第4話

 なにを隠そう中二のとき須郷先輩と別れた原因は、わたしが蛙化してしまったことにある。

 その場はなんとか逃げて誤魔化せたけれど、ふたりきりでおしゃべりしているときに突然逃げ出すという、フォローの難しい失礼な行動を取ってしまった。

 さらに、これからもふたりきりになったときに蛙になるリスクがつきまとうことを考えると、さすがに今後なにごともなかったかのように普通のおつきあいを続けるというのは、望み薄だった。


 そんなわたしの秘密を知るただひとりの友人が、珠希だ。


 珠希のことを知ったきっかけは、定期テストだった。ただひとり学年内で、わたしより高い点数を叩き出していたから。

 それでずっと気になっていて、とうとう中学二年の一学期の期末のあと、直接、普段どんな勉強をしているのか、聞いたのだ。

 あわよくば珠希と同じ塾に通いたい。あの子のライバルになりたいと思って。そしたら。


「塾なんて行ってないよ、うち貧乏だからさ。まあ、いまの時代、勉強したけりゃ、いくらでもうまくやりようはあるわけ。それに中学教師も高校受験に耐えれるだけの脳はあるわけだから、マックス利用してやらな」


 などと平然とのたまったのだ。

 彼女は中学校の授業の予習復習だけで成績上位を維持し、県内トップの公立高校への進学を志望する猛者だった。

 その賢い生き方に、クールなもの言いに、わたしは強く惹かれた。


 そして直後に起きたのが、前述のわたしの蛙化事件である。

 自分の変貌にいちはやく気づき須郷先輩のもとからあわてて逃げてきた、半分蛙になりかけのわたしを見て、珠希はおどろきに目を見張りながら、ひとこと、こう言ったのだ。


「わあっ、コバルトヤドクガエルだね。綺麗な青色だけど、毒性が強い。藍衣菜らしいな、すごく」


 意味のわからない呪いのせいで失恋の傷を負ったばかりのわたしを、珠希の言葉は丸ごと抱きしめてくれた気がした。


 われながらちょろすぎる展開だけれど、わたしの心はそれ以来、珠希ひとすじ。


 でもこの気持ちに、この関係に、名前はない。ましてや「恋」などと。


 だって、これが恋になった途端。成就なんてしてしまったら最後。呪いがわたしを蛙に変えるから。


 珠希のことは、ただの友だちと言うには特別で、親友と呼ぶには面映く、まちがいなく『好きな人』ではあるのだけど、恋の相手だと認めるわけにはいかない、それでも唯一無二の大切な人。ずっと、きっとこれからもそうなのだ。


「おはよ」


 蛙化したわたしの顔を見て、珠希はちょっと笑った。


「コバルトヤドクガエルの鮮やかな色は警告色なんだよ。自分が極めて強い毒を持っていることを、外敵に知らせるためなんだ。優しい藍衣菜らしいよね」


 蛙化すること以外は平凡を絵に描いたようなこのわたしのことを、珠希はしみじみと優しいだなんて言ってくれる。

 わたしは微笑みながら心のなかで「珠希のほうこそ」とそっと返した。


 珠希は気にしないでいてくれるけれど、むしろ肯定してくれるけれど、

 ……やっぱりいちいち変形するのはめんどうくさい。


 だからね、珠希。蛙化しないために、わたしあなたへの感情を『恋』とは名付けないことにしているの。


「教室、帰ろっか」


 どちらからともなく口にして、並んで階段を上り始める。


 顔の凹凸が元に戻り始める感覚とともに、全身を覆い尽くしていた毒々しい青色も、皮膚の下、血管の奥へと徐々に引き始めていた。














 了

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蛙にならないキミへの感情 鉈手璃彩子 @natadeco2

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