれてくるのだろうか。

 

 どちらが本物なんだろう、と思う。いや、どちらも本物なんだ。


「大山くんは呪いたいくらい憎いと思った人間、いる?」


「い、いないよそんなの……そりゃ、多少嫌いな人はいても。でも呪おうなんて思わないよ」


「そうよね。私もね、嫌いな人はたくさん出会ってきた。誰だってそうじゃないかな、生きていれば心底憎い相手の一人や二人出会うことになる。でもほとんどの人が、こんなことを実行しようだなんて思わない。


 この人形の持ち主は一体何があったのかな。どれだけ辛い思いをしたんだろう。どんな理由で、どんな思いでこれに釘を打っているのか……そう考えるだけで想像が止まらないの」


 僕は何も答えなかった。事情はわからないが、きっと自分の想像を遥かに越えた恨みなんだろう。もしかしたら、一生経験できないほどの何かがあったのか。


 例えば家族を殺されたとか。自分が事件に巻き込まれたとか。……想像しても答えはわからないし、わかりたくなかった。


「……とにかく、これを打ってる人が来たら大変だから。財布探してここを早く出よう」


 僕は話を逸らすようにしてそう言った。星野さんは何も言わず僕の言葉に従う。二人でライトで足元を照らし周りをぐるりと歩いていく。雑草たちがかなり育っていて生い茂っているので、目を凝らさないと落し物はまるで見つけられなかった。

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