第19話 ヴィンセントの疑念


「怯えなくていいのよ」


 手が伸びてきてとっさに身を硬くしたけれど、その女性の手は私を叩くのではなく優しく頭を撫でた。


「たしかに私はオークションであなたを買ったけど、それはあなたを助けるためだったの」


 その言葉に顔を上げる。


「悪徳商人にさらわれて、隙を見て逃げてきたところをあの孤児院に保護されたそうね。でもあそこも孤児院とは名ばかりで、身寄りのないきれいな子供を集めては売っていたのよ。摘発されるように手を回したから安心なさい。もう何も心配いらないわ」


「ほんとう、ですか……?」


「ええ、もちろん」


 そこでようやく彼女の顔をまともに見る。

 三十代半ばほどの、身なりの良い女性。今いる部屋もとても豪華だ。


「あなたがもう少し元気になったら、ご両親にも会わせてあげるわ。隣国だから少し手配に時間がかかるけれど」


「……!」


「ご両親には元気な姿を見せてあげたいでしょう? だからちゃんと食事もとるのよ」


「わ、わかりました……」


「いい子ね」


 女性の手が、また、私の頭を撫でた。



 ***************



 目を開けて、長く息を吐く。

 また、あの夢。おそらくオリヴィアの過去。

 あの女性は誰だったのかな。助けるために買ったと言っていたけど……。

 とりあえず、両親のもとからさらわれて孤児院を経由して最終的に売られ、買ったのはあの女性というのはわかった。

 アナイノでは孤児院出身というくらいしか情報はなかったけど、結構波乱万丈だったんだなあ、オリヴィアの人生。

 その反動で嫌われるような性格になっちゃったのかな。



 ルシアンと朝食を済ませ、神殿の中をぶらぶらと散歩をする。

 もう迷子にならないよう、少しずつ神殿の構造を覚えるために。

 今のところそういう予定はないけど、何かがあってこの神殿から逃げたいと思ったときに迷ってたんじゃ話にならない。

 とりあえず、トラブル防止のため騎士団の演習場がありそうな方向には近づかないようにしよう。

 あっちが図書館で、あっちが聖堂で……。

 そんなことを考えながら廊下の角を曲がったその瞬間、足が止まる。

 少し先に、ヴィンセントが立っていたから。


 うっわ……。

 さすがに踵を返すのはあからさまなので、何事もなかったかのように通り過ぎるしかない。

 話しかけないで話しかけないでどうか話しかけないで


「聖女様におかれましてはご機嫌うるわしく」


 ああー!!


「ごきげんよう」


 ヴィンセントがうっすらと笑う。目が笑っていないし、怖い。

 でも、オリヴィアが怯んだ様子を見せるわけにはいかない。

 いくら「オリヴィアを私に合わせて変えていく」といっても、小心者な部分はおそらくオリヴィアとは真逆だから、そういう部分を見せるわけにはいかない。

 足を進めると、彼が「聖女様」と再び話しかけてきた。ぐぬぬ……。


「聖女様のご温情に感謝いたします。聖女様のおかげで、謹慎と草むしりで済みました」


「……私にも非があったので。ただし謹慎で済むのは今回のみです」


 次に不適切な態度をとった場合は、とはわざわざ言わなくてもわかるはず。

 ヴィンセントがにやりと笑った。

 ちなみに私の足はガクガク震えている。長いスカートでよかった。


「聖女様が最近お変わりになられた経緯を団長から聞きました。長い眠りから目覚めて、人生観が変わられたのだとか」


「……」


 さすがに仮死状態だったとは言っていないらしい、アルバート。

 ルシアンの信頼を得ているだけあって、余計なことは決して話さない人なんだと思った。


「このように丁寧なお言葉で話してくださるのも、聖騎士と距離をとるためにあえてそうされているのだと聞きました」


「そうですね。だから、あなたと長話するつもりはありません、ヴィンセント卿」


 敵意を感じるとまでは言わなくても、彼はアルバートと違って私に友好的ではないのはわかる。これ以上彼と話しているのは危険だ。

 さっさとこの場から離れようと、足を進める。彼が道を譲るように廊下の端に寄った。

 少しほっとして彼の前を通り過ぎようとしたとき――。


「あなたは一体誰なんでしょうね」


 すれ違いざま、そう言われる。

 驚きのあまり腰が抜けそうになった。


「意味がわかりません」


 つとめて冷静に言うけれど、心臓が激しく動いている。

 黙って通り過ぎるべきかとも思った。

 でも、そうしたら肯定しているようで。


「団長は素直な性格なので、何の疑問も持たず今のあなたにすっかり絆されているようだ。ただ、あのルシアン大神官が何も気づかないはずはない。何より、あなたに対してあれほど嫌悪していたというのに、今はあなたを気にかけているようにさえ見えます」


 なぜでしょうね、と彼が言う。

 つまりヴィンセントは、私がオリヴィアとは別人で、ルシアンがそれを知っていて周囲に隠しているとでも言いたいのだろう。

 私の正体を見破ろうとでもいうのか、狼を連想させる鋭い灰色の瞳で私を見据えている。

 動揺を見せてはだめ。


「気になることがあるのなら、ルシアンに訊いてみてはいかがですか」


 たぶん辺境に飛ばされるだろうけど。


「私に不満があるのなら別の神殿に異動を申し出なさい。引き留めはしません」


「不満? 今の聖女様に対して不満などあるはずがありません」


「それなら口を慎みなさい、聖騎士ヴィンセント。これ以上の妄言は許しません」


「……大変失礼いたしました。立場を弁えます」


 ヴィンセントが恭しく頭を下げる。その様はどこか芝居じみて見えた。

 ふっと、彼の横にウィンドウが現れる。


 名前:ヴィンセント

 年齢:二十五歳

 職業:中央神殿聖騎士団副団長

 性格:気難しい

 好みのタイプ:手ごわい女


 いや別に彼の好みのタイプなんて知りたくないし。

 彼から顔をそらし、歩き出す。今度は何も言われなかった。


 再び角を曲がって誰もいなくなったところで、壁に背を預けて大きく息を吐く。

 こ、怖かった……。

 ヴィンセントは「別人のように変わった」じゃなく「別人に変わった」のではないかと疑っている。

 これで神力がないことに気づかれたら、偽聖女だと糾弾されるかもしれない。

 気をつけなきゃ……。

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