第46話 未来へ繋ごう

 太古の時代、唯一神に仇なす存在として定義されたのが竜種の原形──ドラゴンと呼ばれる存在である。

 他宗教の神を悪魔化することで信仰を奪い去り、簒奪する目論見でレッテルを張られた神々を起源に持つドラゴンは、正しく人智を超越した力を有していた。

 鎧はおろか城塞をも容易く引き裂く爪牙。生物の常識を覆して上空を自在に舞い踊らせる双翼。そして一度浴びれば忽ちの内に肉体を炭化させる火球。ドラゴンを構成する全てが人類の知り得る凡そ如何なる生物をも超越し、故にこそ打倒の叶う存在をこいねがう。

 時として大天使が自ら戦に赴き、時として英雄譚の一節を大いに盛り上げる。

 果たして弾圧した側の望むように異なる神々は邪竜へと貶められ、彼らへ注がれていたはずの信心は唯一神が何食わぬ顔で頂戴する。

 しかして、努々忘れてはならない。

 ドラゴンは──竜種は到底人類が到達することのない遥か高みで、強大な力を振るっているということを。



「■■■■■■ッ!!!」


 深淵の底、ドライコーンが自らの身を投じた大穴の奥。

 生物の発するものとは思い難い根源的恐怖を逆撫でする声音がダンジョン全域へと響き渡る。

 最下層に位置する加古川や伊織達のみならず。

 ダンジョン各地に等間隔で配置された非常時の伝達役を請け負った自衛隊員。

 第一階層で防衛線を張る冒険者と自衛隊の混成部隊。

 更には入口と隣接する冒険者ギルドにまで、破滅の独唱が轟き唸る。

 震撼する大地は竜種の目覚めに恐怖するかの如く。揺れ動く大気もまた、幾つかの災厄を反芻して空気をひりつかせた。

 空を掴む翼の音が一つ。

 二つ。

 そして三つ。


「──!」


 深淵の底より浮上した異形に、加古川は言葉を無くした。

 ダンジョン内に於いて場違いなまでの純白に、蜥蜴を何千倍と拡大したような体躯。背中からは蝙蝠を連想させる翼をはためかせ、翼膜には充血した血管が細部にまで血液を運ぶ。睨みつける眼光の煌めきは鮮血の色身を連想させ、僅かに開く口端からは呼気に合わせて炎熱が籠れ出ていた。

 口端から尾まで含めれば目測でも十メートルは優に超えそうか。頭部の反対側から伸びた一対の角は最下層の輝きを鈍く反射し、純白の体躯もまた細部に到るまで竜麟に覆われ隙がない。

 鮮血の眼光とぶつかり合い、加古川は思わず一歩仰け反る。


「……!」


 殆んど無意識の行動だったのか。

 少年は奥歯を食い縛った逃走したい本音を喉奥へ叩き込むと、反対側の足を一歩踏み出した。

 一方で彼の側にいた伊織はすぐさま背後に隠れると、背中から僅かに顔を覗かせる。

 一見すれば少年が少女を守る構図でこそあるものの、実際は加古川もまた恐怖に顔を引きつらせていた。

 無理もない。

 竜種の出現はそれだけを以ってダンジョンを特級へと認定し、自衛隊が何度かダンジョンコアを破壊して規模を縮小するまでは一般の立ち入りを禁ずる程。

 それだけの脅威を、竜種という魔物は担っているのだ。

 たとえ矮躯であろうとも、油断していい理由はない。


「このッ……!」


 だからこそ、加古川は痛い程に奥歯を噛み締め、義腕を振り被って疾走する。

 虚之腕は元より竜種の竜麟やダンジョンコアといった非常に堅牢な存在を穿つことを念頭に開発された試作品であり、理論上はそれらを相手にしても問題なく戦闘活動を継続可能とした。

 崖端。

 より一歩踏み出せば深淵の底へと吸い込まれ、二度と陽の光を浴びることは叶わない漆黒よりなお昏い黒。

 破れかぶれの特攻ではない証拠とばかりに力強く踏み抜くと、少年は白髪を揺らして中空を飛ぶ。目標は当然、眼前で今も悠然と一定高度を維持したままの竜種。


「ソォォォォォラァッッッ!!!」


 初手から全霊を込め、露出したチューブが悲鳴を上げる程の渾身を以って殴り抜く。

 が。


「つッッッ!」


 返ってきたのは金属同士の火花散る反射音、そして肩口にまで伝播した拭い難い衝撃の二つ。

 地面を殴り抜いたにも等しい反動に苦悶の声を漏らす加古川に対し、竜種は一切動じる様子を見せず。むしろ少年への関心すらも薄れたかのように頭上を見上げた。

 外界への羨望を想起したのか。自身の体躯を倍以上に強調する双翼を広げ、羽ばたきの姿勢を取る。

 直観的に危機感を覚え、加古川は咄嗟にナイフを逆手に握り締めると竜麟の合間へと差し込む。肉にまで突き立てられた感触こそないものの、一方でそう易々と引き抜ける感触でもない。

 刹那、暴力的な加速が加古川の肉体に襲いかかる。


「くッ……加古川ッ!」


 出鱈目な、身を低く構えねば吹き飛ばされかねない風圧が空間内で暴れ狂う。事実として、伊織の指揮下から外れた魔物達は中空へと身を躍らせ、高所からの落下で致命傷を帯びていく。

 目を閉じかける暴風の中、伊織の叫びも虚しく、呼びかけられた相手を引き連れて竜種は天井の空いた虚空へと吸い込まれた。

 たったの一羽ばたきを以って。


「飛田貫、さっきの竜種を追うっスよ!」

「あ……分かったです!」


 急変する状況についてこれず、呆然とする伊織へ零羽が語気を強めて呼びかける。

 遅れて応答した少女はローブを脱ぎ捨てると、見慣れたスクールカーディガン姿で駆け出した。

 竜種を、災厄の具現たる存在に追随した加古川を追うために。

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