第6話 最悪な置き土産

 一人青ざめる。今までも、こういうやつらは見えないフリを徹底してきたのに、初歩的なミスだ。店に入ってきた時、何人かという質問に男の人は人差し指を一本出していたじゃないか。


 僕は慌てて女性の前の水を取り下げる。


「あ、す、すみません、ちょっとぼーっとしてました……はは」


 その女の人を見ないように、そしてなるべく平然を装って言う。男の人は特に気にする様子もなくメニューに視線を戻した。バクバクと鳴る心臓を必死に抑えながら、早くその場から離れるために踵を返す。


 すると少し離れたとこに、星野美琴がいたことに気がついた。


 彼女はじっと僕を見ていた。その目はキラキラしており、大変楽しそうだった。本日二度目のしまった、という感情がわき出た。


 星野さんには視えるとか追い払う力があることは言ってない。ちょっとオーラを感じる、と説明してある。だが彼女は恐らく、僕が視えてしまうということを感じ取っている。まあ一緒に心霊スポットに行き、その時の僕の言動を見ればそう考えるのは仕方がない。


 それでも僕は最後まで視えるということは認めていなかった。それを彼女に知られれば、また変なことに巻き込まれるのが目に見えていたからだ。


 僕は素知らぬ顔をして彼女の横を通り過ぎた。だがしかし、小走りで追いかけてきた星野さんはどこかウキウキしたように小声で尋ねた。


「大山くん? ねえ、なんかいた? なんかいるの?」


「え? 何が」


「あの席の男のひとの前。なんかいるの?」


「別に。最初人数を聞いた時見間違えただけ」


 そっけなくそう答えてみせた。だが心の中はバクバクだ。女にも視えるって気づかれたくないし、星野さんにも気づかれたくない。僕の敵は二人いる。とりあえずそのままあの席が見えないように移動する。完成した料理が出てやしないかと裏へ入ってみるが、残念ながら特に何もなかった。


 ついてきた星野さんがまとわりつくように言ってくる。


「だって大山くん随分慌ててた」


「ははは、そうかな、失敗すると慌てちゃうのなんとかしなきゃねははは」


 あくまでしらばっくれる僕に、彼女は少し頬を膨らませて睨みつけた。馬鹿野郎、取り憑かれるのが夢だなんて言うオカルトマニアに霊がいるって教えてたまるか。


 それから仕事に意識を逸らせてあの女のことを忘れるように努めた。幸い注文を取るのも食事の提供も他のメンバーがやってくれたので、僕は近寄らずに済んだ。


 一人での来店だったせいか、客は食事を済ませるとさっさと伝票を手にした。遠目でそれを見てほっと息をつく。そのままどうぞお帰りください、なぜあの男の人に憑いてるかは分からないが、僕が首を突っ込めることじゃないし……


 さて皿を下げに行こうかとあの席を振り返った瞬間、出かけた自分の足がピタリと停止した。


 空になったグラタン皿の前に一人の女が座っている。相変わらず俯いて髪が垂れいるので顔が見えない。ピクリとも動かず、異様な空気を醸し出しながらそこにひっそり座っていた。


(……置いていった……! あの女、居座ってしまった……!)


 絶望で頭が真っ白になる。男についてきた女、きっと一緒に帰って行ったのだろうと思い込んでいた。まさかここに居座ることになってしまうなど思ってもみなかった。


 呆然としている僕の顔を、星野さんがチラチラと遠目から見ているのに気がついた。はっとして平然を装う。僕は女の方は見ないようにして、トレイを片手に一番奥の座席へと移動した。


 近くまで行って空の皿たちを無言で下げていく。もちろん目線は女の方は絶対に見ない。それでも、視界の端で彼女が俯いたまま動かないのを確認できた。動く気配はまるでない。


 もしかしたら無害なものかも。僕は心の中で呟く。霊とは有害なものからそこに存在するだけの無害なものまで幅広く存在する。後者だとしたら、放っておけば多分いなくなるし悪影響はない。


 そう思い込んでテーブルの上を拭く。そこへノックがやってきて小声で話しかけてきた。


「大山、もう上りの時間だろ。変わるよ、お疲れ」


 優しい彼の気遣いに喜びながら時計を見上げた。確かに、今日午後からずっと働いている自分はもう上がらせてもらう時刻になっている。心の中でガッツポーズをとった。


「あ、ありがとう。じゃあ上がらせてもらう」


「ん、お疲れ」


 とりあえず持っている食器だけ洗い場へ持っていこうと軽い足取りで歩んだ。ささっとそれを片付けると、帰宅しようと更衣室へ向かっていった。


「大山くん」


 背後から綺麗な声色が聞こえる。振り返ると、まるで作り物かと思うほど可愛らしいその人が微笑んで立っていた。

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