第19話





「……星野さん、どういうこと」


 だいぶ経ってから、僕はようやく彼女に恨みの台詞を投げつけた。


 赤いおばさんはもう見えなくなっていた。誰もいなくなった坂道の途中で、僕と星野さんのみ残された。


 確かに全身赤いおばさんはいたけど、ぬいぐるみだなんて嘘だった。それが笑うだとかも。あの赤ちゃんはなんか変だったけど、それでもぬいぐるみじゃないことは確かだ。


「え?」


「なんで僕を騙したの。なんか試したかったの?」


 オカルトマニアの考えはよくわからない。星野さんはいつものように微笑みながら僕に説明……


 しなかった。


 彼女はキョトン、と目を丸くしてこちらを見たのだ。


「え、騙したって?」


「とぼけないでよ、ぬいぐるみのこと!」


「ああ、大山くんが抱っこするなんて意外だった。私も抱っこしたことないのに、よっぽど気に入られたのね」


「気に入られたのかどうか知らないけどさ。なんのためにあんな嘘ついたの。あの赤ちゃんなんか変だったし、関係あるの?」


 僕が捲し立てる。だが、意外にも星野さんは未だに不思議そうにこちらを見ているだけだ。


「え、変だったって?」


「やたら冷たかったし! 未だに腕が冷たい気がする……」


「冷たかったの?」


「氷みたいにね」


「と、ゆうか不思議だなって思ったの。

 

 あのぬいぐるみ、まつ毛もないし二重でもなくない?」


 彼女とまるで会話が噛み合っていないことに、僕はようやく気がついた。


 今聞いた言葉が理解しきれなくて、ただ唖然と彼女を見つめた。星野さんはふざけてる様子もなく、僕を見ている。


 待って、くれ。


 ガクガクと全身に震えが走る。さっき抱いた両腕を見つめる。冷たかったけど、あの重さ、感触。絶対に赤ちゃんだった。


「ぬい、ぐるみ?」


「そうよ。よくある布でできたぬいぐるみ。手作りぽぽいわよね、あのおばさんが作ったのかな」


「ま、待ってほしい。さっきベビーカーに乗ってたのぬいぐるみ?」


「え? 大山くん、何言ってるの? ぬいぐるみを随分大事そうに抱っこするんだなあって感心してたの」


 あのおばさんが嬉しそうに笑って僕の顔を観察していた光景を思い出す。抱っこした感触を忘れたくて、僕は意味もなく腕を必死に擦った。


 あれは僕にしか、いや、僕とおばさんしか見えてない?


 他の人にはぬいぐるみに見てるのか? なぜ? どうしてそんなことが?


 ベビーカーに話しかける様子を思い出す。とても幸せそうに、嬉しそうにしているおばさん。


 もし自分の愛する子供を亡くしたら


 精神を病むか、前を向くか、


 ——蘇らせようとするか





「大山くんどうしたの? なんか見えたの? ぬいぐるみ、笑ってた!?」


 嬉しそうに聞いてくる星野美琴に、真実なんて到底話せそうになかった。


 今起きた摩訶不思議な現象を。答えも何もない、あの出来事を。


 なぜあんな現象が起きているのかはわからない。おばさんが子供を蘇らせようと試みたのか、はたまた何かが取り憑いているのか、真実は闇だ。


 それでも、きっと彼女はこれから先も幸せそうにあの子を育てるんだ。人から見たら生きてるはずもない冷たいぬいぐるみを。


 それが本当に幸せと呼べるのか……僕の人生経験は浅くてまだ分からない。





 あの冷えた赤ん坊より、僕はただおばさんが怖かった。


 嬉しそうに至近距離でこちらの顔を見てくるあの顔。正気か、狂ってるのかすら分からない。


 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る