第55話 つながりの確信

第55話 つながりの確信


 情報は十分収集できた。

 礼を言って、三人が帰ろうとした矢先、支配人は「実はね」と意外な事実を打ち明けた。

「少し困っているのですがね……」


「はあ」町村は、間の抜けた相槌を打った。


「あのルビーよりも少し大粒で、赤い色もあれに引けを取らない石が手に入りましてね」


「はあ」まさかそれを、自分に勧めようとしている訳でもあるまいと、町村は困った様に返事した。


「それを三月ほど前、貝原様にご案内した所、九月の末頃に貝原様がいらっしゃいまして、そのルビーはまだあるのかとおっしゃいました」


「どうなりましたか?」広美が食い付いた。


「小説がヒットしたので、それを買おうと言ってくれました。そして、それをサイズ八号のリングにしてくれと言われました」


「八号ですか?」広美の目が鋭くなり、きらりと光った。


「はい、イニシャルはKAにしてくれとのご注文でした」


「AKではなく、KAですか?」町村が訊いた。


「はい、その通りです。リングのデザインは当店に一任されました。

 それは十一月中旬に出来上がりまして、当店でお預かりしているのですが、肝心のご注文主が亡くなられてしまって、未だ代金も受領前ですから大変弱っているのですよ」

 支配人は、腕組みをして、眉間にシワを寄せ俯いた。


 町村は、支配人が顔を起すのを待って訊いた。

「誰に贈るか、貝原先生は言いましたか?」


「いいえ、てっきり以前と同じく倉木亜由美様だと思っておりましたが、今の所誰にも内緒だと、先生は笑っていました」


「もしかして、倉木さんがその後来店されませんでしたか?」

 広美が思い切って訊いた。


 ヒットしたのだろう、支配人は目を丸くした。

「良くお分かりで、私が留守の時にいらっしゃったようで、店の者が気を利かせたつもりで、その品を黒木様にお見せした所、始めは大変びっくりしたご様子でしたが、私に内緒でプレゼントだなんて、先生人が悪いわとおっしゃって、非常にお喜びだったとか」


「ふうむ、なるほど」町村はあごに手をやった。


「私が気になるのは、代金のことばかりではなく、あれが、倉木様とは別の方への贈り物だったのではないかと云う事なんです」

 支配人はそう言って、また俯いた。


「確かに、八号と十一号では、サイズが違い過ぎますものね」


 広美が明るくそう答えると、支配人は背筋を伸ばし、気を取り直すように言った。

「まあ、あの品は、残念ですが、暫く展示してからキャンセル扱いにするしかありませんな。あの石なら別の買い手は必ず見つかるでしょうからね」


「そうなるといいですね」広美は力づける様に答えた。


 十分過ぎるほどの収穫を得た三人は、支配人に対し丁寧にお礼を言って店を出た。




 広い通りに出てタクシーを拾った三人は、先ほどの資料室分室へと戻った。御徒町と神田の距離は、幾らも離れていないのだ。


 三人の内、慧だけは、どこか具合が悪そうである。

 栄光堂を出た後、一言も口を利いていない。


 そんな慧の様子を盗み見ながら、広美は町村に言った。

「予想以上だったね」


「そうですね。やはりあの二人は、隠れて交際を続けていたと云う事になる」

 そう答えた町村も、慧の様子を心配げに見ていた。


「女優相川加奈子は、黒木アユの策略で一旦は別れさせられたが、また復縁したみたいだね。しかもその事実を黒木は知ってしまった」

 黒木に対し、犯行の確信を持った広美は、そう断定した。


 町村が、何かを思い出したように言った。

「それはそうと、一つ気になることがあるんですが」


「何? 町村さん」


「犯人の特徴ですよ。

 広美さんは私に、黒木アユに似た特徴を説明しましたが、私が亀山警部補から訊かれたのとは違うようです」


「亀山さんは何て?」広美の目の色が変わった。


「正確には、犯人の特徴とは言いませんでしたが、彼はこう訊きました……

 セミロングの黒髪をした、比較的若い女性で、O型血液の人が、身の回りの人間の中に居ませんか?

 その人はキツネの毛皮を着ているかも知れませんと。

 当然事件絡みの質問だと、私は理解しましたが」


 慧が息を呑み、小刻みに震えだす。


 広美は慧を観察しながら、町村に質問を繰り返す。

「貝原殺しの方かしら?」


「そういうことになるんじゃないですか」

 町村も慧の変化を見守っていた。


 広美は、慧に対し、静かに訊いた。

「……藍さんは、キツネのコートを着ていたよね?」


 慧は涙を堪える様にしていたが、やがて静かに顔を起した。

「姉が、貝原さんに恨みを持っているとは思えません。

 姉は今でも貝原さんの小説のファンですから。

 たまに、自慢するように私に言うんです。私は彼の担当をしていたことがあるのよって」

 慧は、姉の為に精一杯の抗弁をした。


 広美は、ルビーのリングの写真を見せられてから、ずっと気になっていたことを訊いた。

「ひょっとして、慧さん……あのルビーのリングに見覚えがあるんじゃないの?」


 慧は黙して答えない。


「あるのね…… あの二人の落下現場近くから、ルビーのレプリカリングが見つかったと、亀山さんは言っていた」

 広美はそう言って、慧の目を覗き込む。


 慧は目を逸らせた。


 広美は慧を見ながら、一言一言をくっきりと発音する。

「慧さんには辛いことかも知れないけれど、あの二つの殺人は、交換殺人だったと私は思う」


 町村はその意味を知ると、椅子を後ろに弾き飛ばすようにして立ち上がり、掠れ声を搾り出した。

「広美さん、そんなまさか……藍さんは、とても人を殺せるような女性じゃないですよ。お母さんや妹の為に、自分の身を犠牲にするような心根の優しい人です」


 広美の目から憎しみは感じられず、その目は寧ろ悲しげに沈んでいた。そして、独り言の様に呟いた。

「そんな人だからこそ、姉妹という関係を超えて、実の娘の様に愛する慧さんを、悪い虫から守る為に、信也を殺そうと考えたんじゃないかしら?」


「ひどい……」慧は思わずそう漏らした。


 広美は、慧から目を逸らし、中空の何かを見詰めた。

 広美の口から出る言葉は冷たく響く……

「そうよね、酷い事を言ってる、私……

 でもね、私は、しんちゃんを殺した犯人を絶対に許さない。例えそれが慧さんのお姉さんだとしても……」


 町村は緊張に耐えられなかった……

「広美さん、まだ藍さんが犯人と決まった訳じゃない」


 広美は慧に向き直り、慧の視線が絡み合うまで待ってから、静かに命じた。

「藍さんに直に確かめてみて、もし藍さんが犯人であるなら、あなたから自首を勧めるべきよ」


 慧が一瞬身を竦め、小さくなったように見えた。


 広美は続いて宣言する。

「それができないなら、私が今から亀山警部補に連絡する」


「待ってください!」思わず、慧は叫んだ。


「確かめられる?」広美は優しく訊いた。


「……やってみます」大きく息を吸ってから、慧はそう答えた。


「慧さん、私も藍さんの説得を手伝うよ」

 町村は心からそう言った。


 その気持ちは、慧にも十分届いたようだ。

「町村さん……」ハスキィな声が小さく響いた。


 広美は、静かだが、追い討ちを掛ける様に言った。

「慧さんは、明日亀山さんに呼ばれているんだよね。だったらもう今日しかチャンスは無いよ」


 慧は決意したのか、広美に強い視線を返して寄越した。

「広美さん…… 今から行って来ます。姉が出勤する前に」


「私も行く。邪魔はしないから、近くで待機するよ」


 広美がそう言って、町村が同意するように頷くと、慧は「仕方ありません」と静かに答えた。

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