第7話 一つ多い水

「あ、星野さんお疲れ」


「ねえ、帰りご飯食べて行かない?」


「へ」


「親睦を深めるってことで。この前迷惑かけちゃったお礼も兼ねて」


 首を少し傾けて言ってくる星野さんを見て、不覚にも心臓がどきりと鳴ってしまった。オカルトマニアのとんでもない子だけど、普通に見ればぶっ飛んでしまいそうに可愛いし優しいところもある。一人の男として、こんな可愛い子からのお誘いは心弾まずにはいられないのだ。しかも自分は地味な眼鏡野郎で、女子と二人の食事すらほぼ経験がない。


「え、いいいいいいいけど」


「よかった。着替えてくるね」


 優しく微笑んだ星野さんの後ろ姿を見送る。はねるポニーテールの髪がなんだかやけに尊く見える。自分も慌てて更衣室で着替え、安っぽい適当な服であることを残念に思った。いや、元々こういう服しか持ってないのだが。


 外に出てみると、すでに星野さんは着替え終えていた。結んでいた髪はおろしている。僕はずり落ちた眼鏡を直しながら駆け寄った。


「ごめん待たせたかな!」


「ううん」


「えっと、どこに行」


「バイトに入ったばっかりの時って、一度そこで食事した方がいいと思うの。客目線になれるしメニューも覚えられるし。だからうちの店で食べていこ」


 僕の言葉を被せるように彼女は一息にいった。そしてやたら幸せそうにうっとりしながら外ではなく店内へ戻っていくその姿を見て、僕はただ一言「やられた」と思った。固まったまま動けずにいる。


 外見につられてしまった。やっぱりこの子はとんでもないオカルトマニア、取り憑かれるのが夢の変人なんだ。初めからファミレス内に戻るのが目的で僕を誘ったんだ。


 慌てて振り返る。すでに大分先まで進んでしまっている星野さんに話しかけた。


「星野さん! いや、外に食べに行きた」


「これも勉強だよ。早くバイトに慣れるといいね」


 完全にこちらのセリフを聞いていない彼女はそう答えると、さっさと店内へと向かっていってしまった。






 やはりというか、彼女が選んだ席はあの席だった。僕たちがいない間に埋まっていればいいものを、無意識に人間たちは避けるのか。混みだした店内の中であそこだけ未だ空席だった。


 星野さんは嬉しそうに腰掛けた。それは流石、僕が間違えてお冷やを差し出した女の霊がいる方に、である。ここまできたら引き下がれなくなってしまった僕は、女を見ないようにして向いに腰掛けた。


 星野さんのすぐ隣に女は俯いたままいる。僕はどきどきしながらメニューに視線を移す。平然を装うんだ。何も見えないふりをしろ、今までもそうやって生きてきたんだ。


「オススメはね、ドリア美味しいよ。あとハンバーグ」


「あ、うん……」


「ふふ、どうしたのやけに静かだね?」


「べ、べつに。そうだな、僕ハンバーグに……」


 そう話している時だった。まだ勤務中のノックがこちらに笑顔で近寄ってきたのだ。みるからに好奇心でたっぷりの顔だった。


「はいは〜い。二人とも急に仲良くなったんだね〜」


 ニヤニヤしながら僕の顔を見てくる。言ってやりたい、幽霊絡みに巻き込まれてるだけなんだこっちは。


 星野さんは笑いながらサラリと交わす。


「ちょっと共通の話題があって、私から誘ったの」


「へえー! うらやまし。はいではご注文をどうぞー」


 そう注文を取ろうとする彼に、僕は返答する。


「あ、いやまだ決まってないんだ、もう少し後で」


「え? じゃあなんの呼び出しだった?」


 キョトンとしてノックが言った。僕はその途端、彼がここに来たのはちょっかいをかけに来たわけではなく、呼び出しボタンの音を聞いて来たのだということを理解する。


 恐る恐るボタンを見た。ボタンはあの女のすぐ隣に配置されていた。


 彼女は俯いていてよく顔が見えなかったが、その時ようやく口元が小さく動いていることに気がついた。真っ白な唇が僅かに震えており、ほとんど空気のような声をかぼそくだしていたのだ。


「…………に…………な………て……………する…………」


 途切れ途切れにそんな言葉が聞こえて背筋に寒気が走った。慌てて視線を逸らす。案の定気づいていない星野さんは笑ってノックに言った。


「ええ? 呼んでないよ?」


「うそ、違った?」


「違う席じゃない? あ、そうだ。来たついでに、もう一つお冷やもらえる?」


 にこやかに言った彼女をギョッとして見た。まさかと思ったが、さすがは取り憑かれたい彼女である。ノックが持ってきたお冷やを、あの俯く女の前に置いたのだ。本当に視えてないんだよね? と聞きたいくらい完璧な位置だった。カラン、と涼しげな氷の音が響く。


 僕はただ青ざめた。視えてないフリしたいのに、これじゃあ全く逆だ。


「は、はは……星野さん、そのお水は」


 とりあえず何も気づいていないふりをして顔を引き攣らせて尋ねる。彼女は微笑んで首を傾げる。


「え? 別に深い意味なんてないよ。ふふ」


 意味深に微笑む彼女を見て、僕はもう何も言葉を返せなかった。星野さんを見ていると、自然と視界にあの女も入ってくる。どんなに見ないでおこうと思っても、勝手に入りこんでくるのだ。最悪だ、と心中で絶望する。


 とりあえず二人で夕飯を注文した。その間も、星野さんはどうでもいいテレビの話をし、女はブツブツ何かを言いながら俯いているだけだった。あまりにカオスな状況に失神してしまいたいと思った。

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