第14話 返信と邂逅

第14話 返信と邂逅


「メールをくれてとても嬉しかった。ありがとう。

 keiからの、あの最後のメールは何度も読み返して、自分なりにけいの本当の気持ちがわかったような気がしていました。そしてそれはあまり外れてなかったと思います。

 それでも大きな喪失感が残りました。一月くらいはぼおっと過ごしていました。

 上手には説明できませんが、あの頃私は、慧に対して何か共鳴するようなものを感じていました。

 慧の声を聴きたい、とても聴きたい…… だから電話を下さい。携帯番号は、以前メールで教えたものと変わってません。


  慧様

      シンより     」



 書きたいことがたくさんあって、翌日の五月七日土曜日に竜野信也が初めに書いた返事はとても長くなった。

 暫し目を閉じた後それを削除して、信也は先のような短いメールを書き直し送信した。


 翌々日の昼休みに電話があった。

 090から始まる携帯からの電話だったが、それはたった二回のコールで切れた。

 信也はその見覚えの無い番号を見て慧からだと確信したが、すぐさま掛け直したい気持ちをどうにか抑えこんだ。

 慧の心の準備ができてないなら少し待ってみようと考えたのだ。


 三分後に同じ番号でコール音が鳴った。

 信也は少年の様に、胸にどきどきを感じながら受話ボタンを押した。

「はい、竜野です」

「シンさんですか」

 二人の声はかぶったが、聞き覚えの有る幾分ハスキーで甘い声はすぐわかった。

 懐かしさからか一瞬にして信也の心は落ち着いた。そして新たなときめきで胸が次第に熱くなる。


「慧だね、久し振りです」

「本当にそうだね」

「慧、元気かい」胸が一杯でそれしか言えない。

「ええ元気です。シンさんはお変わりないですか」

 慧の声からも不安が消えた。信也はほっとする。

「そこそこ元気だよ。あれから変わったことはたくさんあるけど、慧に対する気持ちとかはあの頃と同じだよ」


 小説を完成させることが出来たのは、慧とのことがあったからかも知れない。信也はそんなことを知らず知らず考えていた。


「………… ありがとう。シン あの時はごめんね」

 信也の温かみに触れて思わず目頭が熱くなり、慧の言葉は鼻声になった。


 二人の心がシンクロしたのか信也の声もくぐもってくる。信也は話す途中で小さな咳払いを二回繰り返した。

「いいんだ。慧の気持ちは十分わかったような気がしたから」

「私のメールで?」


 慧は、信也の返信メールにあった『keiからの、あの最後のメールは何度も読み返して、自分なりに慧の本当の気持ちがわかったような気がしていました』と云うフレーズに、一年半もの間しこり続けていた罪の意識が救われたような気がした。

 あのあたたかい言葉を信也の口から聴いてみたかった。

 偶然にも信也はその言葉を使った。


「この前のメールじゃなくて、あの別れのメールを何度も読んでみた。そして慧の心がわかったような気がしたんだよ」

「本当に」

「本当だよ」


 信也の声が慧の中に優しく響く。

 ありがとうと、慧は声にしないで言った。そして

「許してくれるの? 私のこと」と口にした。


「許すも許さないもないさ。

 あの時の俺は、慧のことを始めから怒ってないもの……

 でも、悲しかったのかどうかは良くわからない。ただ虚しかったんだ」


「…… 私も同じ。あの時の私、どういう訳か悲しくはなかった……でもうつろだった。心の中が空っぽに感じたよ」


「……慧…… 俺達、会えないかな」

 信也はぽつりと会いたい気持ちを伝えた。

 気持ちは慧に共鳴する。

「……うん、私も会いたいよ。ずっとシンに会いたかった」

「本当に」

「うん本当だよ。ずっとずっと会いたかった」


 自分の口から出てしまった素直過ぎる言葉に慧自身が驚いたが、何故か気分は良かった。


「俺もずっと慧に会いたかった。だから……明日会えないか」

「明日?」

「俺、休暇取るからさ」

「そんな急に取れるの」慧の声が弾む。

「地方公務員は休暇を取りやすいのさ」

「ふうん、いいね地方公務員」


 二人の声は既に明るくなっていた。


「明日授業休めるかい」


「うん、一回位講義休んだって良いよ。花の女子大生なんだから」

「そうだよな。慧はどこか行きたい所ある」

「前にシンが誘ってくれた、ディズニーランドか、シーに行きたいな」

「じゃあディズニーシーへ行こう。あそこはお酒も飲めるからね。二十歳過ぎてるからOKだよな」

「私、お酒は結構強いよ」


 こうして二人は、五月十日火曜日に初めて会うことになった。

 慧との電話を終えて、信也は小躍りするような喜びを感じる一方で、新たに膨らんで来る不安を感じた。

 二人が会った時、慧が十九歳の年の差をどう感じるのか。

 もしもの時は笑って済ませばいいさ。

 会いたい気持ちが勝り、自分ではどうにもならない年齢についてそれ以上考えるのを止めた。




 チャットとメールと電話であれほど話していたのに、邂逅かいこうは緊張と沈黙を伴っていた。

 それでも信也と慧はとうとう出会ったのである。


 二人が待ち合わせた場所は舞浜駅前ロータリー上部にかかるデッキ上である。

 改札を出て真っ直ぐに進んだ所だ。

 そこで、ただ見詰め合っている信也と慧の横を、イクスピアリへ向かう若い男女が通り過ぎて行く。

 そのカップルは不思議そうに二人を一度振り返った。

 ランドの遠景も、イクスピアリの奇妙な建物も、ぼんやりとしか信也の目に入らなかった。

 はっきりと目に映るのは自分を見詰める背の高い女だけ。

 ブルージーンズに、スリークウォータースリーブの黒いカットソーと、幾つかのシンプルなアクセサリーで纏めた慧は、実年齢よりもずっと大人びて見えた。


 緊張と沈黙に耐えかねて、信也は切らずにいた携帯を口許に持っていった。

 慧も同じ様に白い携帯を耳に寄せる。

 信也は目の前の女に対し携帯で話し掛けた。


「初めまして竜野信也です」

「初めまして松原慧です」

「おじさんなのでびっくりしたかい」

「そんなことないよ。シンは思ったよりも若く見える」


 恐る恐るの質問に対し慧はにっこりと笑って答えた。

 笑った慧は実年齢にぐっと近づいた。信也の顔がほころぶ。

「どの位に見える」

「四十歳位」

「なんだよ、まだ俺は三九だ。四十になるのは十月だもの」

「うそうそ、三十位にしか見えないよ」


 少しばかりムキになってそう言った信也だが、慧の言葉を聞くと目を少年の様に輝かせた。

 慧は、十九も年上の信也を可愛いと思った。


「本当かい」

「うそじゃないよ」


 二人は必要の無くなった携帯をしまった。大人っぽく見える慧と、いくらか若く見える信也のカップルは、細身の体型が似ていることもあってか、少し遠目にみれば恋人たちに見えないことも無かった。

 ディズニーと云うデートスポットのムードがそうさせたのか、二人はずっと前からの恋人同士のように心から楽しむことができた。

 二人の間に横たわる大きな障害も今は何も見えなかった。


 日がかなり傾いた頃、二人はアメリカンウォーターフロントエリアにあるSSコロンビア号と云う客船内のレストランに居た。

 料理を食べながら飲み比べるように二人はビールとワインを飲んだ。


 ほろ酔い気分の慧が信也を見詰めてささやく。ハスキーで甘い誘惑の声。

「シン 私、今夜は一人になりたくない」

「俺も、今夜は慧と一緒にいたい」


 信也は禁断の言葉を口にした。自制心よりも慧に対する素直な感情が優先し、危険な一歩を大きく踏み出してしまった。


「私、悪い女」慧は自問するように言った。

「そんなこと考えるなよ」

 信也は熱い目で慧の不安を吹き払おうとする。


 慧は信也の手を取り僅かに震える手で強く握り締めた。

「でも…… シンの家庭を壊すようなことをしてる自分が怖い」

「今夜は一緒に居よう」

 信也は、慧の手を包むように握り返した。

「大丈夫なの」

 慧は今夜のアリバイのことを訊いた訳ではないが、信也はそう受け止めた。

「大丈夫だよ。さっき友達の所に泊まると連絡しておいたから」

「そう」慧はその時少し寂しさを感じた。


 二人はその夜、ホテルの一室で結ばれた。

 狂おしいほどの激しい抱擁ほうようは朝方近くまで続いた。

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