第3話 手を握ってみてくれませんか

 だがよく見てみると、もやはフードの男性の方にまとわりついているようだった。それを支えるもう一人は、短髪の黒髪で、キリっとした表情をした男性だ。必死にポケットの中を探している。スマホを取り出そうとしているのだろうか。


 二人を覆いつくすほどの黒。これほど凄いのは見たことがない。明らかに、以前見た時よりも酷くなっている。


 私はあまりの驚きに、つい声を出してしまった。


「あの、大丈夫ですか!?」


 ぎょっとしたように短髪の男性が私を見た。でもすぐに、早口で返事を返す。


「ああ、すみません、騒がしくして」


「家に入れないんですか?」


「ちょっと鍵を落としまして」


 私はそのまま外へ飛び出した。そして近づき、改めてぐったりしている方の男性を見る。酔っ払いかと思い込んでいたが、アルコールの匂いなんてちっともしなかった。


「体調悪いんですか?」


「ああ、えっと、少し休めばよくなるんで……」


「よければ一度うちに入ってください! 横にしてあげた方がよくないですか?」


 もやが怖いとか言っている場合ではなかった。これほど蝕まれていては、この人の生命すら心配になる。早く休ませてあげた方がいいと思った。


 だが短髪の男性は首を振る。


「ご親切にどうも。でも大丈夫なので」


「でもだって、こんなに包まれているのに」


 ついそう口走った瞬間、相手が停止した。目を丸くして私を見ている。

 

 その間も、フードの男性はびくともしない。死んでないか心配になるほどだ。


「……見えてる?」


 短髪の男性が呟く。そんな質問にも私は答えず、とにかくフードの方が心配で、全身を観察する。息はしている……ように見えるけど、どうなのだろう。ぶらりと垂れ下がった腕に、つい手を伸ばした。


「あ! 触っちゃだめだ!」


 厳しい声で短髪の人がそう言ったけれど、すでに触れてしまった後だった。ひんやりとした肌を両手で包み、とりあえず脈をみてみる。うん、よかった、ちゃんと脈はあるみたいだ。ほっと胸を撫でおろした。


 そんな私を、唖然として短髪の男性が見ている。言葉を失ったかのように、ただひたすら驚愕の表情で私を見ていた。


「よかった、全く動かないから、最悪のことを考えてしまっていて……横にしてあげますか? その間、タクシー会社に電話したらいいかと」


「…………」


「あの?」


 なぜ彼はこんなに驚いているんだろう。緊急事態だろうから、早く動いた方がいいだろうに。


 しばし間があったあと、短髪の男性がようやく口を開いた。


「では……お言葉に甘えてもいいですか」


「もちろんです、どうぞ!」


 夜遅く、見知らぬ男性二人を部屋に招き入れるだなんて、お父さんが知ったら卒倒してしまいそう。でも、迷っている暇なんてなかった。


 私は玄関の扉を開けて、二人を部屋の中に入れてあげたのだ。






 やや散らかった部屋で一瞬恥ずかしく思ったが、そんなことを言っている場合ではないので、とりあえずベッドに寝かせるように告げた。短髪の男性は言われた通り、私のベッドにフードの男性を横たわらせた。


 自分のベッドが、真っ黒に染まる。生きているような黒いもやたちは、うねうねと動きながらフードの男性の周りを覆っていた。


 私は冷蔵庫から水を取り出す。


「お水、飲めますかね!?」


 短髪の男性は、ベッドのそばに座り込み、小さく首を振った。


「多分無理です。しばらく意識ないと思うので」


「え!? きゅ、救急車呼びます!?」


「大丈夫です。よくある事なんです」


 そういう彼の横顔は、どこか苦しそうに見える。私は首を傾げて聞く。


「よくある? 持病があるとかですか?」


「病気じゃないです。あの、先ほども聞きましたが、もしかしてこれ見えてます?」


 男性がベッドを指さす。私はあっと声を出し、恐る恐る返事をした。


「えっともしや……黒いやつ、ですか?」


「やっぱり」


「ということは、あなたも?」


 母と弟以外に、これを認識できる人がいたとは。いや、きっとどこかにはいるのだろうと思っていた。口には出さないだけで、これらが見える人はいるはずだと。それでも、今まで生活してきて、出会えたことはなかった。


 彼は頷いた。


「見えます。俺も、あとこいつも」


「そうだったんですね……! あの、大丈夫なんですか、私こんなにこのもやに包まれている人見たことないんです。害はないんですか?」


「ないわけないです。ただ、普通の人間と違って、こいつはこれらを消化できる。時間が経てば徐々に消えていくんです。でも、それにはかなり体力を消耗するし、本人も辛い。程度にもよりますが、しばらく意識を戻さないこともあるし、そのせいで入院したこともある」


「そんなに?」


 つまり、放っておけばいずれは消えるけれど、それには長い時間がかかるし本人も辛い、そういうことか。


 一体彼がなぜこんなことになっているのか気になったが、今はそれよりも彼のことが心配だ。何か楽になる方法はないのだろうか。そういえば、お母さんは蹴散らせる、って言っていたけれど……。


 私が悩んでいると、短髪の男性が静かに言った。


「厚かましいのを承知でお願いします。こいつの手を握ってみてくれませんか」


「えっ? 手を?」


 急に何を言い出すのだ、と驚く。ほとんど初対面の私がなぜ彼の手を握るのだ。そういうのは親しい人間の仕事ではないか。


 男性は真剣なまなざしで私を見ている。


「さっき、こいつに触れたでしょう」


「ああ、脈をみたときですか?」


「普通の人間は、この状態のこいつに触れて平気ではいられないんです。でも、あなたは大丈夫だった。それどこか、俺の目が正しければ……触れた時、この黒いもやたちが少し浄化していた」


 私が手を出した時、触るなと言っていたのを思い出す。そうか、普通の人間はああはいかないのか。


 彼は続ける。


「俺はこいつに触れるぐらいは大丈夫だけど、浄化を手助けをする力はない。そんなことを出来るのはごくまれな人間なんです。でもたぶん、あなたは出来る」


「私がですか!? ああ、母は蹴散らせる、って言ってましたが……」


「そういう家系なんですね。もちろん、試してみて、あなたに害が及びそうならすぐにやめてもらっていいです。少しだけでも、柊一が楽になったら」


 フードの男性は柊一さん、という名前らしい。私は二人を見てしばらく迷った挙句、ここまで世話を焼いたのだから、最後まで付き合おう、と決意した。


 本当に自分にそんな力があるのか分からないけれど、この人が楽になるのなら。

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