第30話 心
一気に力が抜けたヴェーラに、最早手間取るティシフォーネでも忍でもない。
黒槍は右肩を貫き腕を落とし、
引き抜いた忍の刃は左腕を斬り落とした。
「ぐぅぅぅ……貴様、ら……!」
「あっけなかったな。幕引きだ」
更に忍は両脚の膝からしたを斬り落とした。
四肢からは絶えず血液が溢れ出し、血溜まりを広げていく。
想像も絶する激痛だったはずだ。呻き声はこぼれたものの、それでも彼女は叫ばなかった。
その精神力は凄まじく、尋常ではない。
四肢を落とされダルマになったヴェーラは荒い呼吸を繰り返し、眼も虚ろだ。
血を流しすぎたのだろう。放っておいても数分もしない内に彼女は失血死する。
だが彼女は最後の力を振り絞り舌を噛み切り自害しようとするが──
「ヒール」
全身を緑色の光が包み、みるみる傷が塞がっていく。
「貴様なに、を……」
「自殺なんざ許されると思うなよ。何度でも回復させてやる。本当なら今すぐぶち殺してやりてぇが、お前を殺すのは俺じゃねぇ…」
「そうか……あの獣人、か……」
忍は返答することもせず、断頭台の麻縄を彼女に巻き付けると縄をティシフォーネへと渡し、ユキの元へと向かった。
「ユキ、もう少しだけ我慢してくれ。必ずあとで弔ってやるからな……守れなくてごめんな」
そっと亡骸を抱くと、城の正門を目指し歩いていった。
ティシフォーネはズリズリとヴェーラを引き摺り、首を鳴らしなんだか楽しそうに忍の後を追った。
◇◇◇◇◇
それからは早かった。
堂々と正門をぶち破り、襲い来る兵士の
その数は優に百を超えるだろう。だが、その間ユキを抱えている忍は手を出していない。
ティシフォーネが全て片付けているからだ。
彼女相手に多少腕に覚えがある程度では話にならない。粘るならせめて玲瓏騎士、まともに勝負を挑むならその上位以上の実力は必要だ。
地下牢の場所は兵士を脅すと簡単に教えてくれた。無惨な姿で引き摺られるヴェーラを見て、抵抗してはいけないと察したのかもしれない。
勿論、その彼はすぐに殺されてしまったが。
そして地下牢へと続く階段を降りると、牢番に出会したが言葉を発する前に首を刎ねた。
腰の辺りにあった鍵をくすねて先へ進むと、拘束されたケイトを見つけた。
焦点の合わない虚ろな目で
何故か、それはケイトの目の前にある光の板のせいだ。
未だ広場を映し出しており、事の顛末を観させられたのだろう。
どのようにして声をかければいいのか分からなかった。
彼が受けた仕打ちはどんな拷問よりも残酷だ。
助ける事も声を掛けることもできない。ただ見届ける事しか出来なかったのだ。
「ケイト……今それを解いてやる」
「……」
忍は四肢を繋ぐ魔戒石の錠を解き鍵を懐にしまった。解放されたケイトブラリとだらしなく両の腕が垂れた。
少しばかり遅れてきたティシフォーネが、二人の前にヴェーラを転がした。
「ぐ……」
「何故ユキを殺した」
忍の予想とは裏腹に、ケイトはまず対話を選んだ。
「……せ、戦争をやっているのだ。生かす方がおかしい。早く殺せ、理由は今言った通りだ」
そう、忍とケイトからしたらユキは死ぬべき存在ではなかった。
しかしながらイリオス側に立ってみると、生かす理由はなくとも殺す理由は腐るほどある。
ヴェーラの行動はイリオス王国玲瓏騎士として、完璧に正しい。同じ騎士であるケイトはその事を理解していた。
「戦争、か。あの子はな、戦争が始まってもずっと平和を訴えていた。誰も殺さず、殺されず、傷付かず傷付けず……優しい子だったんだ」
冷たくなったユキの頬を撫で、そっと抱き締めた。
彼女の死に際が脳裏に焼き付いて離れない。
絶望を煮えたような境遇だったというのに、最期は希望を持って逝ったのだ。
その証拠に、今でも彼女は笑っている。
「知っている」
「なら何故──」
「争いの火種は消さねばならぬ。 仮にそれが聖人君子だったとしてもな。 民を家族を友を、王を護る為、致し方ない事だ。そしてそれは私とて同じ、捕まれば殺される。ただそれが、貴様の想い人であり主君だったという話だ」
ヴェーラは蜘蛛の這う天井を見つめながら淡々と続けた。
「直に死ぬから話す事だが……私は弱いのだ。本音を言うのであれば貴様ら獣人になんの偏見もない。だがな、国が悪と定めたのならば騎士としてそれに従わなければならない。己に言い聞かせるように獣と呼び、蔑み、人ではないと思い込む。そうしなければ剣を取れない程に、私は弱いのだ」
人は斬りたくない。彼女は忍と対峙した時も、そんな事を言っていた。
「騎士として恥ずべき点はない。だが、人としてはどうなのだろうな……最期に、冥土の土産をくれてやる」
その言葉で一瞬構えかけた二人だが、どうもそういう意味合いではないらしい。
ティシフォーネは退屈なのか、蜘蛛の糸を伸ばしたり縮めたりして遊び始めていた。
「へぇ、何をくれるってんだ?」
「貴様の思惑は筒抜けだ。捕らえた際に記憶を覗いていてからな。王の寝室には精鋭と宮廷魔導師が待ち構えている。目的があるのならば、少しは役に立てる事だな」
「ご親切にどうも」
記憶を見たと言うのならそれは恐らくマルクスの仕業だろう。
ケイトの記憶から全て知られているというのならば、夜に向けて待機しているはずだ。
寧ろ今こそ奇襲となる可能性が高い。
ヴェーラは何故このような事を言ったのだろうか。
血も涙もない女騎士の印象だったが、どうもそうではない。
戦争は人を変えてしまう。もしかすると彼女もある種の被害者なのかもしれない。
それから彼女はケイトに目をやると、
「獣人の騎士よ、謝罪はしない。だがこの身に罰は受けよう。好きにするといい。貴様ならば、裁く資格は十分すぎるほどにある」
「忍、剣を」
ケイトは短く言うと、忍は何も言わずに剣を差し出した。
憎しみの籠る眼でヴェーラを睨みつけ剣を振り上げ、そして振り下ろす。
その時だった。
カラン、と乾いた音が響いた。
見るとユキの亡骸から獅子の首飾りが落ちたのだ。
「あ──」
それを見てケイトの脳裏にはある記憶が蘇った。
それはケイトが騎士として、戦場に駆り出される直前の記憶。
『ねぇケイト、行く前に一つ約束して欲しいの!』
ケイトの手を取り、ユキは真剣な眼差しで見つめていた。
『約束?』
『あのね、誰かを守る為に剣を振るってほしいの。誰かを傷付けるための剣は私、嫌だなぁ』
戦争だというのに、こんな甘い事ばかり言うのはユキくらいだろう。
度が過ぎる優しさを持つ彼女が好きだった。
ケイトは少しだけ笑った。
『もぅ! なんで笑うの!』
頬を膨らませる彼女が愛しかった。
『わかったよ、約束だユキ。俺は生涯、守る為に剣を振ろう。民を、友を、そして、君を守る為に。
第二王女ユキ・レオノール・フォン・ガメリオンが筆頭騎士ケイト、獅子王に誓います。いついかなる時も、必ずこの誓いを違えぬ事を』
片膝を突き、頭を垂れるケイトを見てユキは少しだけ恥ずかしそうに笑った。
『はい。よろしくお願いします。あとね、ちゃんと帰って来てください!』
『ああ、言われなくてもそのつもりだよ』
ヴェーラに向け振り下ろされた刃は、彼女の頬を掠め、切っ先は床に深く突き刺さった。
「ケイト……?」
「俺は……何故こんな大切な事を忘れてしまっていたんだ……!」
歯を食いしばり悔しそうにケイトは呟いた。
あの時交わした誓いを今の今まで忘れていた。
ユキとの最後の約束だ。
「誓いを守れっていうのか……? お前は……こんな時まで、優しくあるのか……ユキ!」
落ちた首飾りを拾うと強く握りしめた。
気が付けば視界が滲んでいた。
雫は頬を伝いポツポツと垂れる。
「ユキ、ユキ……あぁああぁぁ……ッ!!!」
それからケイトは恥ずかしげもなく、壊れたように泣き叫んだ。
仇を討ちたい。
心は黒い感情が溢れている。
だが心の奥の奥では、小さな光が息をしている。
何よりも大切で、何よりも愛おしい光だ。
これを捨ててしまえばきっと、楽になれる。
捨ててしまえばきっと、こんなにも苦しむこともない。
しかし、捨ててしまえば何一つ残らない。
あの時交わした約束も、愛おしいと想う感情も。
肥溜めのような場所から自分を救い出してくれたユキとの思い出も。
ケイトは首飾りをそっと亡骸へと戻し、左手で首のない胴を強く抱き、右手で首を抱いた。
「お前は逝ってしまったが、心はここに遺してくれたんだな」
今ここに、もう一度誓おう。
あの時と同じ言葉で──
──あの時と同じ約束を。
生涯、守る為に剣を振ろう。民を友を、そして、
「
『約束だよ』
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