3、作戦会議①

「あ、ほんとだ。元に戻ったぜ」


 振り返ると、野間のま野口のぐちがお互いの両手のひらを合わせていた。今聞こえたのは、確実に野間の声と口調だった。ということは“入れ替わった男女が互いの両手を合わせれば、十分間だけ元の姿に戻れる”という漁火いさりびの発言に嘘はなかったということだろう。もっとも、本当に十分もつのかは試してみないとわからないが。


 野間は野口と合わせていた手を離すと、立ち上がったままの俺に視線を向ける。


大河たいがの言いたいこともわかるけどさ。とりあえずは『今、どうするべきか』を考えたほうがいいんじゃない? 例えば男女で入れ替わった場合、困るのはトイレ・風呂・着替えとかがあるじゃん。でも十分間だけ元に戻れるんなら、その時間を活かして何とかできるかもしれないし。入れ替わったペア同士で、早めに対策を練ったほうがいいよ」


 至極もっともな野間の指摘に、教室のあちこちから同意の声があがる。俺は改めて自分の身体を見おろした。どう見ても女の……七海ななみの身体になっている俺。他方で「俺」の身体になっている七海。確かに野間の言う通り、素肌を見られかねないシチュエーションにおいてどう対処すべきかは考えておくべきだろう。


 俺はいったん席に着き、七海のほうへと身体を向けた。意図を察したのか、彼女は椅子を少し近づけてくる。


「何だか面白いことになったな」

「面白いわけあるか。教育実習生の人体実験に、俺たちが付き合わされる義理はない」


 なぜか楽しそうにしている七海にむっとして反論すると、彼女はにやりと笑う。俺はまずしない笑い方だ。見たことのない俺の顔は違和感がすごい。


「高橋先生の言った通り、私たちの高校は大学の研究施設でもあるからな。薬を飲んでしまった以上元に戻るすべはなさそうじゃないか。野間の言う通り一か月、上手くやり過ごす方法を考えたほうがいいだろう」

「それは、そうだな」


 七海の言葉に渋々頷く。もっと漁火を問い詰めれば解毒薬的なものを入手できるかもしれないが、今は直近で発生しうる問題を解決する事を考えたほうがよさそうだ。


「とりあえず、私の考えを述べてもいいか。私のノートと筆箱をとってもらえると助かる」

「ああ」


 案があるらしい七海に、彼女の筆記用具を渡すとノートを広げ、何やら書きつけ始めた。


「とりあえず手を合わせれば十分間は元に戻れるというのなら、高校の校舎にいる間は大して問題にならないだろう。授業間の休み時間に毎回元に戻ればいいだけの話だ。その間にトイレに行ったり、体育の着替えをすればいい」

「同感だ」


 異論をさしはさむ余地はないので、頷く。トイレにせよ着替えにせよ、授業中に発生することはまずないから、休憩時間を利用するのは普通の選択だろう。授業間の休憩時間は十五分だから、一回入れ替われば充分だ。


「問題は、放課後……つまり学校から帰ってから、また翌日学校に来るまでの間になる。野間が言っていたトイレ、着替え、入浴、すべてがここに含まれる。一番楽なのは片方の家に一緒に住んで、一時間おきくらいに元の姿に戻るっていうパターンだと思うのだけど」

「おいおい、それは問題があるだろう」


 俺の声色が呆れたものになる。いくら家族が同居しているとはいえ、恋人でもない赤の他人である男女がひとつ屋根の下に住むのは倫理的に不健全だ。しかし七海は全く動じた様子がない。


「いや、少なくとも私の家は大丈夫だ。私のところ、男兄弟が多くてね。上に兄が一人、下に弟が二人いるんだが、一番上の兄は家を出ている。だから部屋が一つ空いているんだ。元々男が使っていた部屋だから、並木が使ってもらっても何ら問題はない」

「そういうことじゃなくてだな」


 あくまでも実用的な方面で話を進める七海は、俺と同居することに対しては何とも思っていなさそうだ。不思議そうな顔をしている彼女に倫理観を説くのは無駄な気がしてくる。


「並木の家はどうなんだ?」

「俺の家は……七海と逆だな。上に姉が三人いる。こっちも長姉が使っていた部屋は空いているな」

「ならちょうどいいじゃないか」


 七海はふふっと笑みを見せる。


「漁火先生の話が正しければ、私たちが入れ替わる期間は一か月。前後二週間ずつ、お互いの家に住む。これならお互いの家の負担は平等になるし、変に気を使いすぎる必要はない。以上の作戦でどうだろう」

「だが、俺は七海のことをよく知らないし、七海も俺のことを知らないだろう。そんな関係で同居なんて、いいのか?」


 なぜかとんとん拍子に話を進めていく七海に待ったをかけようとしたが、彼女は首を傾げる。


「お互いを知っているかは、そんなに重要なことかな? 隣の席になって一か月経つが、私は並木のことは悪い奴じゃないと思っている。それに、家には常に人目がある。あまり警戒することもないと思うが」

「そういう、ものなのか」


 七海の言葉には有無を言わさぬ力があり、俺の反論の口は封じられる。


「とにかく、お互いの家に行ってみてから考えよう。私の家は問題ないと思うから、まずは並木家だな。まず先に行って説明して、問題なければさっき言った方法をとる。同意が得られなければまた考えればいい。一か月、私の家に並木が住んでもいいんだし」

「それはだいぶ負担をかけるから避けたいな」

「気にすることはないよ。きょうだいが三人になろうが四人になろうが大差ない。とにかく、今日は一旦二人で並木の家に帰るってことで」


 話を強引にまとめた七海は、ノートに何やら書きつけている。覗き込もうとすると、大したことじゃないと言いつつ俺のほうへ寄せてくれる。やや角ばった筆圧の強い文字で記されたメモがあった。


・入れ替わりの条件

 両手を合わせると、10分間だけ入れ替わりが元に戻る

 一か月経ったら元に戻る見込み

・学校での対策

 授業は入れ替わったまま受ける。休憩時間はお互い元の姿に戻って用事を済ませる

 (用事=トイレ、着替えなど)

・家での対策

 トイレや入浴、着替えのタイミングで両手を合わせる。

 →お互いの家に同居した方が絶対に楽! 並木の家は要相談


「ま、大体こんなものじゃないか」

「……わかりやすい。そうだな」


 文字で見ると、同居は割と合理的な選択肢なんじゃないかと思えてきてしまった。合理的か否かという以前に、倫理的な問題がある気がしてならないのだが七海は全く問題にしていない。ならば彼女の言う通り、俺の家に行って様子を探るしかないか。親や姉に相談したら、もう少し案が出るかもしれないし。

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