第47話 駆けて行くだけ

「ッッッ!!!」


 加古川誠の全身に、筆舌に尽くし難い暴風が襲いかかる。

 台風の吹き荒れる日に路上を歩いても体験できぬ、家屋を巻き上げてなおも有り余る狂乱の嵐。大気の壁を粉砕する理外の速度で己が身を飛翔させる竜種にしがみついた結果、少年は身体に打ちつける激痛と対峙していた。

 音の壁を超越し、マッハの速度域に到達することで周囲に撒き散らされる衝撃波──ソニックブームは、たとえ高度二万メートル以上からでも地上へ甚大な被害をもたらす。

 ましてや神宿ダンジョンの横幅は決して広くはない。

 鳴り響く岩盤の断末魔に反響し、周囲を徒に痛めつけていた衝撃波が竜種に対してまで牙を剥き、無論のこと竜麟に掴みかかっている加古川をも巻き込む。戦闘機に搭載された巡航ミサイルの直撃すらも容易く耐える魔物の頂点はまだしも、単なる人間の延長線上に過ぎない冒険者には窓ガラスをも粉砕する真空の破裂は著しく堪える。


「ッッッ……!」


 竜麟の間に差し込んだナイフは初動の時点で引き抜かれ、虚之腕の五指だけが加古川と竜種を繋げていた。

 そして彼の意識自体も一瞬でも気を抜けば、風の奔流の中に呑み込まれて紙障子同然に吹き飛ばされる。

 ダンジョンという景観のよろしくない環境もあるが、単純に目まぐるしく切り替わる視界は人の認識できる限界を容易に超越した。最早幾つかの線にすら思える光景に辛うじて割り込むは、移動の余波で肉体を霧散させる魔物達。


「■■■■■■!!!」


 鼓膜を叩き割りかねない咆哮が大気を殊更に震撼させ、頂点捕食者の凱旋を高らかに謳う。

 呼応するように何かが、進行方向へ飛び出してきた。


「あ、れは……?」


 加古川が持ち上げれる程度の大きさであろうか、子供の落書き染みた乱雑な線が入り乱れる透明な球体。

 不思議にも浮遊して一定の高度を確保しているそれは、一時期は一級冒険者にも上り詰めた加古川をして実物を目の当たりにしたのは始めてであった。


「ダンジョン、コア……?」


 ダンジョンを形成、発展させる核にして心臓。

 魔素の集合体にして魔物が身命を賭して護衛する防衛目標。

 一度破壊されれば魔素の密度を維持するためにダンジョンが縮小し、再生成までマントルへの進行を食い止める攻撃目標こそが、ダンジョンコア。

 本来は最下層の一角で秘匿されるべき存在が、何故竜種の進路に姿を現したのか。

 理解の及ばない加古川を他所に、唸る化生は翼を一層はためかせて肉体を躍動させ、顎を開く。

 まさか、と思案する隙もない。

 物々しい音を立てて口を閉じると、僅かに喉を鳴らしてダンジョンコアを呑み込んでしまった。

 直後、加古川は身体が浮遊する感覚を味わう。

 地震の震源地に立っていたかの如き感覚の正体が竜種の心臓が高鳴ったためだと理解したのは、竜麟の奥に潜む肉に張りが認められた時。

 魔素の集合体であるダンジョンコアを捕食したことで、肉体が活性化したのだろう。証拠に広げられた大翼の翼膜は激しい血流を証明するように朱を帯びている。

 そして、更に風を掴むとその身を弾丸と化して加速。暴力そのものの速度を以って地上を目指す。


「ッ……さ、らに……!」


 否応なく口が開き、張り裂けんばかりに頬へ空気が送り込まれる。しがみついている義腕はともかく、他の三指は奔流に流されるまま。とてもではないが竜麟を掴んで安定性を高めることも不可能。

 一方で、一つの思案も脳裏をよぎる。

 もしかしたら、他にやれることもないが故に思考が痛苦から逃れるべく、頭の回転を早めているのかもしれない。

 竜種の動きは度を越してスムーズであり、目覚めた直後にしては微塵も淀みが感じ取れない。脳内にルートが事前に叩き込まれているのか、それでも幾つかある分かれ道に逡巡する仕草すら見せないのは疑問を抱く。

 竜種は首を上げ、軌道を上方へと逸らす。

 頭上には天井、ではなく地上から向かえば大穴として存在感を主張する虚空が歓迎していた。不自然なまでの大穴を竜種は一切の躊躇を見せずに通過し、瞬く間に階層を上り詰める。


「産、道……!」


 思わず脳裏によぎった単語を呟く。

 神宿ダンジョンに点在する大穴は竜種がスムーズに地上進出を果たすために用意されたものであり、ひいては神宿ダンジョンそのものが

 背筋が凍り、脳にひりついたものが宿る。

 思考能力があるのかはともかく、まんまとダンジョンの思惑通りに事が進んでいた。到溺教会というイレギュラーを加味しても人類は追い詰められており、最悪までは半歩手前といったところ。

 時は一刻を争う。


「……」


 暴風の奔流に流される中、加古川は冷静に思案する。

 竜種の地上進出を食い止めるための最善手を。

 渾身の力を以って虚之腕を振るい、竜麟の貫通さえ叶えば多少は時間を稼げるだろう。だが、それは音速域で移動する物体から一瞬でも手を離すことを意味し、慣性の法則があるにしても有効打を打つだけの猶予があるかは甚だしく疑問である。

 しかし、有意か無為かを判断して命を投げ捨てる価値が果たして自分にあるのか。

 他者を見捨てて生き汚く残っている加古川誠にが、無為だから耐えろという選択肢を取っていいのか。

 逡巡する思案の最中にも竜種は刻一刻と地上への距離を詰めている。


「今が、変わる時なのか……?」


 少年の葛藤を反映してか、義腕に注がれていた力が僅かに緩む。

 直後であった。

 先程までとは異なる、鋭い銃声が鼓膜に響いたのは。


「■■■!!!」


 砂塵に突っ込むかの如き跳弾の音が激しく鼓膜をがなり立てる。

 追い打ちをかけるは炎弾や水流、風の刃に落雷といった多種多様な魔法攻撃。

 科学と魔法。相反する二つの要素が手を取り合い、人類に仇なす脅威へ牙を剥く。


「第一陣後退ッ、続いて第二陣装填用意……てェ!」


 竜種から見て数百メートル前方、第一階層の通路には大隊規模の自衛隊と彼らの指揮下に置かれた冒険者達が防衛線を構築していた。

 指揮官の号令に従い、淀みなく前衛と後衛が入れ替わると携えた得物の銃口からマズルフラッシュを瞬かせる。追随し、左右に展開されている冒険者一同が各々の魔法を好き勝手に発射。たった一体の魔物へ注ぐには過剰な殺意が後を追う。

 体躯がそうさせるのか、あるいは頂点に座するが故の慢心か。

 竜種は回避動作を取ることもなく、正面からの突破を試みる。

 合金染みた鱗の強度は自衛隊の所有する八九式小銃はおろか、本来は装甲車両の自動火器として搭載するM二重機関銃すらも意にも介さない。ましてや冒険者の放つ雑多な魔法など、存在しないにも等しい。

 跳弾の音が虚しくダンジョン中に反響し、一向に勢いを緩めない竜種の突撃に人々は徐々に顔を青ざめさせる。


「あ、おいッ」


 目に見えて士気が低下し始めた時、一人の男性が防衛線を飛び越えて飛翔する化物への接近を試みた。無論、戦線崩壊の予兆を感じ取った指揮官が静止を訴えるものの、男性は着物を翻すばかりで声の方角へ振り返る素振りすらも見せない。

 加古川から見ても無謀な突撃。

 しかし、男の正体を一目したことで無謀なりの策を機敏に掴み取る。

 波打つ髪を振り乱し、握り締めるは刀の柄。滑るような低い姿勢で距離を詰め、両の手は居合の如き構えを維持。


「都市一つを焼き尽くし、自衛隊すらも引き摺り出す魔物の頂点。我が刃の錆に不足なし……否、我が刃こそが不足か」


 どこか自嘲の笑みを零す男はしかし、言葉通りの認識を抱くはずもなく。

 事実として柄の内に込められたナニカが開放の瞬間を待ち侘びて、器を壊さんばかりに暴れ狂う。僅かに揺れる右手もまた、決して走りながら故のものではあるまい。

 喉を鳴らす男はやがて立ち止まると、アメジストの瞳で迫る脅威を睨みつける。


「さぁさ、今こそ頂点の座から引き摺り下ろそう。貴様らの天敵の姿を拝ませよう。

 さぁ、荼毘に伏せ。我がの刃の下に」


 刹那、世界が逆袈裟に切り裂かれる。


「■■■?!!」

「幻風貪狼一刀流・三段」


 断末魔を連想させる咆哮と共に、世界を薙いだ男──月背勝児は好戦的な笑みを煌めかせた。

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