第2話【空前絶後の大ブーム】

 早朝五時。

 起きると、Twitterの通知が溜まっていた。

 通知欄は、表示上限の二十件を超えて「20+」となっている。

「……何が起きた?」

 私、兎本千里は通知欄を眺めて、一分ほど固まっていた。



 六時四十分。

 今日はランニングできなかった。

 Twitterの通知が止まないせいで、朝から携帯の充電が殆どない。

 マジかよ……。

 通勤電車の中。私は、恐る恐る配信サイトを開き『柳祢子やなぎねこ』のページを見る。

 登録者と総視聴回数がバカみたいに伸びていた。

「いち、じゅう、ひゃく、せん……ん? いち、じゅう、ひゃく、せん……」

 何度見返しても、「1500」という数字が目に入る。

 600人から減って150人ではなく、1500人。

「何があったの……?」

 困惑しているうちに、中学校の最寄り駅に着いた。

 気分を仕事モードに切り替えて、電車を降りる。



 六時五十五分。

 昨日より余裕をもって校門をくぐる。

「先生おはようございます!」「先生聞いて—!」「先生、今日はいつも通りだね」

「おはよう、今日は寝坊しなかったからね~」

 生徒たちに挨拶を返す。時間に余裕はあるが、今は私の心に余裕がない。

 心にもやもやを抱えながら、職員玄関へと歩く。



 七時。

 完全に仕事する気分に切り替わった私は、職員室のドアを開く。

「兎本先生、今日もギリギリですよ。だいたい、いつもこんなギリギリに出勤してきてねぇ。これだから最近の若者は……」

「はぁ……すみません」

 一瞬にして気分が損なわれた。

 昨日より早く出勤しているのに、教頭は昨日と同じことを言ってくる。若者だから頑張れって、いつの時代の話だよ。

 薄いし頭が固いって、いいとこなしじゃん……。


 七時十分。

「すみません! 遅れました!」

 珍しく、袴田蓮司はかまだれんじ先生が遅刻をしてきた。

 教頭の小言に真摯に謝罪しながら、袴田先生は私の隣の席に着いた。

「珍しいですね」

「いやぁちょっと、色々ありまして……ははっ……」

 後頭部に手を当て、照れながら笑う袴田先生。顔が整っているだけあって、破壊力は抜群だ。

「じゃあ、全員揃ったので朝礼を始めますよ」

 教頭の声が職員室に響く。

「くそっ、平日に耐久なんかするんじゃ……」

「袴田先生?」

 朝礼が始まったのに、なにやらブツブツと唸っている袴田先生。怖い夢でも見たのかと、心配して声を掛ける。

「ヘアッ!?」

 袴田先生は驚いて変な声を上げた。先生の声に驚いて、私の肩もビクッと跳ねる。

「袴田先生、朝礼中ですよ」

 先生は、即座に教頭先生からのお叱りを受けていた。



 十三時半。

 食堂で生徒たちと給食を食べた後。職員室で雑務とメールチェック。

 ……加えて、登録者が伸びた原因を探る。

「絶対これなんだよなぁ……」

 私は、ひと際再生数の高い切り抜き動画を眺めていた。


『驚きすぎてブレーキみたいな叫びをあげる、柳祢子とかいうVtuber』

 5万回ほど再生されているその動画のコメント欄には

「ほんとにブレーキで草」「これだれ?」「ブレーキ音聞きたいから登録してきたわ」などなど……

 好意的なコメントの中に、一部否定的なコメントが流れてくる。

「だれ、かぁ……」

 昨日まで登録者600人の底辺Vtuberだったのだから、当然だろう。

 配信サイトを閉じて、授業の準備に入ろうとした時だった。

「お、柳祢子じゃないですか」

 袴田先生が座りながら私のパソコンを覗き込んでくる。

「知ってるんですか?」

 言い切ってハッとした。私は普段、地声で配信している。

 パソコンに映っている画面は、叫ぶ直前の普通に話しているシーン。

 そこに居る『柳祢子』と、ここにいる「兎本千里」の声は、同じだからだ。

「これ、昨日の夜見たんですよ。面白いですよねぇ」

 私のブレーキ音みたいな叫び声が、職員室に響き渡った。



 夕方、十八時。

 電車に乗りながら、Twitterを更新する。


柳祢子やなぎねこ:「なんか伸びててびっくりだにゃ。今日は配信するから、みんな待っててにゃ~」


 Vtuberはやめたいけど、数少ないリスナーの事は大事にしたい。

 今日はとりあえず配信しよう。

 辞めるタイミングは他にもあるさ。



―――

柳祢子やなぎねこ

現時点での登録者:1525人

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