36. 身勝手の魔女
僕達が居住区に戻る頃には、魔法都市は大騒ぎになっていた。
「聞いたか!? 鎮魂塔が倒壊しかけてるって!」
「何が起こったんだ!?」
「まさかアレが目を覚ましたのでは!!」
すれ違う魔導士達の多くがそんな会話をしながら墓所の方へと向かっている。
この都市に暮らす魔導士にとって、やはり
「アレだなんて酷い言い草だわ」
「まぁまぁ。事情が事情だけに仕方ないって」
「気安くしないで。不愉快よ」
「……酷い言い草はどっちだよ」
ルールデスが魔導士達の話を聞いてムスッとしている。
彼らもまさか今すれ違った女性が賢聖勇者だとは夢にも思わないだろうな。
「そう言えば、四日以内に副都セレスヴェールへ向かう必要があると言っていたわね」
「ああ。四日後の期限までに勇者を連れていかないと、魔将タルーウィに都の人達が皆殺しにされるかもしれないんだ」
「ふん。自分の身も守れないような愚民など助ける価値はないわ」
「そういうわけにはいかないよ。助けに行くんだ!」
「わ、わかっているわ……。いちいち命令口調にならないで!」
彼女は困惑した顔で僕を睨んできた。
どうもルールデスは他人から命令されることに慣れていないらしく――この性格じゃ当然か――、僕が命令口調になると露骨に不機嫌になる。
シャナクと違って僕に完全に従っていない分、人形使いの強制力と彼女の本心に齟齬が生まれるのはわかる。
どうやらそれが不快感となってルールデスの情緒に表れるらしい。
関係を良好に保つためにも、あまり彼女に命令するようなことは避けた方がいいかもしれないな。
「マリオ様! シャナク様!」
正門が見えてくると、誰かが広場の方から走ってくるのが見えた。
……あれはヨアキムさんだ。
もしかして、待ち合わせ場所に指定していた正門前広場でずっと待っていてくれたのか。
「一体どこへ行っていたのです! 八時を過ぎていますよ!?」
ヨアキムさんが懐中時計を覗きながら訴えてきた。
塔から急いで戻ってきたつもりだったけれど、想像以上に時間が掛ってしまった。
「すみません。ちょっとゴタゴタに巻き込まれてしまって」
「そのゴタゴタと言うのは、そちらのご令嬢のことでしょうか?」
ヨアキムさんの視線が僕からルールデスに向いた。
「お前のことはマリオから聞いているわ、ヨアキム。
「……左様でございますか」
「耳が尖っている女は珍しいかしら」
言いながら、ルールデスは長い耳を撫でた。
「もしやあなたはエルフでは?」
「そうよ」
「……不要なトラブルを避けるためにも、耳はお隠しになられた方がよろしいかと」
「そうね。つまらない男が寄ってくるのは
彼女は両手で髪をたくし上げた。
否。耳を髪の下に隠したのか。
相変わらず一つ一つの所作が美しくて、ついつい見惚れてしまう。
一方、ヨアキムさんは改めて僕に問いただしてくる。
「マリオ様。彼女は信用できる方なのですね?」
「はい。タルーウィを斃すために必要な
「承知しました。何があったか深くはお聞きいたしません」
「ご迷惑おかけします」
「とんでもない! それよりもタルーウィの定めた期限まで残り四日しかございません。宿へご案内いたしますので、本日はすぐにお休みください」
ヨアキムさんは何か言いたげだったけれど、とりあえず納得してくれた様子。
ルールデスが賢聖勇者だと言えるはずもないし、深く追求してこないのは助かる。
「ちょっとマリオ。まさか明日一番で副都へ出立するつもりではないわよね?」
「えっ。そのつもりだけれど……」
「冗談ではないわ。
「えぇ? どういうこと……?」
ルールデスは僕の前に歩いてくるや、突然胸を張った。
ドレスがボロボロということもあって、彼女のたわわな胸のほとんどが露わとなり、僕の視線を釘付けにする。
まるで凶器のようなたわわを突きつけられて、思わず息を飲んでしまう。
「こんな姿の
「ごめん、時間がないんだよ。ここから副都まで二日は掛かるし」
「ダメよ。この町を発つのはドレスを修繕してからにするわ」
「そんなの待ってたら期限に間に合わないだろう!?」
「お前の都合など知ったことではないわ。
「そ、そんなの――」
不意に、ルールデスの隣に立つシャナクと目が合った。
シャナクは申し訳なさそうに僕を見つめている。
「マリオ様。私もルールデスと同じ意見なのですが……」
「そ、そうなのっ!?」
「その……今は夜中なのでいいのですが、さすがに明るい時にこのような恰好で人前に出るのはちょっと……」
「あ」
そうだった。
シャナクもルールデスも、先の戦いで服がボロボロになっていたんだった。
シャナクは魔法銀の鎧が、ルールデスはドレスが、それぞれ破れて肌が露出している。
ルールデスに至ってはほとんど半裸の状態だ。
たしかにこのまま町を出るというのは女性には酷な話か……。
「この町を仕切る商会に私の顔馴染みがいます。明日一番で魔法銀の鎧と替わりのドレスを届けさせましょう」
ヨアキムさんが気を利かせてくれた。
さすが侯爵のバトラーだけあって顔が広いな。
「ダメよ」
「ちょ!? ルールデス、そんなワガママを……っ」
「
「えぇ~っ!?」
「久しぶりに表舞台へ出るのよ。
「う……」
副都の民の命が懸かっているっていうのに、身勝手な女だなぁ!
多少反感は買っても、やっぱり命令しないとダメか。
「承知しました。お三方を宿へ案内した後、すぐに魔導着の仕立て依頼に行って参ります」
「いいんですか、ヨアキムさん!?」
「マリオ様がルールデス嬢を必要と申される以上、私は彼女の要望を全力で叶えるまでです」
「本当にすみません……」
ヨアキムさんに面倒事を押し付けてしまった。
「なかなか使えるわね。良い執事だわ」
「お褒めに預かり光栄です、ルールデス嬢」
事情を知らない者が見たら、本当にお嬢様とその執事のやり取りに見えそうだ。
「でも、ドレスの仕立てってどのくらいかかるんだ? あまり遅いと……」
「この町のお針子の技なら四日もあれば十分でしょう」
「四日!? そりゃダメだよ、期限に間に合わない!」
「大丈夫よ」
「どこが! 魔法都市から副都まで二日は掛かるって言っただろう!?」
「
……そうか。
彼女ほどの魔導士なら、縮地の魔法を使えても不思議じゃなかった。
目的地との距離を縮める転移魔法の最高峰――
たしかにあれを使えるのなら副都まですぐに着く。
「わかった。移動はルールデスに任せるよ」
「正しい判断だわ。でも、ヨアキムを倣ってもう少し気が回るようにならなければ、召使いとしては下の下よ?」
「誰が召使いだっ」
くそぅ。
主は僕のはずなのに、これじゃまるでルールデスが主人みたいだ。
「起きて早々、体を動かして汗も掻いたし、久しぶりにゆっくりと湯浴みを楽しみたいわ。シャナクも一緒にどうかしら?」
「……遠慮します」
「あら。女同士、何を遠慮することがあるのかしら?」
「ち、近づかないでくださいっ」
ルールデスがシャナクへと体を摺り寄せていく。
頬を染めて寄り添い合う二人の美女。
……ちょっとドキドキしてきた。
「ときにマリオ様――」
ヨアキムさんに声を掛けられて、僕は我に返った。
「――同行者が増えるとは想定していなかったもので、宿にはシングルルームを二つしか取っておりません。ですので、どなたかには相部屋をお願いしたく」
むむっ。不測の事態。
シャナクはルールデスとの相部屋は嫌がるだろう。
かと言って、僕が二人のどちらかと相部屋になるのもルールデスが納得しないに違いない。
「それじゃ僕の寝床はロビーですね」
高級宿に泊まるのに、なんだこの損な役回りは……。
◇
受付で予備の毛布を借りてきた僕は、そのまま宿の玄関でヨアキムさんを見送っていた。
「マリオ様。ロビーで休むくらいならば、少し離れた安宿になりますが私の部屋に来てはいかがです?」
「どうせ義足の修理で寝るつもりはなかったですし、僕のことはどうぞ気にせず」
これ以上、ヨアキムさんに借りを作りたくない。
これから彼はお針子の店を訪ねて急な依頼を無理強いするわけだし、明日一番でシャナクの装備の手配もあるのだ。
「魔法で副都に向かうとなれば、私の役目もこの町までです。マリオ様も何か御用がありましたら、何なりとお申し付けください」
「いえ、大丈夫です」
「戦闘用の人形を用意することもできると思いますが?」
「それは……いえ、やっぱり必要ありません。これ以上、大所帯になっても副都で動きにくいですから」
「左様で。まだ時間はありますし、もしも必要となりましたらお声がけください」
「ありがとう」
その会話を最後に、ヨアキムさんは夜の町に消えていった。
「……はぁ。義足の替えくらいは頼んで良かったかもな」
その時、背後に視線を感じた。
振り返ると、鞄を抱きかかえたシャナクが僕を見つめていた。
彼女は髪の毛が湿っていて、体の汚れも綺麗になっている。
今しがた浴場に行ってきたのだろう。
「シャナク、まだ起きていたの」
「……はい」
なんだか様子がおかしい。
「どうかした?」
「マリオ様。今夜は……私の部屋へ来ませんか?」
「えっ」
「もう春とは言え、まだ夜は肌寒いでしょう。主に風邪をひかせては従者の恥です」
「いや、それは、ありがたいけれど……っ」
シャナクが頬を染めながら言うので、僕はいつぞやの夜のことを思い出してしまった。
「嫌、ですか?」
「嫌じゃないよ! 嫌じゃないけれど――ごめん。ルールデスの手前、僕達が同じ部屋ってのは……」
「そう、ですよね……」
「何かあったの?」
「それが……最近、夜になるとまた体が寒くて」
「浴場から帰ってきたばかりみたいだけど?」
「そうなのですが、体の内から寒気が消えないのです」
以前も寒いと言っていたけれど、〝
そもそも彼女は心臓が止まっているし、血が全身に巡っていないのであれば体温が低いのは当然のこと。
そんな状態で寒さを感じるのもなんだか不可解だけれど、本来なら動くはずのない体に意識が戻っていることで、
「寒い夜に肌を重ねるのは、男女ならば自然のことですよ!」
シャナクが抱きかかえている鞄から声が聞こえた。
「……黙ってろ、マリー」
「私のことは気にせず、どうぞお二人で夜伽をお楽しみくだ――」
僕が鞄をはたくと声が途絶えた。
代わりに、不満を訴えるようにごそごそと動いている。
「寒いならこれも使いなよ」
僕は受付から借りた毛布を彼女に渡してあげた。
「ありがとうございます」
「おやすみ。シャナク」
「おやすみなさい。マリオ様」
シャナクは逃げるようにロビーを駆けて行ってしまった。
その後ろ姿を見送って、この場に一人残された僕はなぜだか寂しい気持ちになってしまう。
……なんだか肌寒くなってきた。
夜も更けてきて、すでにロビーには警備兵の姿しか見られない。
それに彼らからはやたら視線を感じる。
こんな高級宿に泊まっている客が、いつまでもロビーにいることがよほど気がかりなのだろう。
「僕も風呂に入ろうかな」
ロビーの大時計を見ると、時刻はすでに十時を回っていた。
この時間になればもう浴場を使っている客もいないだろうし、ゆっくり湯に浸かって旅の疲れを癒すとするか。
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