第2話

(――――ばあちゃん)


 薄紫の和服を着用した七十代の老婆。その人こそ太老の祖母――三森鶴絵つるえだった。


「ん? もう起きててもいいのかい?」


 そう言いながら近づいてきて、そっと太老の額に手を当てる。


「……熱は下がったみたいだねぇ」


 どうやら自分が熱を出して寝込んでいたことを理解する。


「明日は受験だし、今までずいぶん無理して頑張ってたからねぇ。きっと疲れが出たんでしょうねぇ」


 受験……?


 ということは、今は高校受験の前日というわけらしい。

 祖母の言葉で詳しい時間軸が分かった。


(受験の前日かぁ。そういや確かに寝込んだわ)


 祖父母の世話になることにしたが、できるだけ迷惑をかけないためにも、入学金や授業料などが免除になる特待生がある学校を選んで、特待生になるべく受験をしたのだ。


 しかし当然、生半可な勉強では特待生にはなれないし、毎日机にかじりついて勉強をしたことを思い出す。


(でも……結局受けられなかったんだよな)


 熱は当日まで続き、起き上がることすらできないほどの倦怠感にも襲われ、結果的に諦めることになった。一応追試制度もあるが、特待生の対象にはならないので意味がないのだ。 


 これまで特待生受験のために頑張ってきたのに、そのすべてが無駄に終わってしまったのだ。それもこれも間違いなく生来の運の悪さのせいだろう。


(あれ? けど……起き上がれてる?)


 そう。その事実が太老を困惑させた。自分が辿ってきた過去を洗えば、受験日の前日から三日間寝込むことになる。

 それなのに今は倦怠感もなく、熱も下がっている。明らかに過去とは違う現象が起きていた。


「どうかしたかい、ぼーっとして? やっぱりまだ寝てた方がよくないかねぇ?」

「え? あ、ああ大丈夫大丈夫! 心配してくれてありがと、ばあちゃん。もうほら、身体は元気だから!」


 そう言いながら体操のような動きをして元気さをアピールする。


「そうかい? まあでも良かったねぇ。これなら明日の受験には行けそうだし」


 ニッコリと微笑むと、祖母はそのまま踵を返して部屋を出ていく。もうすぐ夕飯だからと準備をしに行ったのだ。

 祖母を見送ったあと、太老は再び布団の上に座り込んで考え込んだ。


(……体調はマジで良い。つまり熱は完治したってことだけど……どういうことだ?)


 これは本来の歴史ではない。

 もっとも逆行して未来の知識がある以上、それはもう正史とは違う道の上にいるということだが、それでも高熱が急に収まるなんてどういうことなのだろうか。


「これもやっぱり逆行の影響か……それとも…………そうだな。試さなきゃ分からないか」


 それは祖母が来る前にしようとしていたこと。

 あの少女から受け継いだであろう――この力を。

 太老はスッと立ち上がると、壁にかけられている制服から財布を取り出した。その中から硬貨を全部手に取る。


 さて、ここで無造作にそのまま硬貨を落とすとする。

 それですべてが表になる確率はどれくらいだろうか。ちなみに数字が書かれている方を表にするとしてだ。手に持っている硬貨は全部で十枚。


 単純に計算すると1024分の1という確率になる。決して有り得ないことではない。

 ただここで問題になるのは、太老の不運である。太老が望んだ結果は必ず得られないという事象が起こるのが今までだった。


 つまり太老が表になってほしいと願えば必ず裏になる。これはこれで凄いのだろうが、正直当人にとっては真逆の結果しか得られないので無価値に等しい。

 太老は手に持っていた硬貨を、そのまま手を傾けてすべて床へと落とす。


(さあ――どうなる?)


 バラバラになりながら床に落ちた硬貨は、それぞれ跳ねたり転がったりする。そして数秒後、すべての硬貨の動きが止まり、その結果を見て太老は息を呑んだ。


 硬貨はすべて――表になっていた。


 これは硬貨を落とす前に、太老が〝望んだ結果〟だった。


「っ……マジで全部表になったし……!?」


 記憶上では〝こうなること〟は決定していたが、しかし太老のこれまでの経験が確信を持てずにいた。しかし現実は自身の不安を一掃したのである。


「い、いや、まだ偶然ってことも……。も、もう一度……」


 とはいうが、実のところすでに〝この力〟のことは認めてしまっている。それでも何度も試したのは、自分の不運が発揮されていない事実が嬉しかったからだ。

 こうして十回、連続で同じように結果を望みながら硬貨を振り続けた。


 面白いように、硬貨は自分が望んだ通りの結果を見せてくれたのである。

 三回連続で全部が同じ表。あるいは半分が表を三回連続。次に一枚だけ表を三回連続。そして最後に……。


「おいおい、こんなことも起こり得るなんてな……」


 太老の視界に飛び込んできたのは、〝すべて真っ直ぐ立った硬貨〟であった。確かに可能性としては有り得ないとは思わないが、それでも限りなく低い現象ではある。

 何せ落とした時の衝撃で跳ねるし転がるし、立つなんてあっても一枚か二枚くらいだろう。しかし十枚全部とはさすがに驚嘆ものだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る