第7話 人気作家のスランプ

第7話 人気作家のスランプ


 金曜の夜、町村は竜野と別れてから担当作家の接待目的で銀座へ向った。

 会社からある程度の交際費は支給されるとしても、残業手当は一切無しの無給奉仕である。


 小説家貝原洋は、十年前の一九九四年四十歳の時に、太平洋書店の「交差点新人賞」と「交差点推理新人賞」を連続受賞して脚光を浴び、その後ヒット作を連発して一躍人気作家になった。

 町村が文芸誌「交差点」に移って、編集者として初めて担当した作家が貝原だ。


 貝原はこの一、二年ほどスランプ続きで、幾つかの文学賞の選考委員を勤めてはいるが自身の作品は全く発表していない。

 担当編集者として町村は、貝原の創作活動復活を目指して、作品のアイデア探しとか彼の気分転換の為に動いていた。金曜日の夜もその一環だった。


 その夜の貝原の酒は一段とタチが悪かった。

 酒の勢いに任せ、両側にはべらせたホステスの胸ばかりか足の付け根付近にまで手をのばす乱行らんぎょうぶり。

 百八十もある大男が無遠慮に内腿をまさぐろうとすると、新人のホステスは上手にいなす事もできず、ただ大きな声を上げてその席を逃げ出した。

 当然ながら高級クラブでは決して許されない行為だ。町村は貫禄のある和服美人に店奥へと手招きされた。


「町村さん、困るわ。もう貝原先生は連れて来ないでとこの前頼んだでしょう」


「ママ、ごめん。止める暇も無くて」

 町村は掠れ気味の声を出した。


「町村さんには悪いけどね、貝原先生はもうお終いなんじゃないかしら。楽しいお酒を飲めない人は厳重にお出入り禁止よ」


 ママの態度は毅然きぜんとしている。今日の売上よりも明日の為に店の信用を大切にしていた。それ位町村も心得てはいたが。


「そう言わないでよ。先生はここがお気に入りなんだ」


「ダメよ。もう二度と連れて来ないで。うちの娘達には口を固くしつけてるけど、他店に移って行く娘にまでは口止めはできないもの。

 お客様の悪口を外で言わないのが銀座のルールだけど、あんなではとても守って上げられないわ。どこの高級クラブでも断られるわよ」


「もう他でも断られてるよ」町村は目を伏せた。


「次からは、おさわりOKの所へ連れて行きなさいな。その方があなたの為よ」


「わかった。もう連れて来ない」


「悪く思わないでね」

 ママは肩を落す町村の背中をさすった。


 町村は笑顔を作り直して席に戻ると、「先生、もう一軒行きましょう。ここより品は落ちますが、先日見つけたおもしろい店へ案内しますよ」と言って半ば強引に貝原を連れ出した。

 十分過ぎるほど酔いが回っていた貝原は、背中を押すと抵抗することも無く前に進んだ。


 ママが町村の耳元へ口を寄せ、「今日のお代は結構よ。また別の先生を紹介してね」と囁く。

 町村は何も言えず曖昧に笑った。

 その夜はフィリピンパブに寄ってから、貝原宅を経由してタクシーで帰宅した。腕時計は深夜の二時過ぎを指していた。


 貝原の気分転換に高級クラブ遊びは時間と金のムダだ。寧ろ先生の自信を砕くだけだと悟った。

 やはり強引にでもペンを持たさなければならない。

(その為には……)町村はそこで頭を左右に振った。

(いや、もうゴメンだ)貝原の為に書く気はうに失せていた。

 書けなければ消えて行けばいい。そういう世界なのだから。それ以上考えることを止めて、ベッドの上で一人目を閉じた。

 今年三九歳になる町村はいまだ独身なのだ。


 翌朝土曜日、町村が目を覚ましたのはもう昼に近かった。

 酒が抜けて気分が良くなったのは午後三時過ぎ。

 夕べの約束を思い出した町村は、自身の気分転換を兼ねて竜野のホームページを見に行ったのだ。


 ダウンロードしたテキストファイルを、町村はMSワードで三十字四十行に修正してからプリントアウトする。

 それを角封筒に詰め宅配便の伝票を作り配送会社に電話した。宛先は貝原洋の自宅だった。

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