第15話 あの部屋で起こったこと


「もっとゆっくりしていけばいいのに」


 残念そうに言った原田さんをよそに、昼食をいただきその後少しお茶をした僕たちはすぐに帰る支度を始めた。星野さんも素直に従った。恐らく、この部屋に何がいるのか僕の口から聞きたくてしょうがないのだろう。


 彼女はにっこり笑って言った。


「楽しかったです、ありがとうございました」


「いやー結局心霊写真も撮れなくて残念だったね? まあこんなもんだよな〜事故物件なんて! 俺住んでても全然何も感じないもんははは!」


 原田さんは大きな口を開けて笑った。それは本心のようだった。彼から変な気は何も感じないし、操られてる感じもない。どちらかといえば星野さんの方がもっとやばい時がある。


 鈍感は才能だ。星野さんもそうだけれど、鈍感とは実は最高に恵まれた才能なのだ。


「まあ今度は美琴ちゃんだけでもいいからおいで!」


「ふふ、次はバイト仲間みんなで来てもいいですね」


 原田さんの下心満載の誘いをバッサリ切った彼女はそのまま歩き出す。原田さんの残念そうな顔が少し不憫だった。多分、この人に星野美琴は落とせない。


 それでも僕はとにかくこの部屋から出れることにホッとしていた。原田さんに頭を下げて部屋から廊下へと足を踏み出していく。


 彼は知らない方がいい。ここに何かがいるということ。知らぬが仏、とはよく言ったものだ。僕だって知らずに生きていたかった。


 星野さんは早いことにもう玄関で靴を履いている最中だった。その背中を追うように歩き出した瞬間、ふと左側に何かを感じ取った。


 反射的にそちらを見ると、一つの茶色のドアだった。トイレか、はたまた浴室か。最初通ったときはしっかり閉じられていたと記憶しているそのドアは、いまはほんの少しだけ開いていた。


 その僅かな隙間に挟まれるようにひっそりとあったのは、足首だった。


 二つの足首がじっと立っている。くるぶしより上は真っ赤な血液で染めらて何もなかった。ほっそりとして自分の足より小さく見えるそれは女性のもののように思えた。


(……出よう)


 見なかったふりをして僕は先を急いだ。だが視界の隅で、その二つの足がペタペタとこちらに歩んでくるのが見えた。心の中でげんなりする。すでに靴を履き終えて玄関のドアを開けて待っている星野さんに追いつき自分も急いで靴を履いた。


「じゃあ、またおいでなー」


 見送りに来た原田さんを振り返ると、陽気そうにひらひら手を振る彼の足元で、あいつらがこちらに歩み寄ってきている。


 僕は意を決してその足首たちを睨みつけた。このままこっちについてこられちゃたまらない。


 ピタリ、と歩きを止めた。足首たちはそのまま静かに待機している。


 何も知らない星野さんが言った。


「じゃあ原田さん、お邪魔しました」


 そして、原田さんと足首たちを残して、彼女は玄関のドアを完全に閉じたのだった。







「あのね、あのアパートね」


「バラバラ殺人でもあったの?」


 車の中に戻ったとき、僕はぐったりしていた。最後に足首たちに睨みつけて体力も奪われたし、それ以前に嫌なものを見て精神力が削られている。


 星野さんはパアアっという効果音が似合いそうなほど笑った。


「凄い! 大山くん、やっぱりそんな鮮明に視えるのね」


 否定する元気もなかった。今まで「オーラを感じるくらい」と誤魔化し続けた僕だが、もうそう言い張るのは無理だと観念する。


 ああ、視えましたさ。最高に嫌なものたちをね。よくもあんなアパートに案内してくれたなと恨みたい。やっぱり彼女の誘いになんてのるんじゃなかった。分かってたはずなのにな。


 恐らく女性だ。女性のバラバラ死体でもあったのだろう。体のパーツそれぞれに男とは違う細さが垣間見れた。


 星野さんは話した。


「ええ、大山くんもテレビでニュース見たかもしれない。女性が殺されてバラバラにされた事件。細かくした体たちを少しずつ捨ててたみたいだけど、発見されて犯人はもう逮捕されてる」


「やっぱり女性か……」


 体を切断、となれば浴室で行うだろう。もしかして何か容器に入れてクローゼットで保管していたかも。僕はシートにもたれたままぼんやりとそう考えた。


 そりゃ出る。殺された挙句、そんな扱いされれば。


 僕は窓ガラスからアパートの窓を見上げた。何の変哲もない部屋の中に残る怨念。


 霊は怖い。それは間違いなく。


 でもやっぱり、


「人間の方が怖い、とも思うわね」


 僕の脳内を読み上げるかのように、隣から声がしたので驚いた。星野さんはどこかを真っ直ぐ見て、いつのまに取り出したのか鷹の爪をかじりながら言った。


「女性を殺してバラバラにするなんて、そんな人間が一緒の世界にいる方が私にとってはずっと恐怖だと思う」


「…………」


「ま、私は視えないからそんなふうに思うのかな?」


 彼女がこちらを見て少しだけ口角を上げた。僕がぽかんとしているのに気づき、不思議そうにいう。


「どうしたの? 驚いた顔して」


「いや、星野さん意外と常人の感覚も持ってるんだって思って」


 取り憑かれるのが夢、だなんて言うオカルトマニアで毎度毎度ぶっ飛んだ行動を見せてくる彼女だけど、ちゃんとしたところはしていると言うことか。いやでも、ちゃんとしてたらその現場に好奇心で見に行ったりしないはずなのだが……。


 彼女はやや不服そうに目を細めた。


「どういう意味」


「そういう意味だよ」


「心外ね。取り憑かれたいけど人間として生きていくための常識ぐらい持ってる」


(常識ある子は事故物件好奇心で見に行ったり廃墟から物持って帰ったりしないんだなあ……)


 僕の心の声は届かず、星野さんはまた鷹の爪を食べた。その綺麗な横顔を見ながら、何だかいまだに掴めない子だなあ、と思ったりする。


「ところで私やっぱり憑かれてない?」


「ない」


「原田さんって憑かれてないの?」


「ない。多分すごく鈍感な人だし、大丈夫じゃないかな」


 僕はようやくシートベルトを締めた。それを合図にするかのように星野さんがエンジンをかけた。やや残念そうな表情に見えるのは気のせいじゃない。やっぱりこの人ずれてる。分かってたけどさ。


 発進した車の中からアパートを眺めた。もう二度と足を踏み入れることはないだろう場所だ。





 結局その後も原田さんはあのアパートに住み続けているらしい。彼自身元気そうだし、あの霊の存在にも気づかずうまく共存しているのだろう。意外とそういうパターンも多いのだ。


 殺されてもなお一つの場所にとらわれているというのは不憫な話でもあるが、あいにく僕は成仏させてあげるだとかそんなことは出来ないので、残念ながらこのままの状態でいるしかない。


 霊ももちろん怖かったが、生きてる人間の方が怖い——そう思わせてくれた事件だったが、


 その後更に痛感させてくれるものと出会うことになる。やっぱり星野美琴のせいで、だ。



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