第6話 「ホテル新宿最上階特別室」

第6話 「ホテル新宿最上階特別室」


 翌日の土曜日は休みだった。

 忘れない内に見ておいてやるかと、町村は自宅のパソコンでインターネット・エクスプローラを立ち上げた。


 例のホームページは「房総の風と、暴走の人」と云うタイトルで、表紙には女優藤川夏生の写真も掲載されていた。

 町村に冷笑が浮かぶ。面倒臭い奴だ、早い所終わらせよう。


 回り道をせずに町村は「小説のページ」をクリックした。

 不気味な絵とデザイン文字のタイトルが三つ現れる。一つ目は「インターネットの人々」ー竜野から聞いたとおり、日記風のノンフィクション小説でだらだらと長い文章。

 二つ目は「暴走の風」と云うタイトルの旅行記のようなもので五千字程度の分量があった。最初の千字で町村はそれを投げ出した。


 三つ目は二つ目より少し長めで多少惹かれるものがあった。タイトルは「ホテル新宿最上階特別室」

 町村はそれをダウンロードした。



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「ホテル新宿最上階特別室」


プロローグ


 新宿二丁目歓楽街、そこをさらに新大久保方面に進むと、ラブホテルが立ち並ぶ一帯に出る。

 日中の色褪せた建物群は、日が落ちるに連れて徐々に輝きを増し、遂には妖しい光線を放ち、集蛾灯しゅうがとうのように老若男女のカップルを引き寄せる。


 その一角に、一際妖し気ひときわあやしげで奇妙な色の光線を放つ存在がある。

 外見はありふれた感じの建物なのだが、その強烈な光源は建物上部にあるらしい。


 ビルは外見以上に平凡な「ホテル新宿」という名前で呼ばれていたが、ここの最上階特別室が評判になり、業界紙や風俗雑誌などから始まって、スポーツ新聞、一般雑誌、ラジオさらにはTVの情報番組等でも再三再四とりあげられるようになった。


 夕刊新聞「日刊キンダイ」誌の猪瀬記者は、このホテルの経営者があのE氏であることを突き止め、遂にE氏との独占インタビューに成功した。 


『今話題のラブホテル「ホテル新宿」に記者は潜入した。

 新宿二丁目の噂のホテルは十二、三階建ての高さがあるビルで、ほぼ中央付近で上部が黒、下部が白のツートンカラーに塗り分けされているから、日のまだ明るい内に行けば、遠目にもすぐそれとわかるだろう。

 このホテルの最上階は特別室と呼ばれ、利用するには予約を要し、現在は一ヶ月先まで予約が一杯になっていると言う。

 記者はこの噂の最上階特別室にも潜入した。インタビューのための入室ではあるが、この部屋の雰囲気がまさしく潜入したような気分にさせるのである。

 照明は一部屋のものとしては十分の筈なのだが、大きな部屋の中央部だけを照らしているので、黒い空間のスポットライトの中にいる感じなのだ。この妖しい空間で対談する相手が、あの経営者E氏である。以下はその対談模様である。


記者「あの江上えがみさん。NHK大河ドラマで二度も主演されている大俳優のあなたが、何故いまさらラブホテル経営なのでしょうか?」


江上徹夜氏「うむ、確かに僕は数々のドラマで様々な役を演じて来た。

 大河もその中の一つだ。ううん、なんというか、そうさな、僕の興味の方向が、作られたドラマから本当の人生ドラマの方へと変わって来たと言えばいいのかな……」


 江上氏は小首を傾げながらバリトンの声を響かせる。舞台やナレーションで鍛えた発声は聞く者を魅了するに十分である。


記「といいますと?」


江「うむ。僕の作りたかったのはホテルと言う施設ではなく、この部屋で演じられる本当の人生ドラマなんだ」


記「ラブホテルの経営は、営利目的ではないということですか?」


江「その通り!」


記「ではなぜラブホテルを経営してるのですか? 今このホテルはすごい評判じゃないですか?」


江「実はこの特別室を維持する為に必要な経営なんだよ」


記「なるほど、この部屋、めちゃめちゃ広いし、床も壁も真っ黒で調度品までオールブラック。しかもどれもかなりの高級品のようだ。

 それにしても天井の広がりがものすごいですね!」


江「うん、四百平米ある。あのガラス天井も全く同じ大きさだよ」


記「ガラス天井のアイデアは本当に面白いと思いますが、透明な天井だと周辺の高層ビルから部屋の中を覗かれる心配はないのでしょうか?」


江「外から見て気がつかなかったかね?

 建物の上半分に当たる黒い外壁部分が全部この七階の部屋なのだよ。

 大体六階分位あったろう? 部屋が広くて少しわかりにくいだろうが、この壁は床から天井まで二十Mあるんだ。つまり、この部屋は一辺二十Mの立方体という訳だ。

 君ぃ、ほらほら、よぉく上を見てごらん。ビルなんて一つも見えないだろ?

 こちらからなにも見えないということは、どこからもこちらが見えないということだ。

 近くの高層ビルから見下ろしたとしても、部屋の内壁の上部が見えるだけだろうな。

 どうしても覗きたいと言うなら、あの大ガラス天井の上に直接登るしかないなぁ、そうだろ? あっはっはっはっ」


 江上氏はすこぶる上機嫌にそう語った。


記「なるほど! それはすごい!」


江「よく晴れた夜にこの部屋の照明を全部消すとな、あの広い天井一杯に星がきらめくのだよ。

 プラネタリウムのようなものかな。但し、見えるのは本物の星だ。

 天の川もはっきりと見えるぞ、ミルキーウェイとはよく言ったものだな。

 また、月の無い曇天どんてんの夜は漆黒の闇になる。

 これが僕の望んだ究極の舞台装置だよ、わかるかね君? まぁ、新宿の街明かりが低い雲に反射して、完全な闇にならんこともあるのがしゃくの種だがね、はっはっはっはっはっは」


 さらに満足気に江上氏は目を薄めに閉じて、ゆったりとした手振りを交えながら深いトーンの声で話す。


 見上げると、なるほど既に日が落ちて、ぽつぽつと星が見え始めている。

 インタビューが終る頃には一面の星空が見えるかも知れないなとふと思った。


記「このガラスだけでも、相当の費用がかかっていそうですね?」


江「まあガラスでは耐久性の問題もあって、超強化アクリルを使っているが、透明度はガラス以上だ。

 最新の技術でシームレス加工してあるから、まるで一枚ガラスのようだろう?

 アクリルは二重で、外側が汚れて透明度が落ちたら、定期的に交換できるように工夫してある。

 まあ、特殊コーティングで汚れは付きにくいから、月一回のクリーニングで透明度は十分維持できるがのぉ。はっはっはっはっ」


 同じように笑っていても、もうどことなくつまらなそうに江上氏の口調が変わって来た。


記「この部屋の建築費は一体どの位かかってるんですか?」


江「それは君ぃ企業秘密だ。はっはっはっはっ」


記「ではこの部屋の利用料金はいくらでしょう?」


江「それはできるだけ安く抑えている、一泊二十万円だ」


記「ううん、それでも相当高いですね」


江「この値段はコスト計算したものではなく、人生ドラマ最高の舞台装置としての、最低貸し出し価格だよ、君」


記「私でも利用させてもらえますか?」


江「電話か、手紙で予約してくれたまえ。希望日の一ヶ月前から受けつけておる。抽選になることが多いがなあ、ふっふっふ」


記「抽選はどういう方法で?」


江「それも企業秘密さ、ふっふっふ」


記「ではここは、幻の部屋ということになりますか?」


江「うむ、それもあってな、ここのミニチュアタイプの部屋をいくつか別に用意してあるのだよ。

 どうも巷で噂になっているのは、そっちのタイプの部屋のようだな。はっはっはっはっ」


記「そのミニチュアタイプの方は、どのような仕様になっているのですか?」


江「それは君が利用して、自分の目で直接確かめるといい」


記「はぁ恐れ入ります。で、この部屋を利用すると、どうして最高の人生ドラマが演じられると思われるのですか?」


江「君ぃ、その位の感性が無くてどうするんだ! 自分で想像したまえ!」


記「恐れ入ります」


江「まぁ今日はこの位で! 忙しいからね僕も」と、さも退屈だと言わんばかりに、江上氏はこの会談を一方的に打ち切った。


記「今日はありがとうございました」


 残念ながら、あっさり会見が終ってしまったので、一面の星空はお預けになってしまったようだ。

 さて、このインタビュー後、記者は自分の彼女を呼び出して、ミニチュアタイプの部屋を突撃レポートしてみた。もちろん取材だから費用は会社持ちだ。

 ミニチュアタイプの一つに潜入してみると、広さは普通のラブホの大き目の部屋くらい。床と壁は真っ黒で、調度品もそれ程上等ではないが同じく黒で統一されていた。

 天井はプラネタリウムのようだ。真っ黒な天井に、星がところどころ点滅している。

 全体に凝った部屋作りで、灯りを落とすと真っ暗闇を作り出せるが、それ自体は窓を塞いであるので特に不思議は無い。

 確かにこのミニチュアタイプの部屋も、非常にロマンチックで魅力的な部屋である。

 遊んでみて損の無い、いやいや、きっとこの部屋のムードがあなたの彼女を情熱的に燃え上がらせることだろう。


 しかしながら、最上階の特別室とは似て非なるものである。そのことだけは特記しておきたい』


''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''' プロローグ終 '''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''



第1話 E氏の息子


 江上徹夜氏には二五歳の長男がいる。

 その暗夜(あんや)氏もキャリア五年の舞台俳優であるが、知名度はまだまだ低い。

 父の徹夜を超える俳優が目標ではあるが、その目標に近づいているとは、とても言いがたい。

 所属劇団でも一介の脇役俳優に過ぎない。

 父の威光をもってすれば、もっともっと好い役どころをつかむことは可能だろうが、その演技力、表現力は、親の贔屓目ひいきめで見てもごく平凡で、父からも将来を悲観されている。

 暗夜が時折父からもらうのは、「お前、本当の人生ドラマってのは、頭の中で考えてるものとは全く違う物だぞ、もっと人生修行をしたらどうだ?」決まってこの言葉だった。



 ある日暗夜に、父徹夜から意外な命令が下った。

「お前、今建設してる例のホテルだがな、あのホテルの支配人をやってくれないか?」


「え!お父さん、ボクに俳優辞めろって言うんですか?」


「いや、本当の役者になるための人生修行だと思って、少し回り道してみろと私は言ってるんだ、お前のためだよ」


「はあ……」

 暗夜は考え込んでしまった。父は自分を見捨てたのだろうか?

 自分に演技の才能が乏しいことは自覚しているけれど、もう少しで何かをつかめそうな気がしているのに。それさえつかめば、飛躍できる筈なのだ。しかし、父の命令に逆らうほどの勇気もない。


『回り道か……これまでもずっと回り道してきたのに、このまま回り道していたら、目的地にたどり着くどころか、一層遠く離れてしまいそうだ……』


 そう心の中でつぶやいたが、父には

「はい、わかりました」

 と答えた。


「うむ!この回り道が意外と近道かもしれんぞ、ふっふっふっ」

 父は機嫌よく頷いて部屋を出ていった。


  ・・・・・(以下、約五千字を略す)・・・・・


++++++++++++++++++++++



 町村はそれをプリントアウトした。文章は未完成だが、いわゆるハコモノ小説として舞台設定がおもしろい、そう思ったのだ。

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