第8話 復活

第8話 復活


 翌週八月二八日。

 前の晩の金曜日を休肝日きゅうかんびにしたおかげで、久し振りにすっきりした週末の朝を迎えた町村は、竜野にEメールするためにパソコンデスクに向かっていた。


「お前のHPにある小説を読ませてもらったよ。

 アイデアは悪くない。ただ率直に言って文章がまだなってない。まああれが一年前なら、最近の作品では少し良くなっているのかな。お前さえ良ければあの続きを書いてみないか」

 ここまで書いた所で電話が鳴った。五回目のコールで電話を取ると貝原からだった。


 その夜、町村は竜野に電話した。書き掛けのメールはそのまま削除された。



 竜野は稲毛行きのバスの中で、町村がわざわざ稲毛まで出て来る用事とは何だろうと考えた。

 会って話したいことがある、用件については今訊かないでくれと町村は言っていた。


 稲毛駅東口に隣接するコーヒーショップは平日朝と比べ客が少ない。

 ゆったりしたムードと対照的に奥の席には浮かない顔があった。

 日曜日の午前十時と云う待ち合わせは楽じゃない筈だ。恐らく平日と同じ様に早朝に起きて出かけて来たに違いない。

 妙な緊張感に包まれながら竜野はその席に着いた。


 隣席はいていたが何故か町村は急で悪かったなと声をひそめる。怪訝けげんに思いながらも、竜野は単にいいさと答える。


「お前のホームページ見たよ」

 町村はぼそりと掠れ気味の声を出す。

 竜野の顔がほころぶ。

「この前俺が頼んだ話か、メールでも良かったのにわるいな」


 店員がオーダーを取りに来た。竜野はモカのSサイズを注文した。町村は店員を見送ってから話し出した。


「いや、お前の作品にも関係はあるが、いや大有りだが… ちょっと意外な方向へ事態が進んでしまったんだ」

 周囲を気にしてか一層小声になった。町村の顔付は浮かないと云うよりも無表情に近い。


「何かわからんが、言いにくそうだな」


「かなり言いにくい。竜野、お前俺の頼みを聞いてくれるか」


 頼み事をする町村は初めてだ。驚いたが嬉しくもあった。


「どんなことだ。話によっては勿論聞くさ。親友じゃないか」


「そう言ってくれると助かる」


「話によるとも言ったぞ」

 そう注意したが竜野の目は笑っていた。

 向かい側の無表情が少し緩んだ。

「当然だ」


「話してみろよ、町村」


「説明するよ」

 町村は少し冷めたコーヒーを飲み干し、さらにコップの水をぐいと飲み込んでから目の前の男を見詰めた。


「俺はお前のHPを見た」


「それはさっき聞いたよ」


「『インターネットの人々』だっけ、あのチャット日記は実話なのか」

 それが本件に入る前の寄り道であると竜野は察した。


「勿論実話だよ。知らない人が読んでもおもしろくないだろうが、チャット仲間はおもしろいと言ってくれた」


「ちょっと読んだだけでは入って行けなかったんだが、夕べ読み返してみたら所々おもしろいエピソードがあるな」


「お前の用件はそれじゃないだろ」


 苦笑いが追認していた。


「そう、『ホテル新宿最上階特別室』の方だ。興味を持ったのは」


「あれを読んでくれたのか」


「舞台設定が斬新でおもしろい。まだ文章の処理が全体的に稚拙ちせつだけどな」


「今はもう少し良くなっているつもりだ」


「だろうな。所であの続きは書いてるのか」

 その視線は何故か不安気ふあんげだ。


「いや、先のストーリィ展開が思いつかなくて。あの続きの章を少し書いたままで止まっている」


 微妙な間ができる。


「あれを貝原洋かいばらひろしに読んでもらった。俺はKさん担当なんだ」

 町村は貝原の名前の所でまたさらに声を落とした。


「貝原洋、有名な小説家じゃないか。よく読んでくれたな」


「人の耳があるから、ここではKさんと呼んでくれないか」

 低い声に合わせて返事も低くなる。

「K先生か」

「Kさんだ」

「OK」


 町村は竜野のごく短い了解に納得して話の続きに入る。

「Kさんから昨日電話で呼び出された」


「ふむ」


「Kさんは、あれがとても気に入ったようだ。自分で続きを書いてみたいと言ってたよ」


「そんなに気に入ってくれたのか、Kさんが」


「そうだ。あの人はね舞台設定から入るんだ。興が乗ればどんどん書ける人だ。それが実は、最近の一、二年は殆ど執筆してない」


「何で」


「スランプさ。それも重度のスランプ……」


「へえ」


 人気作家のスランプか、自分のスランプとは相当違うのだろう、竜野はそんなことを考えていた。


「最近のKの仕事は、文学賞の選考委員だけなんだ」


 いつの間にか「さん」が取れたので竜野も合わせる。


「Kは何故、俺の小説の続きを書きたいんだ」


「だから、あの舞台設定なら書けそうだと言うんだ。

 実際、Kはこの六日間であの続きを百枚も書いた。Kの復活って訳だ。

 その百枚を『交差点』の来月号に載せたいと思っている… それが今日の用件だ。 

 あの小説を俺に売ってくれ」


「売るったって、ほんの数ページだぜ」


「口止め料込で十万円でどうだ」


「十万円も! 俺は全然構わないけど、それ誰が出すの、T書店か」


「いやT書店は関与していない」


「じゃあKか」


「いや、俺だ」


「何でそうなるんだ」竜野の語気が強くなる。


「お前は親友だ。秘密を守れるな」


 男が人差し指を唇にやると向いの男はいぶかしそうに頷いた。


「Kの作品の中には俺が書いたものが幾つか混じっている」


「何だって!」


「声が大きいぞ」町村は再度口の前に指を立てた。


「あ 悪い」竜野は口をへの字に結んだ。


「勿論、俺の三作を除けば、後は全部彼の自作だ」


「何故だ! 町村お前、何で自分の名前で書かないんだ。元々作家志望だろうが」


 竜野の率直な疑問に対し、町村は小さく何度か首を上下させた。


「いや、俺も他社の文学賞には色々応募してみたさ」


「駄目だったのか」


「まあな。世間と云うヤツはそう甘くない」

 この前と違って今日の町村はやけに素直だった。


「Kのどの作品がお前のだ」


「それは言えないし、訊かないでくれ」


「わかった。じゃあこれだけは教えてくれ。その作品は売れたのか」

 竜野は町村の無念を思い、そう問いただした。


「全部十万部を超えた」


「おいおい、大ヒットじゃないか」


「まあ中ヒットぐらいだ」


「それでKは、お前に何をしてくれた」


「パソコンと冷蔵庫と洗濯機を貰った」


「全部で幾ら位だ? 三、四十万じゃないのか?」


「その位かな」自嘲の微笑み。


「バカだな、町村」


「かもな。仕方が無いんだ。Kとは腐れ縁だから」


「弱味でもあるのか」


「Kの弱味を握っていても、俺に弱味は無い」


「だったらどうして」


「いいんだよ、竜野。悪いがその辺はまた別の機会に話す」


 遠くなる視線を見送ることしかできず竜野は歯噛はがみする。


「きっとだぞ… よし、あれは売るよ」


「十万円、商品券でも良いか」


「良いよ。で、Kが書いた続きはおもしろかったのか」


「ああ、結構おもしろいよ」


「じゃあ来月号を買ってみるよ」


「いや、俺が郵送しておくさ。でもな、くれぐれもこのことは秘密にしてくれよ」


 竜野は小さな包みを受け取った。

 

 無言の問い掛けを浮かべる顔に町村は答えた。

「そいつは、Kからもらった商品券だ」


「だろうと思ったぜ。Kの相場はいつだって一件十万円か」


「そういうこと」


 同時に笑った二人だが、一方の笑いは哀愁を帯びていた。


「話は変わるが、俺の投稿作品読んでもらう件はどうしてもダメか」


「他社に投稿済のものは読みたくない」

 町村はこの前と同じ返事を繰り返した。


 もう一押し。まだ竜野側の用件は済んでいないのだ。


「でも『ホテル新宿最上階特別室』より出来は良いぞ」


 町村は竜野を見て腕組みをする。

「そうかも知れないが…… わかった、こうしよう」


「うん?」


「ウチの推理新人賞に応募しろ。その作品を見るよ」


 願っても無い提案に竜野は驚いた。バックアップしてくれるのか?


「この前は駄目だと言ったくせに」


「他の人に下読みさせる」


「できるのか」


「できるさ」自信家の町村が戻って来たようだ。


「俺もそう思ってたよ。やはり裏があるんじゃないか」


 にやつき顏と真顔の対峙。


「裏は無いさ」


「候補作品まで残れるのか」


「お前の作品の出来次第だ」


「そうだろうな、それが公平ってもんだ」竜野は納得する。


「一章書きあげる毎にメールで送ってくれ」


「途中でも見てくれるのか」


「ああ、最終候補に残れるように見てやるさ」


 竜野は唖然としながら声を絞り出す。

「おい、本当に裏は無いのか」


「裏は無い。実力で残るのさ」


「そうか」やる気が満々と湧いて来る。


「そうだよ」


「わかった」


 二人は今度こそ明るく笑った。

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