第2話 つい出た親切心

「まあ、あれ以降顔を合わせてないしいいんだけど。迷惑かけられたわけじゃないしさあ。ちょっと心配しただけ」


『顔は見えなかったんでしょ?』


「うん、多分若い人だったけどねえ」


 あの日のことを思い出しながら、私は右隣を見る。部屋に帰ってきたはずだけど、物音は一切なく、とても静かだ。足は治ったんだろうか、とぼんやり思った。


『まあ、隣に遥みたいなラッキーガールがいるから、おこぼれでいい運貰えるかもねえ』


「いや、隣に住んでるってだけでそれはないでしょ」


 私たちは笑いあってそのあともしばらくくだらない雑談をし、日付が変わる頃に電話を切った。そろそろ寝ようか、と部屋の電気を消すために立ち上がった時、隣の部屋からかすかに声が聞こえた。やはり、男性の声のようだ。


 もちろん、何を言っているかまでは分からない。会話はすぐに終わったようで、また静かな時間が流れる。


「……あの黒いやつ、なんだったんだろう」


 あの人に害を及ぼさなければいいのだが。そうため息をついた。


 私はこの時、知らなかった。


 得体のしれないお隣さんと、あんな不思議な関係が出来上がるなんて。






 数日たち、私は相変わらずカフェのバイトに勤しんでいた。一社、再就職の面接を受けたが、残念ながら不採用だった。面接のときは結構いい感触だと思っていたので落ち込んだ。


 倒産してからやはり、どうも色々上手く行かなくなっている。私の幸運もついに尽きたのかなと悲しみながら、夜に帰宅した。


 このままフリーターというわけにはいかないし、早いとこ見つけたいんだけどなあ。バイトだけじゃお金も不安がある。単発バイトをまた入れようかな。


 そう考えながら家に入り、シャワーを浴びて適当に夕飯を作って食べた。その後、一人でスマホを見ながらゴロゴロしていると、いつの間にか日付が変わりそうな時刻になっていた。いけない、最近だらだらしすぎている、生活リズムをしっかりせねば。そう反省してもう寝ようかと、歯磨きをするために洗面所に向かった時だ。


 玄関の向こうから、男性の声がした。


 そんなに大きな声ではなかったが、焦ってるような声色に聞こえた。すぐ近くから聞こえてきたので、お隣さんかもしれない。


 足音を立てないように玄関へ進み、冷たい紺色のドアに耳をつけてみる。するとはやり、困ったような男の人の声がした。


「ほら、しっかりしろ! お前無理しすぎたんだよ。意識はあるか? もう家だから」


 誰かにそう話しかけている。その言葉から想像するに、酒の飲みすぎでべろんべろんになっているとかだろうか。誰かが家まで送ってくれている最中なのだろう。


 いや、この声の主がお隣さんなのか、それとも介抱されている方がお隣さんなのか、私には判断はつかない。


 酔っぱらいで付き添いがいるなら、非常事態ではなさそうだ。私はそこから離れようとする。


「……おい、鍵は!?」


 困ったような声がした。ふと自分の足も止まる。


 再度ドアに耳を当てると、やはりごそごそする物音と、男性の声がする。


「あ……タクシーか? くっそ、柊一、待てるか? 電話して戻ってもらうか……」


 どうやら、家の鍵を落としてしまったようだ。


 意識があるかないか分からないほどの人間を抱えたまま、スマホを取り出して電話をするのも大変だろう。少しそのまま悩んだ末、不憫に思った私は、そっと玄関のドアを開けてみた。


 あの黒いもやは、今どうなっているのだろう。それを知りたいと思った気持ちも大きかった。もしかすると今見たら、すっかりなくなっているかもしれない。そうなら安心だし、お隣のよしみで代わりに電話をしてあげるか、お水の一杯ぐらいあげてもいいかな、そう思って。


 かちゃりと開き、顔を出してみる。隣の家の前に、二人の男性がいた。やはり、一人はぐったりしたままもう片方の人に体を支えられており、意識がないように見えた。黒いパーカーのフードを深く被っており、ああ、介抱されている方がお隣さんか、と瞬時に分かった。


 だが同時に、私は息を呑んだ。


 先日見た時より、さらに濃いもやたちが二人を包んでいたからだ。

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