第21話 貝原の新作の朗読

第21話 貝原の新作の朗読


『坂牧警部は虹川にじかわの顔色をうかがっていた。虹川の額が脂汗で光り始めている。


「虹川 私はまだわからんのだよ。教えてくれないか? お前さんが何故北島さんを殺したのか。

 それよりも何故五階へ行ったのか。

 あの二番目の殺人のせいで、お前さんに辿り着くのがこんなにも遅くなってしまったが、もう良いだろう。最初の桜木殺しについては素直に話してくれたじゃないか」


 虹川は不思議そうな目で坂牧の頭上を見た。

 髪が薄いのはお互い様だろうと、坂牧は冗談を言ってみた。

 虹川はそれが聞こえなかったかのように、そのまま下を向いた。

 昨日あれだけ喋った虹川は、今日の取調べでは一言も発していない。


「虹川! いい加減にしろ。北島殺しもお前だってことは、動かぬ証拠があるんだよ」

 坂牧警部の相棒の木村巡査部長は、置物のように押し黙る中年男に、ほとほとうんざりして遂に我慢の限界を超えた。


「まあ木村、そう興奮するな。虹川も北島殺しは認めてるんだ。よほど言いたくない事情があるんだろ」


 坂牧がそうなだめても、木村はまだ納まりが付かない。

 木村は虹川の周囲を、苛苛いらいらを抑えるようにして歩きながら、考えを言葉にして吐き出した。


「金品が奪われた訳でもないし、北島さんの車も現場に残されていた。

 最初の桜木殺しを北島さんに目撃されたことも考えられない。

 桜木は二階で殺されたのだから、その五分後に五階に停めていた自分の車に乗ろうとしていた北島さんが、二階で起きた殺人を見ているとは考えにくい。

 もしも、北島さんが現場を目撃していたなら、直に通報するか、さもなければ、殺人者であるお前を避けて逃げる筈だからな。

 おい虹川! やっぱりお前、北島さんに対しても人に言えない恨みがあるんだろう?」

 最後に木村は、壁を後ろ手にどんと叩いて怒鳴った。


 虹川はうつろな目を木村に向け、ふうと息を吐き、また元の姿勢に戻った。

 坂牧は虹川の背後に回り、軽くその肩を揉み解す。そして柔らかい声で囁いた。


「虹川 私の推理を言ってみようか?」


 木村巡査部長は、その言葉に反応して坂牧を見詰め、次いで虹川を見た。

 虹川は身体をびくりとさせたが、壁の一点を見詰め、一切を拒絶する姿勢を取った。

 坂牧はぽんぽんと虹川の肩を叩き、向かい側の元の席に戻った。

 虹川の遠い視線を坂牧が目で遮ると、徐々に虹川の焦点が短くなり、坂牧と目が合うのがわかった。

 坂牧には一つの確信があった。


 坂牧は虹川に向かって、穏やかに語り始めた。

「まあ聴いてみてくれ。私はあの殺人現場になった、山陽立体駐車場には随分と足を運んだんだ。

 あの夜、二階と五階で僅か五分間の間で起きた連続刺殺事件だが、当初はどちらが先に起きたかさえも不明だった。

 色々な手掛かりのある方は、五階の北島殺しの方だった。

 男と北島さんの、激しい口論が目撃されていたからだ。

 その目撃者は、ただならぬ気配を察して警察に通報した。

 殺しだとわかって非常線も張ったが、お前さんはうまくそれをかいくぐった。

 北島殺しは、目撃者の話や、金品、車などが無事なことから、行きずりの殺人かと思われた。

 殆ど手掛かりの無かった桜木殺しも、その線で捜査された。

 捜査は難航したよ。行きずり殺人は最も立証の難しい事件だ。残念だが、動機無き殺人は難攻不落と言うしかない」


「…………」


「普通なら一件の行きずり殺人なんてな、最近では日常的な事件で珍しくも無い。このままお宮入りになることも珍しくない。

 とは言え、連続殺人と報道された以上、そう簡単には捜査中止にはできんのだよ」


「…………」


「その後の捜査会議では、少し考えにくいことだったが、二つの事件は連続ではなく不連続、つまり、ほぼ同場所、同時刻に起こった別の事件ではないかと云う意見が出た。

 捜査は振り出しに戻り、別々の事件として、それぞれの被害者の交友関係、仕事先の関係、親類関係などから、殺人の動機の洗い出しを進めることになった。

 地道な捜査活動が実を結んで、桜木殺しで虹川、お前の線が色濃く浮かび上がったんだよ。

 こちらの方は随分裏を取ったから、綿密な取調べに対し、お前さんも観念したということだ。そうだな虹川?」


「そうだ」虹川は力無く俯いた。


「ふむ。今日初めて口を開いたな」坂牧はにやりと笑った。


 虹川はうつろな目を坂牧に向ける。


「桜木は殺されても仕方が無いほどのワルだった。

 桜木に対して同情など私にもできないよ。観念したお前さんは、動機については昨日素直に話してくれたな、ありがとうよ。桜木のことは話してすっきりしたんじゃないか?」

 坂牧は虹川の表情をそっと伺う。


「桜木だけは許せなかった……」虹川は抑揚の無い声を出した。


「まだ北島殺しのことは話したくないか?」


 虹川は、坂牧に向けていた目を、静かに伏せた。


「そうか…… じゃあ続きを話そう。

 私は、やはり二つの事件の犯人は、単独犯か複数犯かは別にして、同一だと見ていた。

 ほぼ同じ場所で、十分と違わない時刻に、二人の人が同じ手口で殺されたんだ。

 ヤクザの出入りとか、かつての過激派ゲリラでもなければ、そんなことは起こらねえよ。そうだろ?」


「そうかな」虹川は顔を上げずに呟いた。


「そうに決まってるさ。

 だから私は、駐車場二階で起きた桜木殺しが、虹川、お前がやったと確信を得た時から、何故五階にお前さんが行ったのか…… そればかり考えていた。

 その後も現場に足を運び続けた私は、ある日これだとひらめいたんだよ」

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