第39話 元兇
「……セ、ロス──?」
振り返り視界に入ったのは、腰と胴体でちぎれたセロスの姿。
血に似せた赤黒い液体を垂れ流し、肉の代わりに詰まった鉄がこちらを覗く。
腕も脚もボロボロだった。陶器のように傷一つなかったあの肌は、傷がない所を探す方が難しかった。
それでも彼女はプライドからなのか、顔だけは美しいままだ。それこそ、傷一つない。
「はは、なんだよ。結局俺独りに……」
「あまり見ないで欲しいのだけれど。それとも、こういうのに欲情する癖でもあるのかしら」
「え……は?」
目を疑った。そして直ぐに耳も疑った。
自分の目と脳が正常ならば、セロスの口は動いた。
耳が正常ならば今確かに美しい声で悪態をつかれた。
いやでも、そんなはずはないとブルブル顔を振り目を擦る。
こういう時、耳はどうすればいいのだろうか。そんな間の抜けた事を考えていると再び彼女は口を開いた。
「……何とか言いなさいよこのグズ」
確信した。この容赦のない悪態は幻聴ではなく、現実だ。
身体が二つに別れていると言うのに、どういう訳か彼女は生きている。
「え、あ、だって……えぇ?」
先程まで涙でぐちゃぐちゃになっていた忍だが、あまりの出来事にそんなものはすっこんでしまった。
「ああ因みに、本当に勘違いしないで欲しいのだけど、さっきのは抱き着いた訳じゃないわ。見ての通りこの有様だからバランスを崩しただけ──」
眉間に皺を寄せペラペラと悪態をつくセロスを遮って、今度は忍から抱きしめた。
どうでもいい。彼女が生きてさえいれば、抱き着いただのバランスがどうとか、どうでもいいのだ。
「離れなさいこの変態。壊れかけの人形相手に何をしているのかしら」
「うるせぇ!! この馬鹿野郎、心配させやがって……!!」
「ふん、私は
と厳しい口調の反面、セロスの表情はとても柔らかなものだった。
「……セロス、何があったか聞かせてくれないか」
「元よりそのつもりだわ。ただその前に離れてもらえるかしら。むき出しの鉄に響くわ」
セロスを近くの木に寝かせると、一部始終を話してくれた。
忍が王都へ向かって数時間後、およそ千の軍を率いた玲瓏騎士三名が奇襲を仕掛けてきた。
序列最高位の三人はさすがに強く、苦戦を強いられた。だが、それでも最終的に二人は勝利した。
ここで問題となったのが第三勢力の存在だ。
どこで情報を手に入れたのか、エザフォース最北の国グラキエスの精鋭が漁夫の利を狙い攻めてきたのだ。しかも、たった二人で。
彼らの目的はピグマリオンの殺害であるのは間違いないが動機は不明。
一人は背が低く腰までボサボサの黒髪を伸ばした少年。
もう一人は異様な程背が高く、目隠しをした紺色の髪の女。
女はピグマリオンに何かを見せ耳打ちすると、不思議と彼は一切の抵抗を辞めた。
そして心臓を一突きされてしまった。
セロスはあまりの急な出来事に対応が間に合わず、助けることが出来なかったのだ。
その後剣を振るうも玲瓏騎士との戦闘による疲労もあり、腹部に致命打を受けて今に至る。
「クソだクソだとは思ってたけど、ここまでとは思わなかったぜ。本当にこの世界はクソったれだな」
真相を聞いて怒りが込み上げてきた。
それはイリオスやグラキエスの二人組にもそうだが、自分に対してもだ。
この森を出てすぐ、アルマールへ向かう最中に遠くに見えた大量の土煙は恐らくイリオスの軍勢がたてたものだ。
自分には関係ないと無視したが、もしあの時引き返していたなら未来は変わっていたのかもしれない。
自責の念に駆られる忍に対し、セロスはピシャリと言い放った。
「怒りも憎しみも後になさい。今は他にやるべき事があるわ。それと、貴方に手伝って欲しいことがあるのだけど」
あまりに冷徹なセロスに忍は少し腹が立ち、ぶっきらぼうに応えた。
「……なんだよ」
だがよくよく考えてみればセロスから頼み事など二年間の間で一度もない。
いや、あるにはあるのだが頼みと言うよりは命令だ。しかも雑用の。
そんなセロスが忍に手伝って欲しいと言うのだから、相当な事なのだろう。
「ピグマリオンが逝った今、私のマナの供給源はないわ。普通に暮らしていて一年もつかもたないかと言った所かしらね。勿論マナを使えば使うほど動ける時間も減るわ」
「だから俺にマナを供給しろって事か」
彼女がどのようにしてピグマリオンからマナを貰っていたのかはわからないが、断る理由がない。
と、早とちりして答えたはいいが彼女の表情を見る限り、どうも違うらしい。
「馬鹿ね、事はそんな簡単じゃないの。そもそも私にマナを供給出来る人間はピグマリオン以外には存在しないわ」
「なら俺に一体何を頼むんだよ」
呆れながらそう言うと、セロスは真っ直ぐに忍を見つめ、
「貴方の腕になったもう一つの自動人形、名はアルマ。ピグマリオンが各地に散りばめた彼女の七つのコアを集めて欲しいの」
セロスは真っ直ぐ忍を見つめた。
これは忍の勘だが、セロスの頼みと言うよりもピグマリオンと彼女の果たせなかった目的のように感じた。
(あの時の地図はこれか……でも、自分で散りばめたのになんでまた今になって……?)
忍が二人に会ったばかりの時、いくつかの印のついた地図を見ていたのを思い出した。
まず間違いなく、あの印はコアのありかなのだろう。
理由を尋ねようと口を開く前にセロスが先に口を開いた。
「考えておきなさい、強要はしないわ。それと、私を彼の元に運んでくれるかしら」
両腕をあげたセロスは、うんざりとした表情でそう言った。
それから忍は二人の家があった場所に穴を掘り、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながらピグマリオンの亡骸を抱えた。
「こんなに、軽いのか……!」
師の亡骸は思った以上に軽かった。それは別に血が抜けたからという訳ではない。
元々病魔に蝕まれ弱っていたのだ。決してそれを忍には見せるような事はしなかったが。
忍は別れを惜しみながらも、できる限りゆっくりと彼を穴に寝かす。
道半ばだと言うのに、ピグマリオンは何故か満足しているように見えた。
「どうしてだよ……俺はまだ何一つ、アンタに返せてないじゃないか。この恩、どうやって返せばいいんだよ」
命の救ってもらい、絶望の淵から引き上げてくれた。
その上生きる指標と、宿願の為の力を授けてくれた。
父のような厳しさと祖父のような暖かさで支えてくれた。
「返しきれねぇよ……」
俯くと涙はポタポタと垂れ落ち、ピグマリオンの頬に消えていった。
その様子を隣で見ていたセロスは、下唇を噛んでいたが決して弱さは見せまいと決めているかのようだ。
「ピグマリオン、貴方は紛れもなく私の父親だったわ。数年後に逢いに行くわ……おやすみなさい」
セロスは祈るように目を閉じ、一筋の涙に似た液体が頬を伝った。
そして二人はどちらからでもなく、彼に土を被せた。
段々と見えなくなる姿を見ると心が締め付けられるようだった。
(仇は必ず討つからな。それまでさよならは言わない。……どうか安らかに)
忍は両手を合わせ今は亡き師に誓うと、セロスに向き直り思い出したかのように、
「で、コアの欠片ってのが何処にあるか分かってるんだろうな」
「ふん、相変わらず生意気な餓鬼ね」
こうして亡国の宮廷魔導師ピグマリオンはこの世を去った。
彼の死が世界に与える影響を、この時はまだ誰も知らなかった。
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