32. 鎮魂の塔

 ランタンに火を灯して塔の中に入ると、床や壁がぼんやりと光りだした。

 どうやらヒカリゴケが使われているらしい。


 外観に反して、通路はまったく舗装されておらず粗悪な作りをしていた。 

 仮にも勇者の墓なのに、このぞんざいな感じはなんだろう。


「マリオ様。奥に広間があります」


 シャナクの言う通り、通路の奥に広い空間があった。

 壁には切り立った階段が螺旋状に作られていて、上へと続いている。

 天井が見えないので、かなり上階まで吹き抜けになっているようだ。


 広間を見回っても地下へ降りる階段は見られない。

 賢聖の棺があるとしたら、この途方もなく高い塔を上った先ということか……。

 ここの階段は義足の僕にはきつそうだなぁ。


「……登ろう。足下に気を付けて」


 階段には柵なんてないので、僕は壁際に寄りながらおっかなびっくり上っていく。


 一方、シャナクは平然と内側を歩いている。

 まったく凄い胆力だなぁ。


「ご主人様。もうちょっと彼女に良いところを見せてください!」

「うるさいなっ」


 鞄の中からマリーの小言が聞こえてきた。

 そんなこと言われても、普通の人間ならビビるよこの状況は!


 しばらく階段を上り続けるも、一向に天井は見えてこない。

 それに、下から上へ吹き抜けていく風の音が、なんだか悲鳴みたいに聞こえて気持ちが悪い。


「……見られている気がします」


 突然、シャナクが嫌なことを言いだした。


「見られているって……誰に?」

「わかりません。視線はたしかに感じるのですが、どこから見られているのかわからなくて」


 僕は視線なんてまったく感じないけれど、シャナクが言うなら気のせいではないのだろう。

 幽霊の件もあるし、ここは慎重に進むに越したことはない。


 不意に目を留めたランタンの火は、不気味に揺れ動いていた。





 ◇





 やっとのことで階段を登りきった先には、半球状の広い部屋があった。

 中央には四つの柱に囲まれた石の台座があり、その上に石棺が安置されている。


 既視感デジャブを感じる光景――リース村の地下祭壇とほとんど同じだ。

 とうとう見つけたぞ!


「ここは玄室のようですね。つまりあの石棺が……」

「うん。賢聖勇者の遺体が眠る棺に違いない!」


 目当ての石棺を発見して、いよいよ緊張してきた。

 この感覚はダンジョンの奥で宝箱を見つけた時と似る。

 果たして棺の中にあるのは、ミイラか、白骨か、それともまったく腐っていない聖人の遺体か。

 まさか空ってことはないよな……?


「シャナク。僕が棺を開けるから、周囲の警戒を頼む」

「はい」


 石棺に向かう途中、何かを足で蹴ってしまった。


「ん? ……うわっ!?」


 ランタンで照らしてみると、なんとそれは白骨死体だった。

 装備を見る限り冒険者みたいだけれど……なんでこんなものがここに!?


「マリオ様! 周りを見てくださいっ」

「な、なんだよこれは!?」


 その場には他にも死体が転がっていた。

 頭や上半身のないものだったり、真っ黒に焼け焦げて炭と化したものだったり……とにかく酷い有り様だった。


「……案内屋が、幽霊が冒険者を返り討ちにしたって言ってたよな。まさかこの死体はその冒険者達のもの……!?」

「一体何にやられたのでしょう。死因は魔法攻撃によるもののようですが」

「幽霊は魔法を使うのかな? 魂を吸って殺したなら、死体はこんなに傷つかないよね?」

「その幽霊が賢聖の遺体を守っているということでしょうか」

「あり得ない話じゃないかもね。宝のあるダンジョンには、侵入者を攻撃する守護者や罠が仕掛けられていることが多い。噂の幽霊はそういった対策の一つなのかも」


 その幽霊がいまだに僕達の前に現れないというのが気にかかる。

 それとも賢聖の遺体と幽霊は無関係なのか?


「まだ視線は感じるているのかい?」

「……はい」

「そう」


 ビビっていても仕方がない。

 今は棺の中に何が入っているのかを調べるのが先決だ。


 僕は石棺に近づいて、ランタンで分厚い石蓋を照らした。

 蓋の表面には大陸統一言語ユニティワードの文章が刻んである。


 その内容は――


 この封印、何人たりとも解くべからず。


 ここに眠るは大罪の魔女なり。


 疫病よりも恐ろしく、悪魔よりも狡猾で、いかなる悪意よりも邪悪で醜悪。


 決して呼び覚ましてはならない。


 願わくば、100年の後に魔女の血と肉と骨が朽ち果てんことを。


 ――というものだった。


「……おかしいな。僕達は勇者の墓に来たはずなんだけれど」


 この警告のような碑文はなんなんだ?

 なぜ勇者の眠る棺にこんな文章が書かれているんだ……?


 その時、僕は急に背中に寒気を感じた。

 思わず背後を振り向いてしまったけれど、そこには暗闇が広がるのみ。

 ……なんだか変だ。

 もしかして、今のがシャナクの言っていた視線の気配なのか?


「よ、よし。棺を開けるぞ」


 僕は気を取り直して石蓋を押し開けた。

 蓋は床に落ちて砕け散り、玄室に騒音を響かせる。


 僕が棺の中で目にしたのは、若い女性の姿だった。

 シャナクの時と同じく、見た目はまったく腐敗しておらず、生きているかのように瑞々しい姿のまま横たわっている。


「!? この人――」


 年齢は僕より少し上だろうか。

 美しく整った顔立ちで、背が高くスタイルも良い。

 死に装束はほとんど半裸に近く、胸元や太ももが大きく露出している。

 特に胸の凶悪な谷間には息を飲んでしまう。

 暗い髪色に、真っ白い肌、中でも目を引いたのは異様に長い耳だ。


「――エルフだ!」


 この長い耳、間違いない。

 実物のエルフなんて初めて見た。


「この時代ではエルフは珍しいのですか?」

「珍しいなんてもんじゃないよ。絶滅したんじゃないかって言われるくらい、エルフは長いこと存在を確認されていないんだ」

「そうなのですか。私の時代でも、エルフは数が少なくて滅多に出会える存在ではありませんでしたが……」

「僕は文献の挿絵でしか見たことないよ。本物のエルフって背が高いんだね」


 ……それにしても美しい。

 こんな絶世の美女に対して邪悪で醜悪とか、遺体を葬った人間は一体何を考えているんだか。


「エルフですって!? ご主人様、私にも見せてくださいっ」

「マリー、ちょっと大人しくしていろって!」


 鞄の中で暴れ出すマリーのせいで、雰囲気が台無しだ。


「マリオ様。彼女にギフトを」

「あ、ああ。そうだね」


 目的を思い出した僕は、目の前に横たわる女性へと手を伸ばした。

 頬に指先が触れようとした時――


「女の体に許可なく触れるものではないわ」


 ――突然、冷たい声が聞こえた。


「マリオ様」

「え?」

「マリオ様、あれを……」


 シャナクが僕の背後にある暗闇を見つめている。

 その視線の先を見てみると、暗闇からぼうっと青白い人影が浮き上がってきた。

 顔はおぼろげながら、裸らしき人物が僕の方へと近づいてくる。


「ゆ、幽霊っ!?」

「マリオ様、お下がりください!」


 シャナクが聖光剣を抜いて僕の前に飛び出した。

 それを見て、幽霊は足を止めた。


「シャナク! 相手から敵意は!?」

「今のところないようです。どうやらずっと感じていた視線は、彼女のもので間違いなさそうですね」

「彼女?」


 目を凝らすと、次第に幽霊の輪郭が整ってきた。

 背が高く、スタイルも良く、そして……長い耳をしている。

 

「まさかあの幽霊は……!!」


 そのシルエットは、棺の中で見た遺体と同じだ。

 まさかあれは遺体から抜け出した当人の幽霊なのか?


「怖い怖い。剣を納めてくれないかしら、剣士様?」


 今の声、さっきと同じ。

 間違いなく幽霊の方から聞こえてきた。


「あなたが噂の幽霊ですね」

「あら。それは一体どのような噂かしら」

「この塔に近づくと幽霊に魂を吸い取られる、という噂です」

「魂?」

「魂を吸われた者達は例外なく死にかけたそうです。自覚がないとは言わせませんよ!」

「……なるほど、そういうこと。フフッフフフフ」


 幽霊は何かに納得して、笑い始めた。


「魂ではないわ。わらわが貰い受けたのは、魔力よ」

「魔力を……?」

その肉体・・・・の機能を維持するためには、常に魔力を循環させておく必要があるの。今のわらわにはそれが難しいので、物見遊山で近づいてきたよこしまな連中から魔力をいただいていたのよ」

「死にかけるほど魔力を奪ったと言うのですか」

「どうせ生きていれば魔力は回復するのだから、死ぬ寸前まで貰い受けても構わないでしょう?」


 話を聞く限り、この幽霊が棺の遺体当人であるらしい。

 尊大で身勝手っぽいけれど、まだ邪悪さを感じるほどじゃないな。


「では、ここにある遺体はどう説明するのです。明らかに魔法攻撃によって亡くなっています!」

「さぁ。大方、わらわの遺体を取り合って仲間同士で殺し合いでもしたのではなくて?」


 宝を目の前にして仲間割れというのは、冒険者にはままあること。

 でも、ここの死体は幽霊の討伐を依頼された冒険者達のはず。

 それに棺の蓋も開いていなかったことを考えると、彼女の発言は疑わしい。


「嘘だね」

「……」


 僕の指摘に幽霊が反論を返さない。

 やはり今のはデタラメか。


「この冒険者達はあなたの力では追い返すことができなかった。だからここまで侵入を許してしまった。そうじゃないのか?」

「……」

「装備から察するに、彼らは剣士、魔導士、聖職者、人形使いの四人――攻守ともにバランスの取れたパーティーだ。あなたに魔力を奪う力があったとしても、簡単に追い返せるとは思えない。この場で彼らに何をした!?」

「……」

「あの、聞いてます……?」


 僕の声が聞こえていないのか?

 さっきシャナクとコミュニケーションが成立していたし、会話はできるはずなんだけれど。


「ねぇ剣士様。あなたの下男が何やら独り言をつぶやいているようだけれど?」

「げ、下男!?」

わらわは下賤な輩と会話する口はないの。質問があるなら、あなたから質問を投げかけていただけないかしら」


 下男って僕のことか……。

 この人、僕がシャナクの召使いだと思っているのか。


「マリオ様は私の主です。下男とは何事ですか」

「? その凡夫があなたの主? ……冗談でしょう」

「マリオ様は私を永遠の孤独から救い出してくれた恩人。そして、私のすべてを捧げると誓ったお方です。侮辱することは許しませんよ!!」

「……斯様な下男があなたのような才女をはべらせているなんて信じ難いわ。わらわが引きこもっている間、外の世界は狂ってしまったのかしら」


 ……酷い言われようだ。

 たしかに僕は、勇者なんかと比べれば凡俗の凡夫だけれど、本人を前にちょっと言い過ぎじゃないかな……。


「まぁいいわ、剣士様に免じて質問に答えましょう。わらわの玉言、心して拝聴なさい」

「あ、はい」


 余りにも尊大過ぎて、尻込みしてしまう。


「たしかにこの者達からは魔力を奪うことができず、不本意ながらこの場に押し入ることを許してしまったわ。でも、手段を選ばなければ排除は容易だったのよ」

「何をしたんだ……?」

「まずは人形使いの人形に憑りついて、魔導士を殺したわ。次にその死体に憑りつき、他の三人を始末したのよ」

「なんだって!?」

「容易いことよ。人の形をした人形は〝人形支配マリオネイト〟で操られていても支配できるし、魂の抜けた人間は人形と同じようなものなのだから」


 憑りついた?

 乗っ取ったってことか!?

 いくら幽霊だからって、そんなことが可能なのか……!?


「マリオ様、お気を付けください!」


 シャナクが幽霊に切っ先を突きつけた。

 明らかに彼女を警戒している。


「この女はネクロマンサーです!!」

「あんな汚らわしい連中と一緒にしないでもらいたいわ。けれど、どうやらわらわの術を看破したようね」

「かつて肉体から魂を引き離すという禁忌の魔法を操る者達がいました。それを応用することで、逆に物体や死体へと魂を入れ込むことも……。そうやって死体を操るのはネクロマンサーの常套手段です!!」

「博識ね。わらわが死んで、もう600年は経つかしら――その類の知識は多くが失われて久しいはずだけれど」

「私の時代には、まだネクロマンサーは残っていましたから」

「興味深い言い方をするのね。まるでその時代から生きているかのような言い回し」

「ある意味で、それは間違っていません」

「フフッ、そう。あなたには何か特別なものを感じていたのよ。だからここまでお招きしたの。あなたは何者なのかしら?」

「私はシャナク。かつて剣聖とも勇者とも呼ばれた者です!!」

「勇者……。そう、あなたがこの時代の勇者なのね」


 その時、おぼろげだった幽霊の顔が僕にもハッキリと見えた。

 不意に表した邪悪な微笑み――それを目にした時、僕は確信した。


 この女は危険だと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る