第32話 素顔


王座の後ろに飾られている肖像画に飛び散った血液が付着した。

額の中にいる厳格なシュメルは血の涙を流している様に見えた。


「ぐぅ……はぁ、はぁ……貴様よくも……!!」


膝を突き背から大量の出血を許したマルクス。

そしてそれを見下ろし歪んだ笑みを浮かべる忍。


「くく、あはははは!! どうだよ宮廷魔導師様。失敗作にやられる気分はよ」

「馬鹿が、油断しおって──なに? 魔法が……」


直ぐにとどめを刺さず、高笑いしていた忍の隙をついて魔法を発動しようとしたが何か起こる気配はない。

手をかざしても、杖を振っても、一向に魔法が行使されることはなかった。


マルクスは痛みと焦りで全身から嫌な汗が吹き出すのを感じた。


「何故だ! 何故何も起こらない!」


苛立ち叫ぶマルクスに、忍はしたり顔では懐から壊れた鍵を取りだした。

ケイトの拘束具を解いた時に使ったものだ。

そしてそれを摘んで彼の目の前まで持っていくと、


「コレ、なーんだ」

「ま──魔戒石ッ!」

「大正解」


そう、この鍵も魔戒石で出来ていたのだ。

何かに使えるかもしれないと拝借していたのが功を奏した。

半分に折れた片割れを傷口にねじ込む事で、マナの流れを阻害している。


だが少量の魔戒石では完全に魔法を封じる事は出来ない。マルクスはその事に気が付いていない。

初級や一部の中級魔法ならば行使することは出来るはずだ。

頭に血が上っている状態でそれに気が付くかどうかで、マルクスの命運は決まるだろう。


「油断したのはお前だよマルクス。初手でカスみたいな魔導兵に頼らず確実に殺しに来るんだったな」


相手は宮廷魔導師だ。まともにやりあえば忍が勝利するのは極めて困難だろう。

魔導師としての実力はピグマリオンと同等かもしれないが、歪んだ性格が生んだ結果だ。


舐めてかからず全力で殺しにいけば、いま膝を突いているのは忍だったのかもしれない。


「く……失敗作ゴミクズの分際で生意気な……! 私はイリオス王国宮廷魔導師マルクス・レイザースだッ! 貴様なんぞに負けるはずがない! 」


最早勝敗は決した。それなのに見苦しい程に抗おうとするマルクスは見ていて気持ちのいいものではない。

醜い。この言葉が一番適切だ。


「そうだよなァ。お前はそうでなくっちゃ駄目だよ。じゃないと痛ぶりがいがないってもんだ。さて

、それじゃあ復讐おたのしみの時間だぜ」

「く、くるなッ! 薄汚いドブネズミめ!」


悪態をついているが、身体は後退っている。

フードを深く被っているせいで表情が見えないが、怯えているのは間違いない。


「はっ、なんとでも言えよ。まずは隠したがってる面ァ拝んでやるか」

「や、やめろ! 私に触るんじゃない!」

「……お前、やたらフードに執着してんな。はは、一層見たくなってきた」


忍は一歩踏み込み、振り払おうとする手を払い除け無理やりにフードを引き剥がす。


「おぉ……ぐっちゃぐちゃじゃねぇか」

「見るな……見るんじゃない!」


フードを剥ぎ取ると露わになった素顔は酷い有様だった。

多くの裂傷で原型は留めておらず、さらに顔を焼かれたのか殆どの皮膚が爛れている。

よくこの傷で生きていられたものだ。その点に関しては運が良かったのかもしれない。


忍はニタニタと嗤らいながら、


「あ、いい事思いついちゃった。威力はかなり抑えないとすぐ死んぢまうな。最悪ヒールで……」


ブツブツと楽しそうに独り言を呟く忍を見て、マルクスの顔色は段々と悪くなっていく。

何をされるか検討が着いたようだ。


「な、何をする気だ……!」

「言ったろ? お楽しみの時間だってよ。」


少しでの忍から離れようと無様にも逃げ出すマルクスの正面に回り込み、醜い顔面に手をかざし、


風刃ウィンドカッター


掌からは風の刃が放たれ、マルクスの頬を大きく斬り裂いた。

威力を調整したのか傷は深くはない。だがカミソリのような斬れ味で皮膚を撫でたそれは、血飛沫を散らしピンク色の肉をさらけ出した。


「ぬがァァッ!!」


叫び散らすマルクスだが、痛みよりも当時の記憶が甦った恐怖が原因だろう。

脳に焼き付いたトラウマを再現されるとなると、肉体的、精神的苦痛は半端ではない。


しかしそれでも、忍は悦に浸った表情で次の段階へと進めた。


「汚ぇ声出すなよ、しらけんだろ。はいお待ちかね火球ファイアボール

「ぎゃああぁぁあぁああぁッ!!!! あッぐあぁ! やめろ、止めてくれぇええぇぇえ!」


無慈悲の火球は既に爛れた皮膚を焼き、傷口を歪に塞いだ。


「おっ、悪い悪い。火は熱いよな! 水刃ウォーターカッター


直後に高圧水流の刃ば顔面に大きな傷を作る。

最早それは消火の役割をはたそうとはせず、皮膚と肉を裂いていくだけの刃だった。


そこからはまさに地獄の拷問のように感じただろう。

執拗に顔面を裂き、焼き、そして潰した。

激痛で気を失えば水球で起こされ、死にかければヒールで治癒される。

魔戒石がなくとも、今の彼に魔法を使う精神力はないだろう。


そんな事が30分近く続いた。その頃には魔法を使うのが勿体ないという理由で、剣先で顔を裂きはじめていた。

焼くのと治すのだけはさすがに魔法を使ったが、自らの手で切り刻むのは快感だった。


「あぁ、これだよこれ。生きてる感じするわァ。いや、生まれ変わった気分だよマルクス。お前らに真人間だった片野忍は殺されちまったからよ。今、最高の気分だ」


体中を駆け巡る活力。疲れも何も関係なしに力が湧いてくる。脳内麻薬もきっとドバドバ分泌されていることだろう。

彼を斬る度に心が軽くなり、焼く度に芯が震え上がった。


しかし、マルクスの心はもう折れていた。


「も……やめ……殺し、くれ」


宙を見つめ虚ろな人形のように同じことを呟いている。


「ん? 何言ってんだよまだまだ始まったばっかだろ?」


再び切っ先で額を裂いたその時だった。

背後、つまりは部屋の中央部の床が盛り上がり破裂したように飛び散り、その中から一人の大男が飛び出してきた。


「はぁ……はぁ……よくもやってくれたなクソガキぃ……!」


出てきたのは先程ティシフォーネに叩き落とされたガイズだった。

彼が出てきたということは、ティシフォーネは負けたのだろう。しかし、ガイズもかなり重症だ。全身血塗れで、肩に穴まで空いていた。


忍は振り向きニヤリと嗤うと、


「──がグッ」

「あっ、びっくりして殺しちまったじゃねぇか」


マルクスの額に深く剣を突き刺した。

剣を引き抜くと、灰白色で豆腐のように柔らかい脳みそがほんの少し垂れた。



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