第5話 おにぎり食べたい

「柊一、この人は」


「……おにぎり」


「え?」


「おにぎり、食べたい」


 ぼうっとしながら黒崎さんはそう言った。私の顔から視線をそらさず、だ。片瀬さんは呆れたようにはあーと息を吐いて、頭を抱えた。


「すみません井上さん、隣から食料を取ってくるので、待ってて頂けますか」


「え、あ、どうぞ……」


「すぐ戻ります」


 片瀬さんは急いだ様子で部屋から出て行ってしまった。その後、沈黙が流れる。黒崎さんといえば、未だ私をじっと見つめていて、気まずいことこの上ない。人をこんなに見つめるのはちょっと失礼だと思わないのだろうか?


 視線をそらしてみたものの、やはり私を見ている。ううん、あれかな、まだ意識がはっきりしてないからかな。もう少し寝るように言ってみようか。


「あ、あの、片瀬さんが戻るまでまだ横になって」


「お隣さんだ」


 黒崎さんがそう呟いた。なんと、私のことを知っていたらしい。なんとなく恥ずかしくなり、顔を俯かせて言う。


「は、はい、井上遥と言います。隣に住んでます」


「お隣さんが、どうして僕の家に?」


「違います、黒崎さんが私の部屋にいるんです!」


「え? ああ……」


 ようやく部屋を見回し、理解したようだ。そして再度私を見、彼は言う。


「君、僕に何かした?」


「えっ。何か、っていうか……」


「変だね。あんな凄いの食べたら、しばらく起き上がれないはずなんだ」


 食べる、とは一体何の話だろう。疑問に思い聞き返そうとしたところで、早くも片瀬さんが戻ってきた。手にはラップに包まれたおにぎりを持っている。


「柊一! 冷凍しといたやつ温めてきた」


 差し出すと、黒崎さんはそれを受け取り、丁寧にラップをはがした。両手でおにぎりを持ちながら、あむっとかぶりつく。無言で食べていく姿は、どこか小動物のようにも見えた。なんだか、つかめない人だな。


 片瀬さんが私に申し訳なさそうに謝る。


「すみません、色々バタバタして」


「いえ、ご飯が食べられるぐらいまで元気になったのならよかったです」


「ほんとですよ。凄い回復の速さだ」


 もぐもぐとおにぎりを食べつつ、黒崎さんは片瀬さんに言う。


「暁人、しょっぱい」


「文句言うな」


「暁人って他の家事は完璧なのに、なんで料理だけできないの」


「米を洗剤で洗いだすようなやつに言われたくないな」


 私は座ったまま、二人の会話を黙って聞いているしかない。ずいぶん仲がいいみたいだなあ、片瀬さんもかっこいい部類の人だし、すごい二人組だ。


 しばらくしておにぎりを食べ終えた後、片瀬さんが差し出したお茶を飲んだ黒崎さんは、ベッドの上で壁にもたれながらやっと私の方を見た。


「……ごめんね、話の途中だった」


 柔らかく微笑んでもらったのを見て、なんとなく背筋が伸びてしまった。私が返事を出来ずにいると、片瀬さんが少し離れたところに胡坐をかいて座り込み、黒崎さんに言った。


「柊一、俺が説明する。昨日タクシーでここまで帰ってきた後、家の鍵をタクシーに忘れてしまったことに気が付いた。そこで声を掛けてくれたのが井上さんだ」


「へえ」


「柊一を見て、すぐに横にさせた方がいいって部屋を貸してくれた。この人もまた、見えるんだそうだ」


 黒崎さんが私をじっと見る。なんとなく、彼の視線は苦手な私は、合わせることなくうつむいていた。


「で、お言葉に甘えて中に」


「入ったの? あんな状態の僕を連れて?」


「……柊一、井上さんは見えるだけじゃない。あの時のお前に触れて平気だった上、暗気(あんき)を浄化できるみたいなんだ。今、お前がこの短時間で動くことが出来たのはこの人のおかげなんだ」


 黒崎さんが目を丸くした。あんき、とは、あの黒いもやのことを呼ぶのだろうか?

 黒崎さんは改めて自分の体を観察し、感心したように言う。


「それで僕はたった一晩でこんなに動けるのか」


「その疲れからか、井上さんはそのまま寝てしまったので今に至る。ただ、体調不良などはないらしい。話によると、家族も似たような力があるのでそういう家系らしい」


「……遥さん」


 急に下の名前で呼ばれたので、どきりと胸が鳴った。顔を上げると、ようやく黒崎さんと目が合う。彼は心配そうに私を見ている。 


「本当に体は大丈夫? ありがとう。女性のベッドに上がっちゃってごめんなさい」


「は、はい、お気になさらず! 私は全然大丈夫です」


「助けられたみたいだね。本当にありがとう」


 優しい声色にドキドキが止まらない。何だろう、今まで出会ってきた人間とは違う特殊な人。綺麗だというだけではなく、オーラがあるのだ。凄い人から声を掛けてもらった、そんな感覚になっている。


 片瀬さんが私に向き直った。


「そして、井上さんには何も説明してませんでしたね。俺たちはある仕事のパートナーなんです」


「お仕事の、ですか?」


「俺たちの仕事は除霊することです」


 その言葉を聞き、きょとん、としてしまった。予想の斜め上の単語が出てきたからだ。


 除霊、ってあの除霊だろうか? 幽霊相手に戦って、追い払ったりする、あの?


「井上さんも見える人ですよね?」


「え、幽霊ですか!? それはないです、黒いもやはたまに見ますけど!」


「そうなんですか? いや、タイミングなどが合わなかっただけかもしれません。暗気が見えるなら、幽霊も見えるはず。はっきり見えすぎて、生きてる人間と勘違いしているのかも。そういう場所へ足を運んだりしたら、きっと体験できる」


 生まれてこのかた、心霊スポットなどにはいったことがないし、恐怖体験もしたことがない。暗気とやらはよく見たが、明らかな死者なんて見たことがないはずだ。……多分。


 彼は続ける。


「俺と柊一はそれぞれ役割があります。俺は穏やかな霊の除霊を相手にします。行き先が分からなくてさまよってるとか、悲しんでこの世にいるとか、そういう霊ですね。そして柊一の役割は、悪霊相手です」


「悪霊、ですか……」


「俺には手に負えないほどの強い霊になると、柊一の出番です。彼は霊を食べます」


「食べる???」


 信じられない言葉に呆気にとられる。でもそういえばさっき、黒崎さんも食べた、ということを言っていたような……。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る