ベビーカーを押す女

第16話 ぬいぐるみ




 視える僕……大山研一の能力に気づいてしまった超がつくオカルトマニア・星野美琴は、僕の働くファミレスのバイト仲間だ。


 ことあるごとに色んな心霊話を持ちかけては巻き込んでくる。いや、半分自分から首を突っ込んでることにも最近自覚してきているが。


 それでもここ最近はシフトがかぶることが少なく、星野美琴と顔を合わせることが減っていた。平穏な毎日で、大して頭がいいわけでもない大学へ行き、バイトをし、数少ない友人と時々遊んだ。


 僕なりに、大学生活を楽しんでいたってわけだ。いや、これが本来あるべき普通の生活なんだよ。





 自動ドアが空いた瞬間、本屋独特のあの匂いが鼻をついた。昔からこの匂いがなんとなく好きな僕は何だか懐かしい気分になってホッと息をつく。


 広い本屋はそこそこ人で賑わっていた。自分が一人暮らしをするアパートから徒歩十五分、結構大きい本屋があるのはありがたいことだった。ボロいアパートだが、徒歩圏内に本屋やファミレス、スーパーなどがあって住む場所としてはほぼ満点だと自分では思っている。


 今日はずっと待ち続けた漫画の新刊を求めてここへやってきた。貧乏学生なのだが、その漫画だけは小学生の頃から集めているため今更集めるのを辞めるなんて無理な話だ。ワクワク楽しみにしながら店内を歩いた。


 欲しいものはすぐに見つかった。でもせっかく来たのだし、と思い適当にぶらぶら歩くことにする。主に漫画コーナー、ついでに小説、最後に一応大学生なので参考書でも。あまり興味ないけど。


 ぼうっとしながら棚を眺めているときだ。


「あれ、大山くん?」


 鈴の音色のような綺麗な声が聞こえて振り返る。ネイビーのワンピースが揺れた。その色のせいか眩しいほどの白い肌が目に入る。


 ロングヘアを揺らしてこちらを見ているのは星野さんだった。


「え、あ、星野さん!」


「奇遇だね」


 にっこり僕に笑いかけるその姿につい一瞬見惚れた。中身はとんでもない人だけど、外見だけは文句の付けようがない美少女なのだ。その証拠に、彼女の隣を通っていく人たちが星野さんに注目する。そして美少女が話しかけたメガネ野郎にもついでに注目してくれた。


 思えば同じバイト先に徒歩で通うご近所さんなのだ。休みの日に会うのも珍しくはない。


「最近バイトであんまり被らないね」


「あ、そうだね」


「ふふ、会いたいって思ってたの。嬉しい」


 男なら飛び上がって喜ぶだろう台詞に、僕も一瞬騙されて喜びそうになった。でも流石に冷静になる。これは絶対あれだ、あのパターンだ。


「大山くん何見てるの、参考書?」


「あーうん、そんな感じかな!」


「私も。同じだね」


 実は漫画目的なのだが。だが星野さんは本当に参考書を手にしていた。意外と真面目なんだ、と失礼なことを思う。


「星野さんってどこの大学だっけ」


「T大学よ」


「ほえ!? む、無茶苦茶頭いいとこじゃん!」


 つい彼女を二度見した。そんなに頭が良かったなんて! 確かに馬鹿には見えないけど、まさか。


……頭良くて可愛くて、普通の時は優しかったりするし。オカルトさえなければ……最高の子なのに……


 僕の心の声に気づかず、星野さんは微笑んで言った。


「今から帰るの? 途中まで一緒にかえろ」


 そういうと、こちらの返事も聞かずに彼女はレジへと向かっていった。綺麗な髪が揺れてシャンプーのCMみたいだ、なんてどうでもいいことを考えていた。


 多分帰り際、またなんかのオカルト話をされるんだとうと想像つくが、一緒に帰れない、なんて断る勇気が出ないのは、やっぱり僕がヘタレだからなのだろうか。






 外に出て二人一緒に並んで大通りを歩き出した。彼女と歩くと普段より人目が気になる。みんな見惚れるように星野さんの顔を凝視していた。


 当の本人はそんなこと慣れっこですとばかりに気にせず話す。


「ここの本屋さんって大きいしいいよね」


「そうだね。星野さんよく来るの?」


「うん、本好きなの」


「結構家近所だもんね、今まで会わなかったのが不思議か」


「それもそうだね。あ、こっち近道なの、知ってた?」


 彼女はそっと右を指さした。細い下り坂が見える。特になんの変哲もない住宅街のようだった。僕は首を振った。


「まだ道あんまり知らなくて」


「そうなの。教えてあげる、来て」


 星野さんはその下り坂に向かって歩き出した。僕も素直についていく。車二台すれ違うのがギリギリなぐらいの広さだった。


 決して変な感じのする道などではなく、本当によくある住宅街。遠くから子供の遊び声が聞こえてくる平和な時間だった。


 星野さんのゆったりとした歩調に合わせながら、気分良くその坂を下っていく。


「そうだ大山くん」


「何?」


「ベビーカーおばさん、知ってる?」


 突然彼女はそんなことを言い出した。隣を見ると、涼しい顔で真っ直ぐ正面を見ながら歩く白い横顔がある。


「え、なに?」


「この道知らないならわからないよね。ベビーカーおばさん」


「ま、また心霊話……?」


「ううん、生きてるから安心して」


「え、生きてる人?」


 どうせ幽霊の話だとばかり思っていた僕は予想外の言葉に驚いた。生きてる人で女性がベビーカー引いてるのは、普通の光景じゃないか。


「この坂道をよく通ってるの。年は四十すぎくらいかな。いつも全身真っ赤な服を着てるの」


 なるほど、と心で思う。全身赤い色の服となれば確かにやや異質だ、噂になるのも仕方ない。でも僕はその理由が少し想像ついて、ちょっと得意げに言ってみた。


「赤ちゃんが最初に認識する色って赤とも言われてるんだよ! だからお母さん赤ばっかり着ちゃうんじゃない? 微笑ましい話だね」


 そうだったの? 知らなかった! ……というセリフを期待して横をみたが、彼女は微笑んだまま何も答えなかった。風が吹いてその黒髪を巻き上げる。


「そうだね、そういう理由も考えられるね」


「で、でしょ?」


「でも、ベビーカーおばさんは出没し出してもう一年以上。とっくに赤ちゃんと呼べる年じゃなくなってるはずよ」


「……そう、なの」


「それに。一番肝心なところを言い忘れてた。

 ベビーカーに乗ってるのは人間じゃなくて、ぬいぐるみよ。それをまるで本当の人間がいるように話しかけて散歩する。それが、ベビーカーおばさん」


 星野さんがゆっくりとそう説明した。まだまだ続く下り坂を進みながら、僕は全身真っ赤な服の人がベビーカーを押している姿を想像した。


 いい天気ね、赤ちゃん。気持ちいいわね、赤ちゃん。そうぬいぐるみに話しかけている姿を。


……確かに不気味ではある。噂にもなるだろう。近寄りたくないと思うのが普通だとも思う。


 それでも僕はなんとなく、そのベビーカーおばさんを気味悪く思えなかった。


「それ、ってさ。やっぱりちょっと精神が疲れちゃってる人なのかな。

 例えばだけど、子供が欲しかったけどできなかったとか、はたまた亡くしちゃったとか。だとすれば、可哀想な人だと思うし、誰かに迷惑かけてるわけじゃないから別に放っておけばいいんじゃないかな」


 母親って生き物の気持ちはわからない。僕は男だし結婚すらしたことないから当然なのだが、母親の子供に対する愛情はすごいらしいってのは分かる。


 不憫な人、なんじゃないのかな。


 別に他の人に実害あるわけじゃないし、そんな噂あまりに気にしなければいい。


 しばらく星野さんは黙っていた。勝手なイメージだが、星野さんがこういう噂を気にするのは意外だと思った。


 彼女は取り憑かれるのが夢で色んな心霊話に食いついてる。怖いとはいえ、生きてる人間の奇行なんて目もくれなそうなのに。


「大山くん、優しいんだね」


「え、あ、いや別に。心霊話でもないし、星野さんが興味持つのがいが」


「この話には続きがあってね。

 

 そのぬいぐるみを近くでみた人が、『笑った』っていうの」




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