2、入れ替わり

(本当の効能?)


 俺が内心で首を傾げていると、身体がふわりと浮き上がる感覚がした。たまに夢で見る空中浮遊のような、不安定感。少しだけ不安になり目を閉じる。再び目を開けた時、視界はがらりと変わっていた。


「えっ」

「この身体って」

「もしかして、隣の席の……」


 クラスメイトたちがざわついている中、俺もなるべく冷静になるよう努めながら周囲を見渡す。

 俺はいま、自分の机の一個隣の席に移動していた。片付けて何も置いていなかった俺の机の代わりに、七海ななみの筆箱とノートが置かれた机が目の前にある。そして真下に目線をやると、女子が来ている紺色のセーラー服と赤いリボンが視界に映った。まさかなと思い左を向くと、ちょうどこちらを見ていた「俺」と目が合った。


並木なみきと私が、入れ替わったっていうことかな」


 目をわずかに細めた「俺」が口角を上げる。俺の声だが、口調は七海のものだ。試しに俺も口を開いてみる。


「隣の席同士で、身体が逆になったってことか」


 やはり口調は俺のままだが、声は七海のものになっている。振り返ると野口のぐちが立ち上がり、しげしげと自分の身体を見つめていた。


「おお、これが野口ちゃんの身体! ちょっと触ってもいい?」

「……だめ、だよ」


 隣に座る野間のまが顔を赤くして、目に涙をためて首を横に振っている。野間がこんな女子っぽいふるまいをするはずがない。いや、そもそもその前の野口の発言からしておかしいのだ。


「入れ替わり、クラス全員に起こっているな」


 「俺」の姿になった七海が教室を見渡しながらつぶやく。確かに、後ろの騒ぎ以外でも各所で混乱が発生していた。俺のように己の姿を確認する者。野間のように身体を触ろうとして隣人に怒られている者、立ち上がって困惑の表情を浮かべる者。そんな中、パンパンと手を叩く音がして皆一斉に教卓の方を向いた。そこには、かすかに笑みを浮かべた漁火いさりびが立っている。


「はい、皆さん落ち着いてください。立っている人は座って。身体の変化を確かめる時間は、あとでいくらでもありますから。もっとも、交換相手が認めてくれたら、の話ですが」


 全員の視線が漁火に集中する。漁火は堂々とした雰囲気で言葉をつづけた。


「皆さんに飲んでもらったのは、ざっくりいうと“苗字が近い異性と身体を交換する薬”です。今、皆は出席番号順、つまりあいうえお順に座っているから、必然的に隣の席の人と身体を交換した形になります」

「えっ、でも、わたしは交換されていないみたいですよ。あの液体飲みましたけど」


 左前のほうで、赤時あかときが声をあげる。たしかに口調も声音も、赤時のままだ。漁火は彼女に頷きかける。


「はい。この薬は精神に干渉するので、彼氏ないしは彼女がいる人には効き目がありません。そして、その隣の席の人も交換対象がいなくなるので、効果が打ち消されます」

「つまり隣の席の人がリア充だったら損するじゃないですか」

「まあ、それは今後の課題ですね」


 野口の声を借りた野間の言葉に苦笑いを浮かべて、漁火は正面に向き直った。


「ともかく、今の段階の薬の効能としてはポイントが三つあります。ひとつ目が、今言った通りに隣の席の男女で身体が入れ替わること。ふたつ目が、入れ替わった男女が互いの両手を合わせれば、十分間だけ元の姿に戻れる。みっつ目が、薬の持続期間は一か月ということです」

「一か月?」


 俺は思わず声をあげた。質の悪い手品みたいなもの、長くて一時間もあれば効果が切れるだろうと思っていたのだ。一か月は長すぎる。それだけの間異性の身体で生活しなければならないとなると、色々と不都合が出てくるに違いない。


「どういうつもりです。漁火先生は、何を考えているんですか」


 立ち上がった俺の声は怒りに震えていた。七海が怒ったらこんな声になるんだなと他人事のように思いつつ、できるかぎり睨みつける。全く恐れるようすもなく小首を傾げる漁火に、更なる怒りが湧いてきた。


「来て早々人体実験みたいなことをして。許されるとでも思ってるんですか。俺は人権侵害とか、法律について詳しいことはわからないですけど、人の尊厳を踏みにじることは許されないですよ」

「高橋先生の許可は貰っていますよ」


 俺は睨みつける対象を、漁火から担任へと向ける。そういえば、担任の名前は高橋だった。単純な苗字なのになぜ忘れてしまうのだろうか。まあ、関心がないからだろう。しかし今回のことを看過するわけにはいかないはずだ。俺の目線を受けた担任はわずかに身じろぎする。


「教育実習は、教員過程の大学生が、研究成果を試すための場でもありますから。今回の活動はその一環だと捉えてもらえれば。もちろん、各家庭には連絡をしてあります」

「親は了承済みってことかよ……」


 思わず敬語を忘れた俺の呟きを、担任は咎めなかった。


「大学附属高ということで、多少の実験の対象になることは元々入学時に了承いただいているはずです。もちろん、皆さんが飲んだ薬は人体に害を及ぼすものではないと実証されています。そうですよね、漁火さん」

「はい」


 いや害はありまくりだろうという言葉を、俺はすんでのところで飲み込んだ。明らかに怪しかった薬を飲んでしまった自分にも責はある。とはいえいくら実験目的の学校とはいえ、こんなだまし討ちみたいな方法をとるべきではないだろう。もやもやした気持ちをどう伝えれば漁火に伝わるのか考えていると、後ろからのんきな声が聞こえてきた。

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