第38話 亀山の報告

第38話 亀山の報告


 富里は、頭の横を指で掻きながら、次の通り亀山に指示した。

「では、警視庁の方には、そう報告書を作って回してくれ。

 九分九厘事故の可能性が高いと受け取れるものにしてくれよ。奴らにちょっかいを出させない様にしたいからな」


 亀山は渋々頷く。


 富里は、亀山に軽くウィンクしてから、夷隅に向き直った。

「駐車場防護柵の高さはどの位だ?」


「百十センチです」

 夷隅は手帳をぱらぱらと捲ってから、そう答えた。


 富里は、ホワイトボードに立て掛けてあった、二メートルもある長い物差しを手に取ると、嫌そうな小湊を横に立たせて、床からの高さを測った。小湊は一七〇センチ、平均的身長である。

 亀山が、不機嫌そうな小湊を笑って見ていた。亀山は百六十そこそこしかないから、駆り出されなくて助かったのだ。


「臍よりも高い位置か? 警視庁への報告書には九十センチと書いておけ」

 富里は、ぼおっとした様子の高滝に向かって、そう指示した。


 高滝は、はいと敬礼した。

 高滝を見て、亀山の口の端が不満そうに歪んだ。


 小湊は、やや愉快そうな顔をして言った。

「腰骨の高さですね。それなら事故も簡単に起きそうだ」


「後で、勘違いしたと言えば良いさ」

 富里はクールに言う。

 小湊はくくくと笑った。


「そうですな」亀山がそう答えた。


 皆が定位置に戻るのを待ってから、富里は、小湊と亀山を交互に見て言った。

「では、報告の続きを頼む」


 小湊と亀山が、二言三言打ち合わせする。

 亀山が小湊に対し、わかったと云う様に頷いて、その場で起立した。

 ホワイトボード前には、マーカーを右手にした高滝が立ち、メモの用意をする。


「では、小湊警部補の報告の方が、かなり資料が多いようですので、私からの報告を先に行います」


 亀山が、確認するように視線を送ると、富里は、ぱらぱらと捲っていた手を止めて、役所信也の本をぱたりと閉じた。


「亀さん、よろしく」


 亀山は一つ頷く。

「私と高滝は、本日十時に、被害者竜野信也宅を訪れ、彼の妻、竜野広美三五歳と会いました。

 二人の間には子がありませんが、夫婦仲が悪いという情報は今の所ありません。

 夜中に呼び出され、安置所で自ら夫の遺体確認を行ったせいでしょうか、一睡もしていない様子で、茫然自失の状態でした」


「そうだろうな……」富里は、誰に言うでもなく呟いた。


「竜野信也と貝原洋の関係については、自分が知る限り面識は全く無いとのことです。

 二人の間接的関係ですが、竜野のS大学時代からの親友で、太平洋書店に勤務する、町村博信四十歳が『交差点』編集部所属で、貝原洋の担当編集者をしているとのことです。

 竜野信也の最近の様子ですが、数年前より、小説を書く趣味を持ち始め、二〇〇三年暮れからは、小説に没頭するようになり、外出も殆どしなくなりました。

 二〇〇四年には、六月上旬に初めて完成した長編小説を、角川書店の文学賞に投稿したのを皮切りに、八月下旬にも同じ角川書店の、高額賞金付きの文学賞に、長編小説を応募してます。

 この直後に竜野は、友人の町村と久し振りに会っています。

 そして町村から、太平洋書店の『交差点推理新人賞』へ応募することを勧められた。

 町村のアドバイスを受けながら、彼が執筆した『誘惑の罠』と云う千二百枚もの長編は、クリスマスイブに完成し、締切直前に応募されました。

 頑張り過ぎた反動で、その年明けから、竜野はうつ病気味になっていたそうです。そして四月の定期異動で左遷人事を受けて、その状態はさらに悪化した。

 その彼に、五月初めに朗報がもたらされた。前年八月に応募した『ホラー小説大賞』と、暮れに応募した『交差点推理新人賞』の両方で、候補作品に選定されたと通知されたのです。

 それからの竜野は、見違えるように元気になり、以前の様に、毎日新作を書き続けていた。

 妻の目から見て、変った所は全く見受けられなかったとのことです。

 竜野広美から得られた情報は、今の所これ位ですが、夫の所持品と、使用していたパソコンの調査を依頼しておりますので、後日、新情報を得られるものと期待しております」


 パソコンと聞いて、富里の目がきらりと光った。

「そのパソコンを預かる訳には行かないのか?」


 亀山は、残念ですがと言いながら、事件ファイルの表紙をトンと叩いた。

「転落死事件が、事故のままでは無理でしょうね」


 富里は、自分用の事件ファイルの表紙に目を落とし、諦めたように言った。

「そうだな」


 亀山は、ファイルを一枚捲った。

「次に私達は、竜野の職場を訪ねました」


 亀山は、東金市役所で得られた休暇情報と、左遷人事の事情などを訊いた、県庁総務部長室での事情聴取の内容を報告した。


 富里は、竜野の休暇情報に強い興味を示した。今年の五月から、毎月二回の休暇を、木曜日に取っていたと云う情報である。


「竜野の休暇理由を知る者は、東金市役所には誰一人居なかったのか?」


 亀山は、ファイルから顔を上げ、富里を見る。

「竜野は、与えられた仕事だけを、毎日淡々とこなしていただけで、親しい同僚は誰も居なかったようです」


 富里は、合わせた両手であごを支え、亀山に薄目を向ける。

「なるほど、その木曜日の休暇をどう使っていたか、かみさんが知っているかどうかが問題だな」


 亀山は力強く頷いた。その点は、亀山も最重要視していたのだ。

「確認しておきます」


 富里は一つ二つと軽く頷いた。

「頼む。外に何かあるか?」


「私からの報告は以上です」

 亀山はファイルを閉じ、着席した。


 富里は、亀山の隣の小湊を見やって、にやりと笑った。小湊の無表情に期待しているからだ。

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