第8章 最終選考委員会

第20話 選考委員長巽の指摘

第20話 選考委員長たつみの指摘


 十一月二五日、太平洋書店本社の最上階にある小会議室において、「交差点推理新人賞」の最終選考委員会、第二回会議が行われていた。


 この小会議室の内装も、大会議室と同様で、チーク系の木質仕上げが全体の基調になっている。

 窓は広く調光ガラスが使われていたが、冬の光を一杯に取り込むためそのガラスは無色透明に見えた。

 神田かんだや周辺の町並みが、澄み渡った冬の空気の中で、遠くまで広がって見えている。


 ここまで各委員が候補作品について、第一回会議に引き続き品評と討議を行ってきたが、一通り意見交換が済んだのを見計らったように、委員長の巽龍介たつみりゅうすけから

「ここで皆様に申し上げたいことがございます。

 順位投票をする前に十五分ほどお時間をいただきたい」との発言があり、これを議長役の町村編集者は、掠れ気味の声で許可した。


 痩躯そうくたつみは席を立ち上がり、ぎょろりとした目で、大きなマホガニー製の楕円形テーブルを取り囲む、選考委員の面々を見渡した。

 そして巽は、おもむろに傍らのドクターバッグから六冊の単行本を取り出し、その一冊を手に取って高々と示した。


「これは貝原洋先生三年振りの最新作『トゥワイライトの悲劇』です。

 既に二十万部を突破していると、太平洋書店営業部より聞いております」


 巽は、右隣巨体の貝原洋に軽く頭を下げ、大ヒットおめでとうございますと言った。

 貝原は巽の意図を測りかね曖昧あいまいに笑った。


 次に巽は、積み上げたその本を五冊左手に抱えると、代わりに配ろうと立ち上がった左隣の町村博信を右手で制した。


 巽は町村の後ろを通り、重鎮の神林英彦に一冊目を手渡す。神林は今日も和服である。

 そのまま赤い楕円形テーブルを時計方向に回り、風見新一、黒木アユへとその本を配布し、ほぼ一周して来た巽は、四冊目を右隣席の貝原に恭しく差し出した。

 この日の巽もダンディだった。


「大ヒット記念にサインをお願いします」

 巽龍介の冷ややかな笑いと、貝原洋の戸惑いの表情が好対照をなした。


 巽は自分の席にゆっくりと腰を下ろしてから、最後の五冊目を町村に手渡した。


 貝原の顔色は幾分青ざめている。

 巽は何を企んでいるのか…… 渦巻く不安で貝原は息苦しくなっていた。


「さて、選考委員の皆様。付箋が付いたページをお開きください。

 そこは丁度連続殺人犯人を刑事が追求し、その犯人が告白を始めるシーンです。

 少しばかりお時間を頂き、そこを読み上げてみたいと思います。よろしいでしょうか?」


 エレガントな中にも、行動的な要素を取り入れたドレスが良く似合っている。その黒木アユが挙手し発言を求めた。


 町村議長が「黒木先生どうぞ」と指名する。

 黒木は単行本を示した時から、ずっと巽龍介を睨み続けていた。

 黒木女史と貝原洋はデビュー時期が同期生で、二人は盟友と言われるほど仲が好い。


「巽先生、それはこの選考会議の場において必要なことなのでしょうか? その意図をお聞かせ願えませんこと」

 黒木アユは詰め寄るようにそう主張した。講演を数多くこなしている為か、声は中々良く通る。


「アユさん。説明は後にしたいと思いますが、それではいけませんか?」


「いくら先輩とはいえ、説明も無しにそんなことをするのは、貝原さんに対して失礼ではありませんか?」

 黒木は左隣の貝原に、あんたもっと怒りなさいよと言った。


「私は別に……」

 貝原は口ごもった。

 これが巽の意趣返しのイタズラ程度で済めば良いが……悪い胸騒ぎが貝原を襲っていた。


 援護した貝原の弱気な反応を見て、これは何かあるなと黒木アユは直感した。

 しかし巽に切ってしまった啖呵たんかは元に戻せない。

「いいえ、私は先に目的を聞きたいわ」


 巽龍介は黒木アユを一瞥して、貝原洋を振り返った。

 貝原は困惑している。


 巽はゆっくり顔を正面に戻すと静かに言った。

「いいでしょう。実は、最終候補作品の中に『トゥワイライトの悲劇』と同じトリックが使われているものがあるのです」


「ええ!」黒木は思わず驚きの声を漏らした。


「進めてもよろしいでしょうか」

 巽は委員達を、左から右へと見渡してそう言った。


 最終候補作品の中に、盗作が含まれていると云う重要問題が提示されると、選考委員達は貝原を含めて全員が押し黙った。


「では皆さん。貝原先生もよろしいですね。じゃあ町村君、君に朗読をお願いしてもいいかね?」


 委員達の反応に十分満足した委員長の巽は、宣言するようにそう言って、隣席の町村博信に朗読範囲を指示した。

 町村は先ほど受け取った本の付箋を参考にして、巽から指示された範囲をチェックし、やおら椅子を引き、その横に立って読み上げ始めた。


 彼の朗読には、懸念された掠れ声が殆ど混じらなかった。発声方法が普段と異なる為だろう。

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