第23話 彼女の匂い


ジバルから聞いていた通り、抜け道の先は書庫だった。それも、思っていたよりもかなり広い。

そこらへんの図書館程度はあるだろう。棚にビッシリと並んだ本はそのどれもが古めかしく歴史を感じさせる。


王族のみ立ち入りが許されているというのであれば、この国の裏側の歴史なども記されているのかもしれない。

かなり興味深いし、もしかしたらシュメル達の弱点になる本がある可能性もあるが、限られた時間全てをここで過ごすのはあまり有意義ではない。


「すげぇなこりゃ……」

(帰る時に何冊か持ってくか。ここで読むのはリスキー過ぎるしな)


伸ばした手を引っ込め、周囲を見回すとどうやら書庫の出入口は一つだけのようだ。

立派な扉があるが、この先に警備兵がいる可能性も捨てきれない。


と、思っていたその時だった。

ケイトはなんの躊躇いもなく扉に手をかけたのだ。


「お、おい──」

「心配するな、俺は鼻が利く。少なくとも付近には兵はいない」


フードを取り、トントンと自身の鼻をつついた。

今更ながらケイトの素顔を初めて見た忍だが、色々と合点がついた。


灰色の毛並みに包まれたやや切れ長の瞳。そして人間よりも少し伸びた鼻。

ケイトは狼の獣人だったのだ。

地球の狼とどこまで接点があるのかは謎だが、同じだと考えれば嗅覚は人間の数万倍以上だ。

さすがにそれと同等という訳ではないだろうが、説得力としては十分過ぎる。


そして、ゆっくりと静かに扉を開けると、彼の言う通り見える範囲に警備兵はいない。

潜入捜査においてこれ程頼りになる能力もないだろう。


「んじゃ、必ず後で合流しよう」

「ああ、騒ぎは起こすなよ?」


ケイトはニヤリと笑い、一瞬にしてその場から消えた。


(速いな……元騎士って言ってもそこら辺のとは段違いに強いかもな)


◇◇◇◇◇


ケイトと別れた忍は、気配を殺し城の中を探索していた。

隠蔽魔法ステルス。周囲と同化し姿を眩ませ影さえも残さない。一般的な視覚には絶対に映らない優れものだ。


ただそれも万能ではない。気配や息遣いはそのままであり、ほんの些細な衝撃でも魔法が解けてしまうため、あまり速く走る事もできない。

そこそこの実力者や勘のいいものにはバレる可能性が高い。


色々と制限こそあるが、潜入捜査ではしっかり力を発揮してくれる魔法だ。


書庫を出た忍はまずあの日の事を思い返していた。

王の間から地下牢へと引き摺られた際、短くはない廊下を渡ったはずだ。


(あん時通った廊下にさえ見つけられれば王の間には行ける……んだけど、どこも似たり寄ったりなんだよな)


よく手入れされたこの廊下もそうだが、今にも動き出しそうな騎士の甲冑や花が飾られていて、どこも同じように見えてしまう。


とりあえず歩き続けていると、見覚えのある一際大きな扉とそこを守る兵が二人談笑してるのが見えた。


「でもよぉ、今更だけど王はなんで急に変わっちまったんだかな。あんまり大きい声じゃ言えねぇけど、以前はもっと良かったよな」

「確かに。それは俺も思うわ。賢王シュメル様はどこへ行っちまったんだか……今じゃ戦争ばっかで身が持たねぇよ」


(賢王……あいつが……?)


あの人を人とも思わないようなシュメルが賢王と呼ばれていた事があるなんて、にわかには信じられない。

兵の戯言だろうと聞き流す事にした。


(記憶が正しければこの扉は王の間に繋がっているはずだ。念の為入って確認したいけど、アイツら邪魔だな。今殺す訳にもいかないし……)


兵を殺すのは簡単だが、それをすると次に侵入する時が面倒になる。

かといってそんな都合よく気絶だけさせる技術などない。


数秒考えた忍は、扉とは反対の方向に歩き出した。


すると──


パリン、と何かが砕ける大きな音が廊下に響いた。


「なんだ!?」

「あっちだ! 行くぞ!」


扉を守っていた二人は突然の音に驚きながらも、即座に確認すべくそちらへと向かった。


(単純なヤツらで助かったな)


忍はニヤリと笑うと静かに、ゆっくりと扉を開けて中に入った。

扉の向こうは記憶の通りであり、中には兵も居なかったのでステルスを解いた。


「ようやくここまで来たぞ……あと少し……あと少しだ。落ち着け俺」


二年前と同じシュメルの肖像画を睨みつけ、沸き上がる衝動を無理矢理押さえ付ける。

今ここで暴れるのは簡単だが、そうすれば肝心の目標には手が届かない。

あとほんの一日だ。この二年間に比べればそんなものはないに等しい。


気付けば拳を握る手からは数滴の血が垂れていた。

どす黒い感情と爆発しそうになる怒りを前に、これ以上ここにいない方がいいと判断し、次の扉に手を掛けた。


◇◇◇◇◇


「くそ、邪魔な匂いが多すぎる」


ケイトはというと、あれから獣人特有の嗅覚と俊敏性を活かし、城内を駆け回っていた。

途中一人の兵士が気付いたが、それと同時に後頭部に強烈な蹴りをくらわせて気絶させた。


忍とは違い、幼い頃から武術を磨き続けた彼はどのようにすれば意識を奪えるのかを熟知している。


既に残された時間は半分程だ。これ以上無駄足は避けたい所だが、自慢の嗅覚を多くの匂いが邪魔をしているため思うように捜索が進まない。


だが、様々な匂いに混じっているが微かにユキの匂いがする。少しだけ甘い、春のような匂い。

最後に彼女を感じたのは三年も前だ。


「ユキ様は……ユキは俺を、覚えていてくれるだろうか」


ボソリとつぶやき、ケイトは荒んでいた幼少期を思い出していた。

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