第15話 聖皇


 私のおしりの痛みが限界を迎えそうになった頃、ようやく目的地にたどり着いた。

 長時間の馬車ってなかなかつらい。


 それにしても。

 ほんと、ファンタジーって感じ。

 森に囲まれた湖の中心に、巨大な神殿が建ってるんだもの。

 湖にかかる広大な橋を、神殿へと向かって馬車がゆっくりと進んでいく。

 ……緊張してきた。


「そういえば、聖皇猊下げいかはどんな方ですか?」


「穏やかな方ですよ。なのでそう緊張しなくて大丈夫です」


「あはは、緊張してるのばれてましたか」


「おかしな顔をしていましたから」


 おかしな顔。


「聖皇は『神託の書』に選ばれた者がなります。そして聖皇だけがそれを読むことができるとされています」


「神託の書ってどういうものなんですか?」


「女神が気まぐれに預言を書いて寄越すのだとか。曖昧な言葉が多く、それがいつ起こることなのかもはっきりしません」


「女神様から神託を受けられるってすごいことですよね。聖騎士問題があったとしても、神殿はもっと崇められていてもいいような気がするんですけど」


 神の力を身近に感じさせてくれるような宗教なのに、長年の聖女不在と魔獣退治の問題だけでそんなに勢力が衰えるものなのかな、と。


「神託は非常に気まぐれです。二代前の聖皇の時代、立て続けに大きな自然災害が起きたのにそれに関する神託はなく、多数の被害者が出ました。長年の聖女不在も相まって女神に見捨てられた神殿という噂が広まってしまったのです。聖騎士候補を多く奪われたのもその頃です」


「なるほど……」


 とそこで、馬車が停まる。

 ルシアンの手を借りて降りると、荘厳な神殿が目の前に。

 ああ、本当に緊張してきたー!


 中に入ってホールを通り抜け、長い長い廊下を真っすぐに歩く。

 突き当りにある巨大な扉と、その横に立つ聖騎士と神官。きっとあの奥に聖皇がいるんだろう。

 廊下の壁と床は目が痛くなるほど白くて、足元に敷かれた青い絨毯がなければ、色味がなさすぎて不気味に感じていたと思う。

 案内をしてくれる神官以外は歩いている人間は誰もおらず、その神官と私とルシアンの足音だけが響く。

 そしてようやく扉の前にたどり着くと、聖騎士が両側から扉を開いた。

 私とルシアンだけが中に入り、扉が閉められる。

 謁見の間のようなその部屋は、思ったほど広くはなかった。

 正面奥の一段高くなったところに、四十代と思しき男性が座っている。


「聖皇猊下におかれましては、ご機嫌麗しく」


 ルシアンが胸に片手を当て頭を下げる。

 私もルシアンに事前に教えられていたとおり、胸の上で両手を重ねて頭を下げた。


「久しぶりですね、ルシアン。そして、聖女オリヴィア」


「……お初にお目にかかります」


 織江と名乗るべきか、オリヴィアと名乗るべきか。

 そこに迷いが生じて、名乗ることができなかった。


「ふふ、そう硬くならなくていいのですよ。ルシアンから事情は聴いています。突然のことで戸惑ったでしょう」


 優しい声と言葉に、少し緊張が解ける。


「はい……」

 

「ルシアンは強引なところがあるので、いろいろと大変だったのではありませんか?」


「はい、大変でした」


 即答すると同時に隣から視線を感じたけど、あえてそちらには目を向けなかった。

 聖皇が小さく笑いを漏らす。


「ルシアン」


「はい」


「以前のオリヴィアはいなくなりました。そして今、彼女がオリヴィアです」


「……はい」


「彼女がその体に入ったのは、きっと女神様の思し召し。ならばそれに従うのが我々の役目です」


「この娘に、聖女オリヴィアとしての地位と役割を完全に与える、と?」


「ええ。以前のオリヴィアはもういません。何度魂喚ばいの儀をおこなっても戻ってこないのなら、そう考えた方がいいでしょう。ならば今ここにいる彼女こそが、聖女なのです。オリヴィア」


「は、はい」


「あなたの心のままに。もう他人のふりをする必要はありません。あなたが、聖女オリヴィアです」


「ですが、いいのでしょうか。私には神力が……」


「あなたが聖女でいてくれることが、重要なのです」


 聖皇が穏やかに微笑む。

 よくわからないけど、もうオリヴィアのふりをしなくていいってことだよね?

 私が聖女として生きていくことへの見返りなのかな。


「さて、ルシアン」


「はい」


「私は彼女と話をしたいと思います。少し出ていてもらえますか」


「……承知いたしました」


 ルシアンがちらりと私を見る。何か言いたげな様子だったけれど、何も言わずに踵を返し、扉へと向かった。

 大きな扉が自動ドアのように開かれ、また閉じられる。


 この空間に、聖皇と二人きりになった。

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